第二十一話 老臣の願い
「なんだ、コウモリ宰相か。まだ、トリエル人にもロルム人にもいい顔をしてるのか。そんなことろくな死に方をせぬぞ」
リンゲンから戻ったアルダリック・モラントはロレンス・クルスの顔を見ると露骨に嫌な顔をして言った。その目には生気に満ちており、敗戦に打ちひしがれているようには見えない。ロレンスは少し安堵したがそれをあくびにも出さなかった。
「年寄りが自分の歳を考えずに行動するほうがもっと始末が悪い、と思いますがな」
コウモリ宰相と呼ばれたロレンスは表情一つ変えずにアルダリックの敗北を責めた。この二人は歳の頃はほぼ同じであるが、歩んできた経歴はまったく違う。アルダリックがトリエル人らしく戦場で手柄を立てることで功績を積み上げてきた。反対にロレンスには大きな功績はない。だが、ロルム人とトリエル人から蔑まれながらも文官として堅実な働きをもって先王に仕えた。その篤実さを認められて彼はロルム人として始めての宰相になった。
「まったく口の減らんヤツだ。で、宰相サマがわしにどんな用だ。わしの負けを茶化しにわざわざ来たわけではあるまい」
「単刀直入に言おう。陛下のことだ。翻意は叶わぬのか」
ロレンスの眉間に寄せられた皺が更に深くなる。アルダリックはここで初めて苦い顔をして「無理だ」、と短く答えた。
六都市同盟への侵略が行われる直前、トリエル王ブレダ・エツェルは二人を呼び出してある決意を伝えた。
「ピートは奪う。そして一年は六都市同盟からの反撃を打ち払い続ける。それが俺たちに課せられた条件だ」
「この条件が満たされなければどうなりましょう」
ロレンスが尋ねると、ブレダは分かりきったことだというように冷たい微笑みを浮かべた。
「我が国は亡国への道を転げ落ちることになる。先の敗戦に飢饉、我が国の国力はもはや限界だ」
トリエル王国は、建国から少数のトリエル人が多数のロルム人を支配することで成立している。支配層であるトリエル人は兵となり、武力をもってトリエル王国に害をなすものを打ち払う義務がある。一方でロルム人は徴兵されることはない。その代わりに彼らは農業や商業に従事してトリエル人を養う義務がある。これらは初代国王アッティラが定めたこの国の仕組みである。
ゆえにトリエル人は血を流し、ロルム人は汗を流す、と呼ばれる。
トリエル人はロルム人が税として差し出す麦を受け取るのが常識である。それは飢饉であろうとなかろうと変わらず、一定量の麦を要求する。豊作であれば麦はトリエル人にもロルム人にも行き渡る。だが。凶作ではそうはいかない。収穫量に関わらずトリエル人は一定の麦を持っていく。麦はトリエル人には行き渡ってもそれを生産したロルム人には行き渡らない。
結果は悲惨である。
ロルム人は餓死し労働力は低下する。働き手が減れば当然、生産力は落ちる。しかし、トリエル人にはそんなこと関係がない。翌年にはまた同じ量の麦を要求する。そうなれば、同じことが繰り返される。生産力は減少の一途をたどり、その上に生きるトリエル人もだんだんと追い込まれる。
国力が衰退した先にあるのは、滅亡である。
ブレダは、いま起こる飢饉を防ぐことをしなければならない。
そのための方策が、六都市同盟への侵攻である。
「国内で死ぬ者を生かすために国外で人を殺し奪う。死者の付け替え。また、我が国は恨まれますな」
「いまでも蛮族と言われ恨まれておるわ。いまさら悪名の一つや二つ増えようと変わるまい」
渋い顔を作るロレンスに対してアルダリックはけろりとした顔をしている。このあたりが人種の違いなのか性情の違いなのかブレダには分からなかった。だが、苦言をはこうとロレンスも否とは言わなかった。
「今年の冬、そして来年の冬を越える食糧を獲ることができれば我が国は体勢を整えられる。そのための一年を俺達が稼ぐ。ロレンス、お前はその間になんとしても国内の水路や農地を整備しろ。それが未来を支える土壌だ」
ブレダはいつになく熱のこもった声で命じた。
「身命に変えてお引き受けいたします。ですが、一つ教えていただきたい。陛下はどのようにこの戦争を終わらせるおつもりですか?」
戦争をはじめるとなれば、その終わりも考えなければならない。ブレダの企図するようにピートを本拠地として六都市同盟内部で略奪を行えば当然、彼らは激怒する。その激情が収まらなければ、休戦を結ぶこともできずだらだらと戦争が長引くことさえあるのだ。
「俺の命を差し出すさ。なにより俺の命はほっておいても終わる。父上と同じ咳病だ」
