21話
――勝利を喜ぶ、意味がわからない。
それは鍛錬の果てに訪れる『当然』だった。計画の末に行き着く『必然』にすぎなかった。
敗北こそが不運だ。
なぜならば、負けるということは何らかの計算違いがあるということだから。
思わぬ強敵との不意の遭遇。あるいはそんな敵と戦わねばならぬような逼迫した状況に追い込まれる戦略ミス。……そうだ、敗北を許されぬならば、勝てない敵とは戦わないよう頭を使うべきだ。
だから、そいつのことを愚か者と思っていた。
そいつはどうやら敵軍の英雄らしい。
愚かなことだ。祭り上げられるたぐいの英雄なぞ、己の実力を鑑みずに苦境に立ち、運良く生き残った者にすぎない。ゆえに『英雄』とは無計画の別称であり、無力の別名だ。
ただの奇跡。
いつかは無惨に散るさだめを、先延ばしにしているだけ。
だが、そいつは奇跡を起こし続けた。
苦境に自ら身を投じ、勝利を重ね続けた。
あきらかに無茶な作戦を命じられ、戦果を重ね続けた。
そいつにとって奇跡とは積み重ねるものらしい。
いつしかこちらの軍勢でもそいつのことは有名になった。俺が殺す、いや俺が、とそいつへの殺意がそこらに溢れかえり、連日連夜そいつの殺し方を協議し、最悪の敵であるそいつをののしり続けた。
一方で、そいつが運だけではないらしいことが知れ渡ると、敬意を表す者も増えた。
……自分は、そいつのことを最後まで認めなかった。
愚か者だと内心で見下し続けた。
だって、そのあり方がどうしても受け入れられなかったから。
奇跡的な勝利を重ねるなどありえてはならない。それは緻密に確実に勝利を積み上げ続ける自分の生き方への否定だ。認められるはずもない。そいつを認めることは、己を否定することだ。
今まで『確実な勝利』のために零し続けたモノが、本当は掬い取れたモノなのだと、認めてしまうことだ。
敵の英雄の噂に沸く自陣が気に入らなかった。
けれど、強者を認める文化を持つはずなのだ。なのに自分は、そいつを認められない。みなそいつの奇跡に興奮を露わにする。早く戦いたいと足を踏みならす。なのに自分は、そいつとの戦いは可能な限り避けたいと思い続けていた。
……思えば最初から、わずかにズレていた。
みな、戦いを求めていたけれど――
――自分だけは、ずっと、平穏を求め続けていたんだ。
◆
「貴様はとどまるものと思っていたがな。人間にとって三十年は短くあるまい。これだけ時間を費やせば、あとはもう終わりの時までそのままかと、思っていた」
つばぜり合いが起こっていた。
渦巻く風はいっそう激しさを増し、逆巻く波はその飛沫を陸地深くまでとどけている。
巻き上がる砂塵が押し合う二人を取り巻き、周囲から視覚的に二人を隔絶させていた。
聖剣と大剣。
勇者と『魔なる者』。
ルシアンと、
「イヴォルグ、テメェこそどうなんだ?」
頭上から圧し潰さんとせまりくる大剣を受け止めつつ、たずねた。
はるか上方にあるイヴォルグの顔は変化がない。真っ黒い皮膚。白い謎の紋様。黄色一色の瞳。何一つ変化がなく、どこからも内心がうかがえない。
「テメェはこのままかよ。かつて敵対してた人類に使われ、世界から疎外されたこの島の監督官として一生を終えるのか? ……ああ、テメェらに寿命はねぇんだったな。じゃあ永遠にこのままなのかよ。たとえばオレが死んでも、オレに命じられてここにいるっていうテメェは」
「くどい。我にとり、敗北とはそういうものだ。負けは重い。負ければすべてを差し出さねばならん。……貴様も知っていよう、我ら――貴様らが『魔なる者』と呼ぶ我らが、敗北したあと、たとえ命があったとしても、どうするのか」
「自決するんだったか?」
「そうだ。どれほど勝利を重ねていようが、一度の敗北ですべてを失うのが、我らだ。……このような弁解、仲間たちは好まぬだろうが……我らに二度以上の敗北が許されていたならば、先の戦争で勝利をしていたのは我らの方だ」
「ああ、言う通りだよ」
――剣を棍棒へ。
棒となった聖剣をかたむけてイヴォルグの大剣を受け流す。地に落とされた剣は新たなる砂塵を巻き上げ、あたり一帯を砂煙で満たす。
視界が完全にふさがった一瞬、二人は同時に動いている。
ただし第三者にわかるのは二人の動いた結果のみだ。
明滅している。動作のたびに巻き起こる砂塵が二人の姿を隠すゆえか、あるいは二人の速さが人類の埒外にあるゆえにか。
