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追放された勇者は老いてから返り咲く  作者: 稲荷竜
二章 疎外されし者たち
14/22

14話

 ――どうせ、自分はみんなと違う。


 ふとした会話。他愛ない日常。酒を飲んで猥談を話している時。あるいは、肩を組んで勝利を祝い歌っている時。

 楽しい時間の最後に、ふと心に刺さるトゲがある。


 諦念。


 彼らの喜びがよくわからない。

 彼らの怒りがよくわからない。

 彼らの悲しみがよくわからない。

 彼らの想いが、全然わからない。


 勝利はいいことだ。戦いに勝つと心が沸き立つ。

 戦闘中の高揚は言葉では言い表せない。切り結ぶたび、敵の刃が眼前をかすめるたび、一段一段心が高いところへのぼっていくような感覚がある。口元には知らずのうちに笑みが浮かび、時間が引き延ばされて平時ではまずありえないほどの情報を頭で処理できるようになる。


 平穏の妙味もわかってきた。

 戦いはアガる(・・・)けれど疲れるものだった。一つの間違いで命を落とす極限状況――そこから解放されたあとの日常の素晴らしさは、思い返して初めてわかる。愛する女と睦言をささやきあう時間。まだ幼い子供を抱きあげてキスをするその時。独り身同士での酒盛り。そういった何気ない思い出こそが、戦いに出る者の心を支える芯となるのだ。


 なるほど、と思いながらそういう話を聞いている。


 そいつ(・・・)にとって『勝利』とは『完全決着』を指す言葉だった。

 だから戦闘一つ一つの勝利になど価値を感じない。


 そいつ(・・・)にとって戦いとはつらく苦しいだけのものだった。

 高揚などない。やっていることは殺し合いだ。目の前で敵が死に、横で仲間が死ぬ状況で、どうしてそこまで心が沸き立つというのか?


 平穏の妙味など、感じたこともない。

 戦っていない時間は常に焦燥に苛まれていた。『こうしている今も戦争のために誰かが傷つけられているんじゃないか』という思いは頭にこびりついて離れることはなく、何をしていても上の空で、次の戦闘のことばかり考えていた。


 ああ、だから――戦争が終わって、初めて『平穏の妙味』がわかった気がする。


 自分を焦らせるものは何もない。

 考えるべき次の戦闘もない。


 そいつ(・・・)はようやく、平穏の正体を知る。


『疎外感』。


 世界のすべてから離れて、世界の一切から疎外された今こそが平穏なのだと。





「やっぱり無理でしたね……でも、戦いにならなくてよかったです」



 ねぐらに帰るころには夕刻になっていた。

 オレンジ色の松明が、壁にかけられパチパチ爆ぜる。

 浅い穴蔵に時折吹きこむ風には湿気が混じっていて、これから強い雨が降ることを予感させた。


 茹でただけの野草と歯ごたえ以外に取り柄のない干し肉を()みながらの会話は、どこかよその世界のものに感じられる。

 なんていうか――穏やかすぎて。

 孫だという幼い少女と小さな鍋を囲む自分の姿を、客観的にうまく想像できなかった。



「ルシアンさん、戦闘になるかもって言ってたじゃないですか」

「……ああ、まあな」



 ぶちり、と肉を噛みちぎりながら応じる。

 目の前の小柄な少女は、リスのように干し肉の端っこを何度も噛んで眉をひそめたあと、



「なんていうか、ありがたかったんですけど、申し訳なかったんです。……そこまでしてもらうのか、って思って……」

「……お前がアナマリアのとこに行った時も、『そこまでした』つもりだがな」

「あれは、うーんと……たしかに私のために戦ってくれましたけど……基本方針が違う感じっていうか……」

「……」

「戦いになったらしょうがないとは思ってたのかもしれませんけど、実際に戦いになる可能性は低いって思ってませんでした?」

「……そうだな」

「でも今回は、そもそも戦うつもりだったように感じられました。自分から仕掛けるつもりはなかったんでしょうけど、戦いになる可能性が高い、みたいに思ってたような気がするっていうか……」

「ルールを忘れるな。『オレを語るな』」

「えええ……? い、今のは話の流れ的に仕方なくないですか!?」

「うるせえ」



 仕方ない、とは思う。

 ルールを持ち出して黙らせるような真似をしたのは、きっと恐れを覚えたからだ。


 自分でも理由は不明だけれど――

 アナマリアのもとに行った時を境にして、自分の心情に変化があるように感じられた。

 前までは『迎えが来るまで世話する』だったのに、今は『彼女をさっさと送り返すためにある程度努力する』というところまで、心情が変わっている。



「でも、やっぱり島の監督官さんは、私の出島(しゅっとう)を認めてはくださらなかったんですね」

「当たり前だ。お前が『頼んでみたい』とか言った時点で、オレもそう忠告した」

「そうですけど……でも、ほら、許可をいただけるならそれが一番いいじゃないですか」

「『許可をいただき』に行くせいで、島を出る意思があることを相手が察して、脱獄が難しくなるだろうっていう可能性も述べたはずだがな」

「そうですけど! ……それでもやっぱり、平和に解決できる道があるなら、試したいじゃないですか。きっと私のこれからの人生、『お互いに納得ずくで問題が解決すること』なんて、何回もないんですから」



 レベッカ。

 十歳にも満たぬであろう、幼い容姿をした少女。

 長く綺麗だった金髪は数日の監獄島生活で傷み始め、輝きはくすんできている。

 白い肌はどことなく血色が悪くなり、島の日差しに焼けたのか、赤みを帯びているように感じられた。

 最初からボロボロだったワンピースはついに裾や袖がほつれ始め、あちこち土で汚れてマーブル模様のようになっていた。


 少女にはきつかろう、この生活。

 ……彼女がここに自らの意思で飛び込んだらしいことは、だんだんとわかってきた。


 孫を使って勇者を説得する。


 そのやり口を提示したのが彼女かどうかは不明だけれど、少なくとも、彼女はそれに自分の意思で乗り、そうして実際にここに来ている。

 それに――


 ――きっと私のこれからの人生、『お互いに納得ずくで問題が解決すること』なんて、何回もないんですから。


 この幼さで、その諦念はなんなのか?

