第72話 朝8時、槿の部屋からいつ出るのか。
「だって、まさか涼が居るなんて思わなかったから…………。」
私の話を聞いて、槿は申し訳なさそうににカーテンを開けた言い訳を口にした。
「いや、つい流れで小言を言ってしまったが、君は悪くないし、気にしなくてもいい。むしろこちらこそ八つ当たりして申し訳なかった。」
寝ぼけていたのはなんとなく分かったし、そもそも勝手に部屋に入っていたのは私だ。その原因は二葉なのだが。
「涼も気にしないでいいよ。それに、朝から涼と居れるって、少し得な気がしてきたかも。」
「…………光栄な限りだ。」
真正面からそう言う彼女に、私は少し恥ずかしくなり、身体を丸める。それを見て、槿は優しく笑う。
「ところで、槿。朝食の時間ははまだなのか?」
私はそう言って話題を逸らした。時計は8時を指していて、大抵人間はこのくらいの時間に朝食を取っているイメージがある。
「いつもなら、そろそろだけれど。皆お酒を飲んでいたのなら、今日は私が作る番のような気がする。」
無根拠な自信を漂わせる槿に、私は強い不安を感じた。
「一応聞くが、君は料理をした事はあるんだよな?」
「ないけれど、いつも食べているから、多分作れると思う。」
間違いなく無理だ、ということは私でもわかった。
「とりあえず、二葉と一果を探さないか?君が許可してくれれば部屋の外にも出れるはずだ。それに、ずっと犬の姿でいるのも面倒だ。」
今のところさして支障はないが、誰かに見つかる前に人の姿に戻っておきたい。
「いいけれど、その変身辞める前に撫でてもいい?犬を触ったこと、一度もなくて。」
純粋な好奇心でそうお願いをする槿に、私はどうすればいいのか迷ってしまう。
当然、変身したとはいえ、身体構造は普段の私と変わりがない。つまり、変身した私を撫でさせるということは当たり前だが私を撫でさせる、ということだ。
だが、かといってここで断わると槿が犬に触る事が無いまま、一生を終えてしまう可能性がある。私を犬とカウントしていいか、については一旦考えない事にする。
「……わかった。だが、背中だけだ。」
自尊心と葛藤した結果、そういうことにした。私はソファから降りて、ベッドに座る槿の足元に座る。
「わ、意外とサラサラしてる。」
私の背中を撫でながら、槿は嬉しそうな顔をする。本来の姿で考えれば、相当どうかしている絵面ではあるのだが、彼女が嬉しそうなのでまあいいか、と私は大人しく撫でられることにした。
そのまま数分後、勢いよく槿の部屋のドアが開いた。
「つっきーおはよー!!ご飯出来たよ!」
アルコールが残っているのか、やたらと高揚とした様子で、一果は部屋に入ってきた。
「あれ?ボルゾイじゃん!どうしたのその子!?なんて名前?」
一果が手を伸ばし、顔付近を撫でようとしてきたので、私はその手を前足で払った。
「涼だ。」
「え、なんで犬になってつっきーに撫でさせてるの?そういうプレイ?」
揶揄う(からかう)意図ではなく、本当に困惑した様子で一果は私と槿を交互に見つめる。
その言葉の意味と、現在の状況を理解したのか、槿は恥ずかしそうに私から手を離し、顔を赤くして俯いた。
「何をしてるんですか、変態カップル。」
そう言いながら、私をここに入るよう差し向けた張本人が、平然とした顔で現れた。恐らく、最初から一果の後ろに居たのだろう。
「槿が犬に触ってみたいと言ったからな。私で代用しただけだ。」
「え、頭大丈夫?」
一果は本気で心配そうな顔をしているが、きちんと説明するのが面倒で、私はまた話を逸らした。
「ところで、あれだけ飲んでいたのに今はもうアルコールが抜けたんだな。」
「祈ったのでワイン分のアルコールが抜けたのです。」
「頭大丈夫か?」
まだアルコールが抜けていないのか?と2人の顔をまじまじと見つめる。
「いや、冗談じゃないって。『聖十字の奇跡』にそういうのがあるんだよ。」
本当に冗談を言っている様子では無いので、私は逆に困惑する。『聖十字の奇跡』自体は何となく知っている。
『結界』、『浄化』等の、除霊をする際に用いるエクソシストが用いる奇跡の力。その中に、アルコールの分解を助ける物がある、と言うのはあまり信じる気になれない。
「とりあえずさ、つっきー朝ごはん食べるでしょ?」
そんな私を無視して、一果は話を進める。
「うん。食べたいかな。涼はどうする?一緒に来る?」
正直行った所で食事をとる訳にもいかないし手持ち無沙汰だ。だが、先程までの会話で眠気も覚めてしまったし、行かなければいよいよ何もすることがない。
「そうだな。いい加減、犬の姿も飽きた。二葉、他の部屋に入る許可を。」
「ああ、そうでした。」
すっかり忘れていた、という様子で、私が他の部屋に入る事の許可を出す。呆れながら、私は人の姿に戻り、3人の後について行った。




