少年の日の思い出10
再生暦5009年5月
小瀧昴流――12歳
御堂瑛士――18歳
鳳祠真澄――13歳
鳳祠知尋――13歳
再生暦五〇〇九年。この年は、後の歴史で『激動の年』と呼ばれることになる。
五月。昴流が桃偉の家で暮らし、騎士学校へ通うようになって丸一年が経った。そしてこの五月に、昴流は十二歳の誕生日を迎えた。家では咲良が豪華な料理を作ってくれて、桃偉と瑛士が祝ってくれて嬉しかったのだが、いまの昴流にはそれを上回る懸念があった。
毎年この時期に、騎士学校では『校内剣術大会』があるのである。去年は入学したばかりで参加は免れたのだが、さすがに入学して一年も経てば参加しろと言われてしまう。口では嫌だと何度言っても、それに反して昴流の剣の腕はいまや相当のものになっていたのだ。学級の代表として参加するのは当然だとばかりに押し出されて、勝手に参加することになってしまっていた。
ということで、広い学校の訓練場は即席の闘技場となったのであった。
昴流はこの大会の下級生の部、三年二組の代表として出る。三年生は下級生の部では最年長なので、勝たなければ面目丸つぶれである。
試合は勝ち抜き戦で行われる。稀に一年生が優勝したりすると、二年生、三年生はきついお叱りを受けるそうだ。それだけは避けたいなあ、と昴流は思う。彼はもちろん、運動も嫌だが手を抜いて怒られるのも嫌であった。何より、昔から「仕事に私情は持ち込まない」という精神だったので、やるからには徹底的にやるつもりだ。
この大会の優勝者は、学校外からも注目される。将来騎士になりたいと願っている者は、ここで優勝して少しでも自分の力を宣伝しなければならない。例えば大典のような人間だ。優勝したという実績があれば、騎士になるのに有利になる。
ともあれ、三年二組代表の小瀧昴流は、初戦から着実に勝ちを重ねていった。初戦に勝ち、二戦目に勝ち、三戦目に勝ち、四戦目に勝ち……そして準々決勝に勝ち、準決勝に勝った。昴流が勝つごとに応援の同級生が歓声を上げる。「いいぞー!」という声もあれば、「小瀧君格好いいー!」という悲鳴もある。昴流は、男子としての魅力の上でも成長していたのである。――多少はいい気分だ。
さて、決勝戦である。
やれやれと思いつつ腰を上げ、闘技場内に入る。今朝から何度もここに立ったので、もう見慣れてしまった。その見慣れた風景の中に、もう対戦相手は待っていた。
「よう、昴流!」
学年が上がって組が離れてしまった――しかし今でも一番親しい友人。三年一組代表、勢賀大典である。
いや、こうなるのは当たり前だよね……と昴流は最初から想定済みだ。
「いつもやる気ないくせに勝ち上がってるから、驚いたぜ」
「うん、まあ……さすがに二組背負わされちゃったからね。一応、本気」
驚いたとか言いつつ、大典は全く驚いた様子はない。彼もこうなると思っていたのだろう。
「俺はここで優勝して、これを足掛かりに騎士になるって、前から決めてたんだ。悪いけど、昴流だからって手加減しないぞ」
大典が早くも木刀を構える。最近真剣を扱っている昴流にしてみれば、軽すぎる玩具だ。
「……少し前の僕だったら、君に優勝の座を譲っただろうね」
手加減しているとはばれないように力を抜き、そしてわざと負ける。本当にそうしようと思えば昴流にはできるほどの技量がある。
「でも……不思議なことに、僕はここで勝ちたいと思ってる」
騎士として戦う桃偉と瑛士。彼らの隣に肩を並べたい。
