15話
「まあ、四日じゃ不可能だ」
いちおうレベッカがどの程度動けるかを見てから、ルシアンはそう結論した。
最初からわかっていたことだった。
『魔なる者』は強い。
人類と連中との戦争は、最初、人類の数的有利の状態から始まり、しかし連中の戦闘能力と何より末端兵にいたるまで全員が持つ『死を恐れぬ精神性』のせいで拮抗状態となった。
しかも『勇者』が出る直前、その拮抗は劣勢へと変化しかけていたのだから笑えない。
『個』の力。
戦争は数だ。一人では十人に勝てない。五人にだって勝てないだろうし、相手が二人だって勝つ見込みはかなり低い。
これが一万人対二万人とかになればかなり絶望的だ。人数が増えるにつれ寡兵と大軍との力の差は指数関数的に跳ね上がっていく。
戦いはまず数をそろえなければいけないし、万を超える大軍同士の戦いで『個』の力が役立つことはまずない。
……というのが定説だったのだけれど、戦争は『万軍に勝つ単身』の存在を世に知らしめてしまった。
二万の軍勢が五人に負けることが起こった。
逆に敵の一万を一人で倒すという事例が報告された。
五千人の部隊は壊滅したが、その中にいたたった一人が敵軍を殲滅したという話も出た。
将帥たちはさぞや戦略の考案に苦悶したことだろう。
どの戦場に何人の部隊を派遣するかを考えるのが連中の仕事だ。
けれど『万軍に勝つ単身』の存在は既存の戦略をすべてぶち壊した。
行軍速度と隠密性が『軍団』よりはるかに高いのだ。この要素を廃して軍略を練ることは不可能で、戦争前にあった『戦術』――エルフ対人間などの殺し合いがあった時代のもの――は、すべて役立たずになってしまった。
戦いの概念を塗り替える無双の者ども。
そういった者たちはたしかに存在したのだ。
そして、無双の者かどうかに、年齢は関係がなかった。
鍛えた年数に比例して必ず強くなるわけではない。若くして才覚を発揮した子供もいたし、四十年間コックをしていたのに戦場に立ったら無双の強さを発揮したという者もあった。
だからこそルシアンは確認したのだ。レベッカがそういった『若くして才覚を発揮する無双の者』かどうか。
確認の結果、違うようだった。
ボロのドレスをさらにボロボロにして、ぬかるんだ地面に転がるレベッカを見る。
金色の髪は汗と水気で顔に貼り付いてひどい有様になっていた。頬と言わず耳と言わず濡れた土のあとがあって、今まで彼女がどれだけ土にまみれたかを物語っている。
一瞬だけ強く降った雨は周囲の緑から濃いにおいを立ち上らせていた。
木立の中にぽっかりと空いた空間に転がるレベッカは、息を荒げてうつぶせに突っ伏し、顔だけルシアンに向けていた。
立ち上がる気配はない。おそらく、立ち上がる体力がないか、つい今し方打った膝が痛いのだろう。
「お前は天才じゃあねぇな。……基本はできてる。『戦いとは何か?』を仕込まれちゃいるようだが、それだけだ。飛び抜けたところが一つもねぇ」
「ロクサーヌ様に、習いましたから……」
息も絶え絶えだった。
実力確認の際に少し無理をさせすぎたのだろう。
ルシアンは短い白髪頭を掻いて、遅すぎる忠告をする。
「一つ言い忘れたが、オレは人に物を教えるのが苦手だ。何人かオレに弟子入りしたいって言って実際に弟子入りしたヤツもいたんだが、全員ぶっ壊した経験がある」
「それ言うの遅くないですか!?」
レベッカは叫んだ。
元気が残っているようで何よりだ。
「……というか、ロクサーヌに教わってたんなら、オレが教えることはねぇよ。あいつはオレの師匠で、オレより人に物を教えるのがうまい。オレが十人弟子がいたら十人を脱落させるのに対して、あいつは百人弟子がいたら一人ぐらいは残る」
「どちらもひどく狭い門なのですが」
「基本方針が『死にたくないなら死を乗り越えろ』だからな……死の淵で片足立ちしてバランスをたもてたヤツだけが生き残る。代表的な修行方法に『貴様の食事に毒を混ぜた。明朝までに儂に一撃入れねば貴様は死ぬ』などがある」
「え、それは修行なんですか?」
「……丸くなったようだな、あのババアは。まあ、お前は産まれた時からロクサーヌのところにいたんだろう? オレと同じペースで修行を受けてたら、今ごろはオレの全盛期より強くなってるか、死んでるかだろうからな」
「…………」
「そんなわけで、オレの課す修業の方向性もそれだ。街道場や正規軍人なんかは『型』や『陣形』を習うらしいんだが、それは習得に時間がかかる。『習得』ってのはわかるな? 『覚える』だけじゃねぇぞ。『実戦で使えるようになる』ってことだ」
「はい、それはわかります」
