18話
照りつける朝日は砂浜全体を灼熱と化していた。
やけに暑い日だった。ざざん、ざざんと響く波音がなんの慰めにもならないほど、全身を焼くように日差しが照りつけている。
案の定浜辺には大量の囚人たちが集まっていた。
新入りの姿を見るため、あわよくば兵士たちを殺して小舟を奪うため――それも脱走を考えてのことではなくただの体制への意趣返しのため――様々な目的があるのだろうが、そういった目的のための行動が起こることはなかった。
みな、気力がない。
島での暮らしは覇気を奪う。
囚人たちを叩きのめしてその中でトップを目指すことは可能だろう。けれど、みなわかっている。この島でどのような地位に就いたとして、それは外の世界とは一切かかわりのない茶番に過ぎぬのだと。
世界から疎外された島。
『自分の行為は、何にもならない』。
数年程度の刑期の者は、まだ島を出ようとあがき、監督官を出し抜こうと知恵をこらし、罪人たちに侮られぬようにと威を振りまくこともある。
けれど『ただ生きていく』ことに多くの労力を割かねばならぬこの環境において、人はそこまでの気力を保ち続けることができないのだ。
いつしか囚人は人垣の一部となる。
ボロをまとい、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付け、『新たな囚人』という、情報の少ない島における『ニュース』を無気力に、受動的に楽しむのが関の山となっていく。
小舟が砂場に乗り上げる。
そこには五人の武装した兵士がいた。
顔の見えないフルフェイスの兜を身にまとい、腰に剣、片手に長物を持った兵士たち。
通例、罪人はその中央にいる。
大柄な者であればすでに頭が見えているはずだけれど、今度護送されてきた者も、前回同様、兵士たちの姿に隠れるほど小柄らしかった。
まあ――『いない』のだろう。
ルシアンは人垣のあいだからレベッカを連れて歩み出た。
彼女の話が本当であれば、あれらはレベッカの味方だ。ただの迎え。罪人を運んでくる必要などないのだから、それは運んできていないのだろう。
兵士たちは視線をルシアンに、いや、引き連れられたレベッカに向ける。
兜の中で彼らがどんな表情を浮かべているかわからない。けれど、兜や分厚い鎧越しにも安堵の空気が感じられた。
……なんという精神の弛緩だろう。
もし自分がここから彼らに斬りかかったらどう対応するつもりなのか――ルシアンはやる気もない襲撃を頭で描き、打ち消した。
聖鎧により無敵になった襲撃者など、油断してようがしていまいが対応できるものではない。あまりにアンフェアな想像だ。
「お前らが迎えに来たのはこいつだろう? 帰すぜ」
レベッカの背を軽く押す。
彼女はしかし、一歩、自ら前へ進んで、ルシアンへ振り返った。
「……やっぱり、ついて来てはくれないんですか?」
「くどい」
「……どうして? あなたは、こんなところで一生を終えるんですか? そんなことをして、何になるんですか?」
「何にもならねぇが、少なくとも、何も失わねぇ。ここじゃあな、何も得ないが、そのぶん、手放すモノだってねぇんだよ。……オレにはそれが気楽なのさ」
「でも、世界には…………」
レベッカは口をつぐんだ。
この期に及んで禁止事項を守っているらしい。
ルシアンは鼻で笑う。
「それだ」
「……え?」
「お前は結局、世界のことをオレに語らなかった」
「だ、だって、禁止事項だったじゃないですか!」
「その、かたくなにオレに言われたことを守ろうとする生真面目さ……いや、公正さか。『何をしたら卑怯か?』を頭ん中で設定して、絶対に自分で卑怯と定義したことには触れないようにする。……そっくりだよ、オレと」
「……」
「いいかレベッカ。正々堂々生きたところで、誰も褒めちゃくれねぇんだ。そんなのは自己満足にすぎねぇ。自己満足はな、それで問題が起こらねぇうちはいい。だが自己満足のせいで大きな問題に直面した時、お前は必ず自分を責める」
「……」
「正義ってのはな、『私は正義だ』って大声で喧伝したヤツが作るモンなのさ。行いは関係がねぇ。印象は、いくらでも操作できる。いいか、実際に何を成したかじゃねぇ。何かを成したと他者に思われない限り、お前の行為も、葛藤も、公正さも、すべて無いに等しい」
「……ルシアンさん」
「お前は侵略者だった。平穏に暮らしているオレを世界に引っ張りだそうとする外敵だった。だというのに、お前はオレとの融和を目指した。……お前が正義を目指しても、周囲までお前を正義と思ってくれるとは限らねぇんだ。だから今回はもっと堂々と侵略をすべきで……ああ、クソ。らしくもねぇ。だからオレはお前と深くかかわりたくなかった」
「……」
「……まあいい。オレは戻る。じゃあな」
ルシアンは踵を返した。
船に背を向け、二度と振り返ることはないだろうと、そう決意して、歩み出した。