そう思うようになったのはいつで、何がきっかけだったのだろう。それは分からないが、確実なことがある。自分が騎士団の一員となっている将来は想像できるのに、他の未来が全く思い浮かばないのである。人に善意で薦められると嫌とは言えない昴流は、教師か、大典か、はたまた桃偉か――彼らに推されて騎士になってしまうかもしれない。嫌と言えなかった典型が、今回の大会の代表である。
騎士になったはいいが、訓練が嫌だとぼやいている自分が、手に取るように見えてしまう。そんなことを考えていると知られたら、大典に怒られそうなものだ。
それでも――桃偉が誇りだといったその名前を背負ったら、自分も変わろうと思えるのではないかと――昴流は思う。
「ならいいじゃないか。本気の勝負だ、昴流!」
大典の声で、束の間の思案から昴流は引き戻される。昴流はゆっくりと木刀を構えた。この学校では、剣術の基本さえ守られていえば構え方など指摘されない。学校で教える『剣術』としての構えを大典は取っているが、昴流は違う。桃偉に学ぶようになってから構えを変えたのだ。玖暁騎士団が使う実戦剣術流派、玖暁騎士団流である。これまで大会の運営を生徒に任せていた教師たちも決勝戦を見に来て、昴流の構えを見てほう、と感心したように声を上げた。
「あれは三年の小瀧と勢賀ですね。とても仲の良いふたりですから、お互い切磋琢磨しあってきたのでしょう」
「しかし小瀧の構えは玖暁騎士団流。彼の父親か誰かは騎士なのだろうか」
「さて、家族のことは全く喋らない子ですから……」
「騎士団の中でも、玖暁騎士団流を完璧に扱えるのは上層部の人間だけです。もし身内に騎士がいるとしたら、かなりの実力者ですよ」
「もしかしたらあのふたりには、卒業を待たずして騎士からお声がかかるかもしれないな」
甲高い笛の音が響く。それが試合開始の合図だった。
先に動いたのは大典だ。突進から繰り出す強力な斬撃。初対面時に試合したときと、まったく同じ技。しかし技の精度も威力も桁外れに上昇していた。それを受け止めた昴流の木刀を持つ右手が痺れたのも、あの時と同じである。だが木刀は昴流の手から離れない。それどころか昴流は、その重い一撃を弾き返した。大典はよろめきもせずにすぐさま態勢を立て直し、再度昴流に攻撃をかける。身を沈めてそれを避けた昴流は後方に飛びのいて距離を置く。
「っ……よく、ついてくるね! 大典!」
「へへっ。お前の戦い方を見て、力だけありゃいいわけじゃないって、気付いたんだよ!」
ふたりは木刀を打ちかわしながら不敵な笑みを浮かべる。優勝は譲らない、そんな顔だ。
決着はつくのだろうか、と見ているほうは心配になってくる。それほどまでにふたりの実力は拮抗していたから、どちらが勝ってもおかしくはなかった。持久戦となれば大典に軍配があがるだろうが、昴流がそこまでに隙を見つけられないわけがない。相変わらず大振りな攻撃が多い大典が少しでも隙を見せれば、容赦なく昴流がそこを突くだろう。
手に汗握る、決勝に相応しい試合だ。
だがそれを邪魔したものがある。突如、笛が吹き鳴らされた。その音に驚いた昴流と大典は、ぴたりと木刀を停止させた。
「試合、中断します!」
運営の上級生が審判台から叫んだ。なんだよ、いいところだったのに、と大典がぼやく横で、昴流は闘技場にひとりの教師が駆け込んでくるのを見た。その教師は真っ直ぐ昴流のもとへ駆け寄った。
「小瀧、お前に呼び出しがかかった。すぐ荷物をまとめて校門へ行け」
「え……?」
昴流はきょとんとしたが、すぐに頭を切り替えた。
「誰が僕を呼び出したんですか?」
「騎士団の御堂さんだ」
「瑛士さんが……?」
日中に昴流を学校から呼び戻すなんて、只事ではない。大典も心配そうな顔になった。昴流はぱっと判断を下す。木刀を大典に押し付け、彼に言う。
