第94話 午後7時、3戦目どちらが勝つのか④
それからしばらく、と言っても数分程度ではあったが、一方的に私が攻められる展開となった。
私は距離を取ろうと木を盾にしながら逃げるが、それを彼女自身も私を追いかけながら、宙を舞うナイフが追撃する。
辛うじてすべての狙いが頭上の紙風船に来ることが分かっていたから躱すことが出来たが、それでも紙一重だ。
そして、後ろからの追撃を躱し、かつ森の中では全くほとんど彼女を引き離すことはできない。
祈るような姿勢を取りながら追いかけてくるアイリスに、ほとんど一定の距離から追い回される形になった。
彼女は結界を展開しながら追いかけているのだろう。彼女の周りだけ、不自然に枝が弾かれている。
「逃げずに立ち向かいなさいよ!」
口々にそう言った言葉を叫びながらアイリスは私を追いかける。だが、立ち向かったところで結界が張ったままでは私の攻撃が届く事もない。
しかし、何故こんな戦法がとれるのならば、彼女は最初、離れていた距離から見えない私を狙おうとしたのか。最初からこの攻め方をすれば、私はどうしようもなかったはずだ。
飛んでくるナイフを避けながら。ふと先程の連花との会話を思い出した。
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「もう一つ、結界の奇跡。これは今回に関しては対処不可能です。人間の力ではどうすることもできませんから。」
「それなら、ずっと彼女が結界を張っていたら私は勝てなくないか?」
「ええ。」
平然とした顔で言い放つ連花に私は思わず呆れる。
「ですが、そんなことはないので安心してください。結界を維持するのには高い集中力を必要としますから。以前あなたを襲撃した時に一果と二葉で結界を張ってもらったのも、長時間の戦闘となった際、どちらかが結界を維持できなくなってももう一人で補うためです。」
あの時、2人がいたのはそう言う理由だったのか。
「てっきり、強度を高めるためかと思っていた。」
「もちろんそれもあります。ですがそれなら私は2重で展開します。それなら相手の不意を突けますから。」
「…………別に今更だけれど、殺そうとした側と殺されそうになった側でその時の話が出来るって、凄いね。」
少し引いた様子で私と連花の顔を見ながら槿は口にした。
私と連花はお互いの顔を見合わせて、小さく笑う。
「「確かに。」」
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つまり、彼女が最初にこの戦法を最初から取らなかったのは、『短時間しかできない』と考えるのが自然だ。だから最初は距離を取っていた。
当然ながら私の思考の間も、アイリスは攻め手を止めない。先程より速度は落としているが、その分複雑な軌道を描いて頭上の紙風船を狙う。
狙いが一か所しかないため躱すことはできるが、直線的な軌道よりタイミングが読みづらい。
しかも今更だが、身体の動きを加減しながら、というのも厄介だ。当たりそうな時に思わず全力で避けそうになり、それに気づいて加減する、という工程を挟むため動きがワンテンポ遅れる。
「いい加減当たりなさい!」
ずっと攻めているが攻めきれないアイリスも焦れてきたのか、彼女の苛立ちが目立つ。だが、その様子とは裏腹に攻め手は冷静だ。的確に、私の頭上だけを狙い続ける。
これだけ攻撃に集中しながら、結界を維持する、という行為には恐らく通常より集中力が必要なはずだ。
飛んでくる6本のナイフを躱し、また彼女と死角になる木に隠れようとする。しかし、目の前には1本のナイフ。
手に持っていたナイフだ。私がここに隠れることを予想して、仕込んでいた。直線の軌道で正確に頭上を狙う。
不意を突かれた私は倒れながら躱すが、その隙を狙って6本の銀線が飛んでくる。
先程より明らかに速い速度に、まずい、と転がるようにして躱す。僅かに逸れた地面に、ドスっという鈍い音が聞こえる。恐らく、これは渾身の一撃だったはずだ。
彼女の方を見ると、躱されると思っていなかったのか、驚いた表情とそのすぐ横に枝があるのが見えた。
今だ。
連花から渡されていた、浅黄の忘れていった野球ボールをポケットから取り出し、体制も立て直さず力強く放った。
防戦一方だった私の突然の攻め手と、予想外の遠距離攻撃、それに夜の森が私に味方したのだろう。彼女は反応が出来ず、直線を描く白球は、彼女の頭上の紙風船を貫いた。
「…………え?」
咄嗟の事に、アイリスはまだ事態を呑み込めていないようだった。
だが、集中力が切れたのか、真っ直ぐに地面に刺さるように立っていたナイフは、急に操る糸が切れたかのように地面に倒れた。
「3戦目、涼の勝利です!」
見えてはいたのか、10mほど離れた距離から連花の声が聞こえた。
私は精神的に疲れていたのだろう。地面に倒れたまま、上空を見上げる。
正直、今日一日ずっとアイリスに苦戦することはないだろうと思っていた。
だが、結果として1戦目は真っ当に負け、2戦目は不正をして勝利、3戦目は加減したとはいえ接戦だった。
どう考えても、実質私の負けだ。と思うが、口には出さない。