「オレはすぐにでも戦いたかったから、ロクサーヌの修行とは相性がよかった。お前も、四日で強くなりたいなら、四日間ずっと死の淵に立ち続けるしかない。……それでも勝てないのが『魔なる者』っていう連中なんだがな」
「そんなに強いんですか?」
「基本的に、最下級兵士の魔なる者でも、一人を倒すのに最低百人はほしい。……こっちが一般兵の場合だがな」
「……」
「そしてこの島の監督官はいわゆる『幹部』だ。『六人将』っていうんだが……魔なる者の王直属の六人のうち一人で、連中の偉さは強さで決まるって言えば、どのぐらいかは想像がつくだろう?」
「想像が及ばないほど強いっていうことなんですね……」
「さっきも言ったが、お前が四日間、死ぬ覚悟で修行をしたとして、勝つのは不可能だ。そもそも、オレはそこまで厳しいことをお前にやらせるつもりはねぇ」
「どうしてですか?」
「お前を死なせないように守ってるからだよ。お前を無事に送り返す……少なくともこの島にいるあいだの安全を保障するのがオレの誓いだ。そのオレがお前を殺そうとしてどうする」
「殺そうとって……修行ですよね?」
「修行っていうのは『殺人未遂』って意味だ」
「絶対違うと思うんですけど!」
「ロクサーヌ式はそうなんだよ。『あのババア絶対にぶっ殺してやる』っていう想いを抱き続けた者だけが修行を乗り越える。途中で心が折れれば死ぬ。そういうもんだ。だからロクサーヌも心が折れた相手が去るのは止めなかった」
「……」
「殺人未遂がしたいだけで、殺人がしたいわけじゃなかったみてぇだからな」
「いえ、殺人未遂がしたかったわけでもないと思います」
「いや……『弟子が強くなるのは嬉しいものだ。段々と殺し合いになってきて、うっかり殺しそうになる。半殺しで我慢するが、うっかり殺してしまってもいいかなと思う瞬間が増えたよ』と酒の席で褒められたことがある。……ん? 殺人がしたいんじゃねぇか、あいつ」
「いえっ! その! ロクサーヌ様はもっと……! もっと、落ち着いていて、高貴で、優しいお方で……! そりゃあ厳しいところもありますけど、そんな頭のおかしなお方じゃないですよ!」
「オレは何一つ嘘は言ってねぇよ」
「……」
「ともあれオレらの修行は『虫の大群に岩を投げて生き残った虫を選別する作業』だ。生き残る方が幸運なんだから、そんな分の悪いことをお前に試そうとは思わねぇ。わかるな?」
「……まあ、その……はい……で、でも、私は命を懸けてでも成したいことがあるんです!」
「そうか。それはお前の都合だ」
「……」
「オレはオレの都合でお前の安全を保障する。お前が命を懸けるのは好きにしろ。ただしオレはお前の命が失われるようなことはしない。それだけだ」
「こ、ここで、安全に、緩慢に朽ちるぐらいなら、私がこの島に来た意味がないんです! だって、こうしている今も世界は――」
「オレに情報をもたらすな」
「ううううううう! わからずや!」
「なんとでも言え」
「じゃあ、じゃあ、こういうの、どうです!?」
むくり。
レベッカは泥まみれのまま立ち上がり、強い意思を宿した瞳でこちらを見る。
「ルシアンさんに攻撃が当たるたびに、禁止事項を一つずつ解除してもらうっていうルールでやりませんか!?」
「オレにどんな得が?」
「このルールでやれば、私はすぐ強くなりますよ! 私があなたより強くなったら、あなたを連れ出すことをあきらめます!」
「…………あーっと」
「早く強くなったら、隙を見て『外に出よう』って言われなくて済むようになりますよ! そうしないとずっと耳元で『島の外に出よう』の歌を歌いますから! 作詞作曲は私です!」
「…………なるほど、得を示すんじゃなく損を回避できるって話か。ようするに恐喝だな」
「恐喝ですが何か!?」
「……まあ、いいだろう。オレには聖鎧の守護がある。どうせなら殺す気で来い。四日で『魔なる者』に勝つのは無理でも、殺す気の攻撃を四日間も続ければ、そこそこにはなるだろう」
「いいんですね!? 本当はいい攻撃が当たったのに『効いてない』とかごまかさないでくださいね!?」
「しねぇよ。……さて、お前に課した禁止事項は五つ。『オレを語るな』『オレに世界のことを語るな』『オレをおじいちゃんと呼ぶな』『オレの妻について聞くな』『オレの妻をおばあちゃんと呼ぶな』」
「はい」
「四日でオレに攻撃を当てる。五回も。……不可能に挑もうとしてることは、わかってるな?」
「最初から、私は不可能に挑みに来たんです」
「上等だ」
笑った。
笑ったことに、自分の口の端が上がったあとで気付いた。
どうやら、このゲーム――
存外、楽しめそうに感じているらしい。