ブレダがそれを示したとき、アルダリックとロレンスは二つの意味で言葉を失った。
一つはブレダが先王ルアと同じ咳病に罹っているという事である。咳病はトリエル王国に多い病である。最初は微熱や咳が続く。そのうちに体力が衰え、肺が犯され血を吐くようになる。こうなると残された時間は少ない。治療の方法は分かっていない。空気のいい場所で栄養を取らせていれば延命はできる。だが、完治することはないのである。
もう一つは、自分たちの王が歴代の王のなかでもひときわ変わり種あることである。歴代の王の中に自分の命を捨てて国を守ろうとした者はいない。だが、この若者は自分がすべての怒りや恨みといった感情を一身に背負う、という。それは生贄といって差支えがない。
「もうすでに吐血を?」
「ああ、そうだ。二年は持つまい。領地で咳病の民を見たことがあるが、血を吐くようになればそれくらい生きられれば良い方だった」
ロレンスとアルダリックはこの王に死んで欲しくはない。だが、ブレダが殺すこと以外に現状を変える方法は見つからない。
「陛下。それは陛下自らが六都市同盟に投降し、死刑になろうというのですか!」
答えの見つからぬままロレンスはブレダに問いかける。
「いや、俺の命を奪うのはトリエル――オルタルだ。俺は六都市同盟で悪逆の限りを尽くす。そして人々の恨みが俺に集まったところで、オルタルが言うのだ。この度の行いは愚王ブレダが一人で主導した。その行いはトリエル王国の恥であり、副王として人として認めることはできない」
ブレダは最後に「そして、俺の首を六都市同盟に送ればいい」、と他人事のように言った。
「ですが、それでは問題が残ります。一つは領有したピートを返還。二つに掠奪行為の賠償。このふたつを求められれば応じざるをないのではありませんか?」
ロレンスはできる限り感情を殺した声でブレダを問い詰めた。それをアルダリックが食い入るように見つめる。
「それは三つのことで抑える。一つは、俺がオルタルに討たれること。もし、俺が六都市同盟に討たれれば主導権はあちらにある。だが、俺を討つのはオルタルだ。六都市同盟は俺を討つのに何の功もない。功がなければ発言力は弱い。
次に遷都を行う。つまりトリエル王国の首都をピートを遷す。それは占領後、経済的にトリエルとの結びつきが強くなったあとにはなるだろう。だが、すでに相手の首都になった都市を返せとは言い出しにくいものだ。
最後に、六都市同盟を疲弊させていること。これが最後の課題だ。これはトリエルの兵力が維持されており、六都市同盟の兵力が削られている。それだけでいい。別に大勝でなくてもいいのだ俺が六都市同盟にたいして優勢な状態でオルタルに討たれれば、奴らは自分たちが勝てなかったブレダに勝ったオルタルはもっと強い、と思う。いくら口で強く出ても再戦となれば、六都市同盟は躊躇する。そのためには六都市同盟の兵力を奪うことが大切だ。この場合、兵力の過多は発言力に直結する」
しばらくの沈黙のあと、アルダリックが尋ねた。
「もし、その状況が作れなければどうされる? 例えば、ピートを陥せないとか」
「ピートが占領ができなければ撤退だ。だが、俺の予想ではピートを占拠し、その周辺を荒らし回ることまではできるはずだ」
ブレダの予想では、現状でトリエル王国が用意できる兵は一万程度である。この兵力で、六都市同盟のすべての都市を支配することはできない。支配することは、市民の反乱をおさえ、敵の反撃から都市を守ることである。大軍であれば容易であることも寡兵となれば難しい。
ゆえに支配するのはピートだけ。あとは奪えるだけ奪って始末する以外に方法はない。残せば六都市同盟が拾い直して使うのだ。敵の力を削ぐためには残すことさえ許されない。
「陛下の予測を我らが越えるようなことがあれば、違う未来を獲られましょうか?」
アルダリックは尋ねた。それは暗に問うものだった。
もし、六都市同盟が弱く。六都市同盟が降伏するようなことがおこれば、ブレダを殺さずに済むのか、と。それに対して、ブレダは「ああ」、と短く答えた。だが、それは万に一つの可能性であるようにロレンスには思えた。
ブレダの予想は希望もこもっているがおおよそ正しいのである。
「では、副王にもお話をいたしますか?」
副王であるオルタル・エツェルはブレダの実弟になる。先王ルアは平時の王としての資質は弟であるオルタルが相応しいとしたが、危難においてはブレダが王に相応しい、と評した。彼が兄を殺し王に登ることを考えれば、伝えておくべきなのである。