砂塵。
金属音。
二人の武器の衝突の衝撃により砂塵が晴れ、しかし動きによって再びもうもうと土煙が起こる。
ルシアンの手にした武器は、いつのまにかイヴォルグのものと似た長大な剣へと変化していた。
二つの巨大武器がぶつかる音は、もはや人類が出していい音ではない。重々しく痛々しい音が二者の武器から響く。衝突のたびに刃が砕け、その破片が周囲へと速度で飛散した。
「……なんて、すさまじい」
ポツリとこぼれた誰かのつぶやき。
それは剣の交わる音にかき消され、戦う二人にはとどかない。
「人類は悲しいほどに弱い」
つばぜり合い――否、圧し斬り合い。
大剣と大剣の刃が合わさり、互いに全力で押し合う。
力で負けた方が両断されるという結末を誰しもが予想した。身長や重量、腕力で勝っているであろうイヴォルグが圧していることもまた、第三者にあきらかだった。
いつしか砂塵は舞わないようになっていた。
雨が、降り始めたのだ。最初はぽつぽつと。次第に耳をつんざくような音を出しながら、二人の男の体を叩く雨粒。
「人類ってのはな、基本的にやる気がねぇし、当事者のくせに他人事だったりするし、自分は何もしねぇのに文句ばっかり言う。テメェにも言われたが、自ら力を奮わない者でもちゃっかり権力を握ってたりする。無責任で無遠慮で冷徹で、完璧主義を他人にだけ求めるような連中さ」
「聞くだに最低だ」
「おうよ。こんなののために戦うのは馬鹿のすることだ」
「ではなぜ、貴様はそんなもののために戦った?」
「オレは馬鹿なんだよ」
ルシアンの全身に力がこもる。
グッと脚に力をこめる。靴底で砂浜を沈ませながら、腕でイヴォルグの大剣を押す。
自分より大きく、自分より強いはずの相手を、圧し始める。
「損得っていう軸でモノを考えたら、オレは馬鹿以外の何者でもねぇ。けどな、ようやくさっき腑に落ちた。オレが誰かのために戦うのは、それしかできねぇからだ」
「なぜ自分を卑下する」
「卑下じゃねぇよ。単にそういう精神構造の生き物だってだけの話だ。自分のために熱くなれねぇ。損をしないように立ち回れねぇ。――でもな、誰かのためには力が湧く。そういう生き物なんだよ、オレは」
ぐぐぐ、とイヴォルグの剣が圧される。
それはあり得ない光景だった。ひと目で屈強であることがわかる『魔なる者』の剣を、白髪頭の老人が押し返している。
イヴォルグはますます全身に力を込める。
けれど、大剣は止まらず、押し戻され続ける。
「う、うおおおおおおお! なぜだッ! これだけの力がありながら! すべてを差配できる立場に上り詰めかけながら! なぜ、貴様は損を被る選択ばかりをする!? 貴様は――貴様はもっと恵まれていいはずだろう!?」
「……はん。案じてくれてたのかい、オレのことを」
「なぜ貴様は幸福に背を向ける! なぜ、貴様は平穏で安定した生活を望まない!? 貴様には幸せになる権利と力があったはずだ! それは――それは、戦いを呼吸も同然に行う我ら種族では得られない、まばゆいばかりの平穏だったはずだ!」
「……」
「答えろ! 敗北が許された貴様らの中にあって、なぜ貴様は報われる道を捨てた!? 戦いの強さがすべてではない種族にあって、なぜ貴様は戦いを続けた! それは――貴様の零したそれは、我が望み、ついに手に入れられぬものだったというのに!」
――激情が、聖剣を通して流れ込む。
それはイヴォルグという男の半生だった。
戦いに明け暮れた。敗北すれば死という恐怖に怯え続けた。
戦いに興奮する周囲を理解できない。強敵を望む者どもに共感できない。
ただ、生きていたかった。
……生物として当たり前のその衝動を、しかし周囲は認めない。
どうしようもなくズレていた。
戦うのは勝つためで、勝ちたいのは生き残るためだ。
しかし勝利を重ねるほどに新しい困難が次々用意される。
勝利とは完全決着を指す言葉だ。
勝っても次の戦いがあるうちはまったく安心できない。
平穏の妙味などわかりようはずもなく。
いつ戦いに駆り出されるかわからない時間など苦痛でしかなかった。戦いのことばかり考える。戦略を、戦術を考える。それは生き延びるためで、次の戦いに勝つために当然の用意だった。
次の戦い。
次の戦い。
また次の戦い。そのまた次の、さらに次の、もっと次の、次の次の次の次の次の――
――いつ、終わる?