「ごめん、それ戻しておいて」
「お、おう」
「あと今日の打ち上げ、参加できそうにないや。また今度ね」
昴流はそう言って、教師とともに闘技場から駆け出して行った。しばし呆然としていた闘技場でざわめきが起きる。先程試合を中断した上級生が声を上げる。
「え、ええと、では三年一組の勢賀大典くんの不戦勝ということで……」
「ちょっと待った!」
大典が大声で制止する。上級生に対しても敬語など使わないのが彼らしいところだ。
「決勝戦は後日に持ち越ししてくれよ。ちゃんと決着つけなきゃ、納得いかない」
大典の要望は受け入れられた。不自然に大会は終了し、大典には不安だけが残ることとなった。
一方その頃、教室経由で学校の校門へ駆けつけた昴流は、そこに騎士の和服姿の瑛士が佇んでいるのに気付いた。どことなく落ち着かない様子である。昴流の姿を見た瑛士は、ほっと息をついた。
「昴流! 急に呼び出してすまんな」
「いえ……何があったんですか?」
こんな風に呼び出すくらいだ、何かあったことくらいはすぐに分かる。性急に問いかけると、瑛士は無言で細長い物体を差し出してきた。布で包まれたそれは刀であった。昴流が最近稽古で使用しているものである。
「事情は家でな。それをしっかり抱えていろ」
「……はい」
無駄口は叩かなかった。瑛士に連れられ、まるでこそこそと逃げるようにふたりは神谷家へ戻ることとなった。すっかり手に馴染んだ刀――桃偉のおさがりであるそれを昴流は強く握りしめる。
家に戻ると、真っ先に見えたのは桃偉の後姿だ。この時間に桃偉が家にいるときは只事ではない――その教訓がある昴流は、桃偉が身動きしたと同時に、彼の陰にふたりの少年がいることに気付いた。
だれ?
勿論、頭の良い昴流でもその質問しか浮かばない。
「はぁっ、はぁっ……」
そのうちのひとりは、激しく息を切らせている。顔色も悪いようだ。もうひとりは右腕からだらだらと血が流れており、床が赤く染まっている。こちらも青褪めた顔をしていた。
「大丈夫ですか、知尋さま! 咲良、薬だ。薬を用意してくれ!」
「は、はい!」
咲良が慌ただしく駆け出していく。どうやら桃偉はふたりの少年を連れ込んだばかりのようだ。昴流はすぐさま自分のやることを悟った。
知尋――それはこの国の皇子の名前。
ならばその隣で怪我をしているのは、双子の兄で、もうひとりの皇子である真澄だ。
昴流は壁に背を預けて座っている少年の傍に駆け寄る。少年が額に汗を浮かべながら、うっすらと目を開く。
「手当をいたします。腕を出していただいてもよろしいでしょうか」
昴流は丁寧に問いかける。少年は頷き、右腕を差し出す。昴流は医療箱を取り出し、止血に取り掛かった。侍従としての医療知識が役に立ったのである。その間に瑛士が弟皇子を慎重に抱き上げて、居間のソファに寝かせる。
昴流が包帯を巻き終えると、少年――真澄はうっすらと微笑んだ。
「有難う……助かった」
「いえ。どうか、そのまま安静に――」
すると、知尋に薬を飲ませた桃偉がこちらを振り返る。
「残念だがゆっくりはできない。昴流、咲良。すぐにこの家を出る準備をしろ」
ふたりとも頷いて踵を返そうとしたが、咲良が昴流を押しとどめた。自分が準備をするから、昴流は桃偉の話を聞いて事情を把握しておいてくれと言うことだ。彼女も事情は分からず不安だろうに、行動の迅速さは誰にも譲らない。
「何があったんです?」
そう問いかけると、桃偉は若干躊躇ったように何かを考え込む。すると、壁際に座ったままだった真澄が口を開いた。
「……私が話す」
「真澄さま……」