 ……島の外の状況が大きくかかわっているのだろうというのは、想像に難くなかった。



「……で、どうする? アナマリアはオレの聖剣を外せなかった。島を出る許可を監督官は出さなかった。お前の目的である『勇者を連れ帰る、あるいは聖剣聖鎧を回収する』は達成困難だし、そもそも島から出られる見込みも低い」

「……はい」

「脱出のプランはあるのか? あるいは、もっと簡単な達成すべき目標はあるのか?」

「私の目的は述べたものしかありません。あなたを連れ帰るか、聖剣聖鎧を回収する。……えっと、あなたがまだ聖剣聖鎧を所持していたというのはこの島に来て初めて知ったことで、本来は『聖剣聖鎧の隠し場所を聞く』だったんですけどね……」

「……そうだな。オレの中に聖剣聖鎧があることを知ってるのは、誰もいねぇ。察することができただろう連中はそこそこいるが……少なくとも誰かに言ったことはない。聖剣聖鎧が『どこでも自由に出せるもの』だと思われないように偽装はしてた」

「なんでですか?」

「敵を欺くためだ。そのために味方も欺いた」

「……」

「まあ、あとは……アドバイスに従ったんだよ」

「誰のですか?」

「…………妻だ」

「おばあちゃん!」



 おばあちゃん。

 レベッカが自分の孫だということは、自分の妻の孫でもある。

 それはわかっているし、だから『おばあちゃん』呼びはまあそうなんだろうが……


 ひどい違和感だった。

 なにせ、ルシアンの中で、妻の姿は若いままで止まっているのだから。



「……とにかく、オレより政治的なことに鼻の利く女だった。たぶんなんらかの筋書きがあったんだろう。今となっちゃ予想することしかできねぇが……たぶん、オレが王になったあと、強大な力を有したままだって周囲に知られることを避けたかったんだろうな」

「王様が強くてはいけないんですか?」

「少なくとも、あいつはそういう考えだったんだろう。……オレのことはいい」

「ルシアンさんのことじゃなくて、おばあちゃんのことですよ!」

「……新しいルールだ。あいつを『おばあちゃん』と呼ぶな。そして、あいつのことについてもたずねるな」

「ルールがどんどん増えるんですけどぉ!? ひどいと思います! みだりにルールの追加をするのはいかがなものかと!」

「うるせぇ黙れ。黙ってメシ食え」

「適度に食事を休まないと顎が疲れるんです! 干し肉硬いから!」



 ああ言えばこう言う。

 ……そのうるささに安堵を覚えている自分に気付いた。


 目的は達成できそうもなく、そもそも島を出ることさえ不可能だ。

 そんな状況だというのに、レベッカは絶望していない。

 まだ、あきらめていないのだ――さすがに『状況がわかっていない』わけではないと、ここ数日会話していてわかる。そこまでバカじゃない。


 彼女が苦境に直面する理由の多くは、彼女が正攻法を好むゆえだ。

 加えて言うならば、彼女の成したいことが、彼女の今持つ力を超えているせいだ。


 ……賢者を自認する者であれば挑戦前にあきらめるようなことに、彼女は挑んでいる。

 それは彼女の性分ゆえそうするのか。

 それとも、世界の状況が、年端もいかない少女を分不相応な目標に駆り立てざるを得ないほど逼迫しているというのか。



「……まあ、迎えが来るまでは、今まで通りだ。お前は好きにしろ。オレが守る。ある程度なら力を貸してやってもいい」

「ありがとうございます!」

「……禁止事項(ルール)も今まで通りだ。『オレを語るな』『オレに世界のことを語るな』『オレをおじいちゃんと呼ぶな』『オレの妻について聞くな』『オレの妻をおばあちゃんと呼ぶな』」

「禁止事項はどうやったらなくなりますか?」

「なくならねぇ。他に質問はあるか?」

「質問はないですけど、お願いはあります」



 レベッカが不意に居住まいを正した。

 碧い大きな瞳が真っ直ぐにこちらを見てきて、その視線の清浄さに、つい気圧される。



「……お願いってのは、なんだ?」

「私に戦い方を教えてください」

「……なんだと?」

「監督官さんとの会話は私も聞いていたんですよ。そばに隠れてろって言われたじゃないですか。だから、私も当然、知っています。……あの人は言いました。『勝利を更新せよ』と。意訳するに、『勝った相手に従う』と」

「…………まさか」

「私を鍛えてください。『魔なる者』に勝てるぐらいに。あと四日――船が来るまでに、どうにか。お願いします」



 レベッカが頭を垂れた。

 ルシアンは言葉を見つけることができず、そのつむじを見つめる。


 グツグツ、グツグツ、茹でた野菜が鍋の中で踊っている。

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