……波の音。
戦いを超えた果て、潮騒の響く島にいた。
罪人どもが流れ着くこの場所は、しかし彼にとっての楽園だ。ここは世界から隔絶された場所。時の流れ、人の輪、過去のしがらみ。すべてから疎外されたこの場所で彼はようやく平穏を知る。
疎外された者どもの居場所。
大多数が『ともに過ごせない』と切り捨てた異端者たちの、楽園。
「我と貴様は、同類だろう? だから、貴様は我を救った。貴様とて、平穏を求め続けたはずだ。生き延びるという、ただそれだけの喜びに浸っていたはずだ。だから、我らは島に残るべきなのだ。そうだろう?」
それは『そうあってほしい』という願いのこめられた問いかけだった。
地の果てで享受する平穏。世界から隔絶されたこの場所の尊さを知り、この場所での生活を愛する者だろう、と。
世界に居場所なんかなくって、理解者はおろか気心知れた仲間さえいない者同士だろうと。
けれど。
「悪いな。お前の助命を嘆願した時は、きっと、オレもお前に近しいモノを感じていたんだろうが――」
「……」
「別物みてぇだ。オレはテメェみてぇに、平穏な世界に居場所がない」
大剣を跳ね上げる。
手から弾かれたイヴォルグの剣が空を舞った。
ルシアンの剣がすさまじい速度でイヴォルグの首に突きつけられ、そして止まる。
「オレとテメェはお友達じゃねぇんだ。だから引き留めてくれるな。オレは行く。死にに行く。ただ生きていくだけの人生はどうにも息苦しくていけねぇからな」
「……敗北は、我らにとり、特別なものだ。どのような敗北でもそれは、人生の終了を意味する」
「……」
「しかし、貴様は我を救った。……その貴様を、あんな世界に行かせるのか。我を救った恩人を、再び俗世に放つのか。報われることもなく救われることもない、そんな世界に?」
「そういうことかよ。……ったく、恩なんか感じるな。面倒くせぇ」
「……」
「昔も今もそうだ。オレはやりたいことをやるだけで、見返りなんか求めねぇんだよ。……そんなモン求めても、素直に受け取ることができねぇ。だからいらない。何も望まない。今望むのは、この生をさっさと終わらすことだけだ」
「……ああ、なるほど。勝てぬわけだ」
「あん?」
す、と大剣を下ろす。
イヴォルグはもはや抵抗の気力もないように、腕をだらりと下ろし――
真っ黒な顔の、ぴたりと閉じられ目立たない口の端を、かすかに上げていた。
「我は、生を求めぬ生物が恐ろしい。……貴様と対峙するだけで身が竦むよ。こんな有様では、勝てるはずもない」
「……」
「貴様は剣そのものなのだな。誰かに奮われる役割を担い生まれてきた、己の意思を持たぬ、己の身を省みる機能のない諸刃の剣。……神の堕とした聖剣そのもの。誤りであったよ。貴様は誰とも理解し合えない。無論、我とさえ」
「なるほど。オレが剣なら、抜いた相手について行かねぇとな。……三度、請うぞ。――島から出して欲しいヤツがいる。許可を頼む」
「答えよう。――特例を認める。我は貴様らを追わぬ。どこへとなりと消えるがいい。我の平穏をこれ以上乱してくれるな」
「話は決まったな」
強い雨がやんでいく。
分厚い黒雲がそこにある。けれど、完全に空が晴れる時も近いだろう。
見上げれば、雲に一筋の切れ目。
まるで剣で裂いたようなそこからは、明るい昼の日差しが差しこみ、勝者と敗者に等しく降り注いでいた。