けれど。
不意に、鋭い殺気が背後から自分を貫いて。
飛んでくる『何か』をかわし、手につかみながら振り返る。
飛んできたものは、兵士が手にしていた長物だった。
飛ばして来た相手は、
「歳をとって幾分かは学んだと見える。しかし孺子。圧倒的にまだまだケツの青いガキよな」
……そいつは、無からぬるりと出現したかのようだった。
姿が見えなかったのはその小柄さのせいだろう。分厚い装備をした背の高い兵士たちに囲まれ、レベッカより少し大きい程度の身長しかない彼女の姿は完全に隠れていたのだ。
だが、気配がないのはどういうことか。
気配どころではない。そいつはそばにいた兵士から剣を奪い取り、船を下り、砂浜を歩いていた。
だというのに、行動に一切音を伴わない。
剣が革の鞘を滑る音も、船を下りた際に木の船体を踏み切る音も、砂浜に降り立つ音も、砂と貝殻の混じった地面を踏む音さえも、ない。
履いているものは革のような素材でできた膝下まで覆うブーツ。
着ているものは前垂れのようなスカートがついたワンピースタイプの服だ。
上半身は薄い体をピッタリと覆っているが、前後に垂れたスカート部分は海風になびいて揺れている。衣擦れの音もあろう。だというのに何も聞こえない。
そいつは濃すぎてほぼ黒に見える、紫色の長い髪を揺らしながら歩み寄ってくる。
その楽しげに歪んだ薄い唇には、イヤになるほど見覚えがある。
ただし、目。
そいつの両目は奇妙な紋様が描かれた布で覆われていて、そこだけが記憶と違っていた。
「ロクサーヌ、お前、その目はどうした?」
つい今し方武器を投擲されたことも忘れて問いかけた。
ロクサーヌと呼ばれた少女――いや、子供のような見た目に似ず、百歳を超えているはずのその女は、ニヤリと口の端を歪ませたまま応じた。
「儂の目は貴様の子にくれてやった」
「……『精霊の目』をか!? お前の目は……ハイエルフのお前の目は、そんな簡単に他者にやっていいようなモンじゃねぇだろうが!」
「かまわぬ。『勇者』の前にはすべてが些事。何せ世界は救い手を求めている。……だというのに貴様はまだこんなところでくすぶっているつもりか」
「……」
「ああ、いい、いい。貴様の言い訳は聞かぬ。貴様は昔からそうだ。扱いは心得ているぞ。押しに弱い。だから押す。つまるところ、『殺してでも連れ帰る』」
「……」
「構えろ孺子。レベッカの失敗など最初からわかっておったわ。あの子は相手の事情を汲みすぎる。しかし儂は違うぞ。儂の存在こそが貴様を世界に連れ出すための必殺の作戦である」
ロクサーヌの全身から紫色のオーラが噴き出した。
魔力に優れた種であるエルフ。その中でも一世代に――数百年に及ぶエルフの『一世代』に――一人しか生まれないとされるハイエルフであるロクサーヌの魔力が、精神の高ぶりに応じて可視化し渦巻いているのだ。
目が見えないようだがまったく戦闘力に衰えが見られない。
見た目もまったく老いていなければ、動きにも魔力にもよどみが一切ない。
「クソが……! これだから不老長寿の種族は……! ちっとは衰えろよクソババア!」
「周囲にいる有象無象に告ぐ! これより始まるはたった二人の戦争である! 儂の魔力が届く範囲にいる者、自殺志願者とみなし容赦なく殺していくゆえ、命惜しくば散れィ!」
成り行きを見守っていた罪人どもは弾かれたように駆けだした。
言葉の意味がわかって逃げ出したというよりは、叫ぶ声にこめられた、見た目や声音からは想像もつかない濃すぎる殺意にあてられ、逃走したという様子だった。
レベッカが駆け寄ろうとしていた。
しかし、彼女は、彼女の身を案じる兵士たちに押さえられ、小舟に引きずり込まれた。
天空にはいつしか黒雲が現れ日差しを陰らせていた。
風が逆巻き、波がうねり、遠雷が彼方より耳を打つ。
急激な天候の変化。
……これはある程度以上の実力を持つ者同士がぶつかる時、なぜか起こる現象だ。
世界の亀裂と呼ばれるこれは、力がうずまく時、その強すぎる力に耐えきれず世界が泣くから起こるのだと言われている。
「構えたか孺子よ。逃げ出すかと思ったぞ」
「……逃げても追ってくるだろうが」
「そうよ。このような狭い島で遁走など無意味。しかし貴様は無意味なことをするのを好むゆえにな。一応、心配をした」
「……チッ」
「悲運なる宿業を背負ってしまった我が弟子よ。……ただの人間のはずの貴様よ。わかっている。貴様は弱い。貴様の心はもろく、貴様には重すぎる決断をする気力がない。ゆえに、儂が背を押してやろうというのだ。――打ちのめされて楽になれ。儂に打たれて儂の胸で眠れ。さすれば儂が、貴様を運命の渦中にたたき出してやる」
「……」
「さあ、殺し合いだ。行くぞ愚か者。貴様を奮い立たせてやる。だから――今再び、世界を救え、勇者よ」