桃偉の呼びかけに真澄は頷くと、視線を昴流に向けた。はっと驚くほど、綺麗で真っ直ぐな青い瞳をしていた。昴流は我に返って、真澄の前に跪こうとする。真澄はゆるゆると首を振る。
「そう仰々しくするな。……君が、小瀧昴流だね。話は桃偉や瑛士から聞いていた」
「それは……御耳汚しでございました、殿下」
「だから堅苦しくなるなと……いや、いまそんなことはどうでもいいか。君たち姉弟を巻き込んでしまってすまないが、これから説明することを、よく聞いてくれ……」
そして真澄は語り始める。
この日の昼食時、真澄と知尋はふたりで食事を摂っていた。だがその食事が半ばほど進んだところで、知尋が急に気分が悪いと言い出したのだ。後に医学者として様々な薬物を扱う知尋でも、このときはそこまでの知識を有していなかった。知尋を休ませるために真澄が付き添って部屋に向かっていた最中に、真澄も自分の身体に痺れを覚えて歩くのも辛い状態になってしまったのだ。
「食事に、毒が……?」
昴流が確認するように問うと、真澄は頷く。
「それほど悪質なものではなく、実際は単なる痺れ薬で効果はすぐ切れるのだがな。元々身体の弱い知尋には、痺れ薬といえど劇薬となる。厨房係りか、侍女か……誰が毒を仕込んだのかは、考えたくもない」
なんとか知尋を食堂から自室に移動させたとき、数人の騎士が真澄らを追いかけてきた。大丈夫ですかと問われた真澄は、その時点で彼らを警戒した。真澄らが食事をしていた部屋には数名の侍女しかいなかったし、食事に毒が盛られているというのは犯人と共犯者以外は知らないはずだからだ。
案の定、近づいてきた騎士は真澄に刀を向けたというわけだ。
「騎士が殿下を!?」
それには瑛士が首を振った。
「騎士に偽装した、貴族の私兵だった」
「ああ。しかも、俺直属の部隊の部隊章まで揃えていやがった」
桃偉も苦々しく吐き捨てる。真澄が続けた。
「私はここ最近、貴族の実態調査のために桃偉直属の騎士を借りていた。桃偉自身も同じような調査をしていて……最近では、神谷団長は騎士団を私兵化させている、という噂まで立つ始末だ。そこで貴族どもは、邪魔な私と知尋を殺し、その罪を桃偉に被せてこちらも殺害しようとしたのだ」
桃偉が疲れたように息をつく。
「その動きは俺のほうも掴んでいたんだが、いささか駆けつけるのが遅くなってしまった。どうにか瑛士とふたり、真澄さまと知尋さまを助け出してここに転がり込んだんだが――今や俺は皇子殺人未遂犯で誘拐犯だ。この容疑だと、貴族たちも表だって捜索できる。この家にもすぐ追手がくるはずだ」
突拍子のない話に、昴流は動揺しているのを感じた。今の話を頭は完全に理解している。だが心が理解したくないと言っているのだ。落ち着け、と己に命じる。
咲良が大きな荷物を持って戻ってきた。しばし休憩していた桃偉が立ち上がる。
「よし、出かけるぞ」
暗さの欠片もない声だ。同じように立ち上がった真澄が、昴流と咲良に頭を下げる。
「巻き込んでしまって、本当にすまない」
「僕たちは桃偉さんの家族ですから――お邪魔でなければどこまでも、一緒に行きます」
昴流の言葉に咲良も頷く。真澄はふっと少し笑みを浮かべた。
「殿下こそその腕、大丈夫ですか?」
「君の処置が良かったおかげだ、たいして痛みはないよ。痺れ薬を盛ったからといって私を殺しやすくなると思ったのは、浅慮というものだ。騎士団長の弟子にしごかれる私の力量を甘く見たのだろう」
頼もしい真澄の言葉に、昴流も微笑んだ。
眠っている知尋を瑛士が背負い、五人は神谷家を出た。
――楽しかった平民生活は、どうやら終わりを迎えたようだった。