「不要だ。オルタルには王命である、と言え。そのための詔書も用意しておく」
ブレダはつまらぬことを聞くな、というようにロレンスを睨みつけた。
「分かりました。副王には私が必ずお伝え致します」
ロレンスは恭しく頷くとブレダを凝視した。それを眺めるアルダリックはこの詔書が不要になるようにしなければ、と思いながらもそれを口に出すことはできなかった。
「アルダリック。お前には最後まで迷惑をかける」
「どうせ、これが最後の務めになりましょう。わしも年老いました。最後に一花咲かせられるのは本懐というものです」
アルダリックは胸を張って見せたが、この先に起こることを思えば目がくらむ思いだった。ブレダは、六都市同盟との戦いにおいて勝利できるとは考えていないのだ。ベルジカ王国での敗北、そして今回の飢饉はトリエル王国に大きな打撃を与えている。いまブレダが六都市同盟に使える兵力は一万集まれば良いというものである。その程度の兵力では六都市同盟の都市をことごとく支配下に置くことはできない。ゆえに、ブレダの目的は穀倉地であるピートの支配とその周辺地域からの食糧や財の略奪のみに向けられている。
「まかせたぞ。アルダリック。俺たちがどれだけ六都市同盟を疲弊させられるか。それでトリエルの命運が決まるのだ。どのように言われようと負けぬ戦いをする。卑怯といわれても、非道と呼ばれても俺達はやり抜かねばならないのだ」
自分に言い聞かすようにブレダは一語一語を噛み締めるように言った。
「蛮族は蛮族らしくですな。二百年ぶりにロルム人の奴らも思い知るでしょうな。トリエル人がどれほど強く恐ろしいか」
「そうだ。彼らが恐れて籠城してくれれば時間は稼げる。ロレンスも頼んだぞ。俺がいなくともお前がオルタルを支えろ」
ロレンスは自身の肩に預けられたものの重さに潰されそうな心を悟られぬように黙って頷いた。この話し合いから一年、ブレダは自身が述べた予想をほぼ現実にしている。残されているのはピートへの遷都くらいのものである。だが、それはブレダの死と同義である。
「あれから一年。私は常に考えてきた。なんとか陛下を殺さずにすまないものかと。せめて安らかな死だけでも……」
トリエル本国は、ブレダの奪った食料や財のおかげで立ち直りつつある。まだ不足はあるにしても道筋はついているのである。ブレダからオルタルに血を流さぬ方法で王位を移譲できないのか。ロレンスはそのことだけを考えている。
「それはわしも考えてきた。行動もした。ピートを占領したのを皮切りに、会戦で軍を敗走させ、周辺都市を侵し、リンゲンを破壊した。だが、いまだに六都市同盟の心は折れず。ただ、陛下の予想通りに恨みと怨嗟は陛下に集まっている」
アルダリックの戦い方は、二百年前に彼らの先祖がこの地を襲った時と同じ手法である。あのときはそれで十数年に渡り、この地を奪うことができた。だが、いまはそれさえも叶わない。戦いのやり方もあの時と変わり始めている。重装騎兵という突破力の化物や射程の長い弩が現れている。
いやでも、認識しなければならない
もはや自分は古くなっている。アルダリックにはそのことが嫌でもわかる。「結局、わしは陛下の予測を超えることはできなかった」、とアルダリックは挫折を素直にもらした。
「そうか。結局、私たちは何もできなかったのだな」
「そうだ。わしらは何もできなかった。さらに言えばわしは最後の最後で負けた。これでトリエル軍は六都市同盟よりも強いとは言い切れなくなった。おそらく、陛下はもう一度だけ戦場に出る。わしの敗北を補うためだ」
それが、ブレダがたつ最後の戦場であることはこの二人には言うまでもないことだった。
「では陛下がピートをへの遷都を明らかにするのはその直前か」
遷都が明らかになれば副王であるオルタルもピートに入る。その時こそ、ブレダはオルタルに自分を討つように命じる絶好の機会である。そして、それはロレンスにとってもアルダリックにとっても自分たちの王を失うときなのである。
「コウモリ宰相。何かないのか」
いらだちを隠さずにアルダリックがロレンスの肩を揺する。
「策はなくはない。だが、うまくいくかはわからない」
「なんだ。勿体つけた言い方をする。はっきりいえ」
アルダリックは溜め込んだ鬱屈を大声に込めると、ロレンスは渋々といったような顔で口を開いた。
「陛下にご結婚していただく」
それはあまりにも突飛でアルダリックは目を見開いたまま固まった。




