第62話 私の投げる直球
困ったことに、ぐうの音も出ない。この間遺アクスタを持ってきた人物とは思えないくらい、筋の通った言い分だ。私は考える時間を稼ぐために、とりあえず言い返した。
「槿さんの話は嘘ではありませんよ。」
出来るだけ自然に彼に伝える。
「何も誇れる事は出来ていないが、それでも僕は槿の父親だ。それに、彼女の事は小さい頃から知っている。彼女の言っている事が嘘かどうかくらい分かるつもりだ。」
真っ直ぐ私を見つめながら、浅黄はそう言い切る。槿の父だと言い、槿の事を理解している彼の言葉を聞いて、私は嬉しくなる。そして、自分のその感情に驚いた。私は、いつからここまでーーー。
「楓と菖の前ならば正直に話すのではないか、と思ったが、この間2人を持ってきても、彼女の受け答えは変わることはなかった。」
言葉の節々に、少し寂しそうな感情が感じ取れる。この間の遺アクスタにそんな意味があったのか、と同時に至極真っ当な疑問が頭に浮かぶ。
「理由はわかったのですが、何故わざわざアクリルスタンドに?」
「若い医師に聞いた。昨今の文化で、自身が好意的な印象を持つ人をアクリルスタンドにして持ち歩く事があると。なので、今回の為に遺影はかさばると思い、発注しておいた。結局、遺影も持ってきたが。」
そういえば、彼は槿の世話になっている看護師から『一家団欒は一緒に食事をとる事』と言われ、病室で無言で食事をとる、という謎の行動に走ったというのを聞いた。今回の遺アクスタに関しても、同様だった訳だ。そして恐らく、このキャッチボールに関しても誰かからの入れ知恵なのだろう。
「槿はあなたの行動を恐がってましたよ。『もう父と呼べないかも』って。」
「なっ!?」
初めて、彼は表情を崩す。一瞬驚いた顔をして、その後落ち込んだ表情を見せた。
「確かに、あの後から僕の事を『浅黄さん』と以前と同様の呼び方をしていたな……。しかもどこかずっと上の空だった。あれは『僕の質問』に動揺していたのではなく、『僕』に動揺していたのか……。」
彼の慌てっぷりに、私は思わず吹き出した。瞬間、浅黄がこちらを睨むように見つめるため、私はすぐに必死で笑いをこらえる。彼は咳ばらいをして、また無表情に戻る。
「話が脱線してしまった。それで、君たちが何を隠しているのかを、教えてほしい。」
彼は、また真っ直ぐこちらを見つめる。どうすればいいか、私は悩んでしまう。本音を言うと、彼に真実を伝えようかと思っていた。私が吸血鬼であることから、槿の死を、自死の為に、利用していることまで、全て。彼の槿を想う不器用な愛に、私は誠実さで答えたかった。
ただ、それを伝えると、彼自身の日常を脅かす可能性があるという危惧と、槿の身を案じて、私と彼女を引き離そうとするかもしれないという打算がそれの邪魔をした。
しばらくの沈黙の後、私は口を開く。
「…………確かに、私達はあなたに嘘をついています。ですが、そのことで槿さんが被害を被ることは、絶対にありません。私が、絶対にさせない。それに、私は、最期まで、必ず槿の傍にいることを誓う。」
…………自らの、死の為に。
「それが、私が今あなたに伝えることが出来る、精一杯の誠意です。これだけは、信じてもらえませんか?」
彼の真摯な気持ちに、打算混じりの言葉で返すことがあまりにも情けなくて、私は目を反らしそうになるが、それでも彼を真っ直ぐに見つめ、私は答えた。
浅黄はしばらく私を見つめた後、「そうか。」と小さく返し、おもむろに、グローブから白球を取り出して、私に投げ返す。
彼の突飛な行動に慌てながら、飛んできたボールをキャッチした。
「…………え?」
ボールをキャッチして、私は数秒固まっている私を見て、浅黄は少しだけ笑った。
「先程言ったように、息子とキャッチボールしたくてな。これからも、私達の大切な娘をよろしく頼む。」
そう言って、浅黄は頭を深く下げた。それを見て、私も慌てて頭を下げる。
「でも、どうして…………?」何故、そう言ってくれたのか、私にはわからなかった。
「君と出会ったであろう時期から、槿が楽しそうなのは確かだ。それに、以前君が言った『槿を愛してる』と言う言葉と、今の言葉は本心に感じた。以上の理由から君を信じることにした。」
彼の発言に私はどう答えればいいのかわからない。彼の言った言葉を反芻して、恥ずかしさや嬉しさよりも先に、得体の知れない恐怖がよぎった。何故だかはわからない。彼から見ても私が槿を愛しているように見える、ということはそれだけ本気で彼女を想えているということだ。それは、本来の目的が順調であるということだ。
戸惑いを隠しきれない私を見て、また浅黄は薄く笑う。
「僕も大概な自覚はあるが、君も相当自己理解に乏しいらしい。なにか相談したいことがあれば、いつでも頼ってくれていい。槿の大切な人ということは、君は僕にとっても大切な人物だ。」
「あ、ありがとうございます。」
どこかモヤモヤとした気持ちのまま、私は彼の親切心に礼を言い、ボールを投げ返す。
「岸根君。話は変わるが。」
言葉の応酬とともに、ボールが行き交う。最初のぎこちなさが少し消えて、多少のモヤモヤは残るものの、私はキャッチボールというものを楽しむ余裕が生まれる。
「なんですか、浅黄さん。」
「どうすれば、槿にまた父と認めてもらえるだろうか?」
「…………。」
今度は私のグローブにボールが収まった状態で、浅黄を冷めた目で見る。浅黄は、無表情のまま少し気まずそうに目を反らした。
先程までの堂々とした様子とあまりにも異なっていて、少しだけ笑ってしまいそうになる。たまに、槿がわざと私を困らせることを言ってくる理由が少しわかった気がする。
「アクスタを捨てて、そういうことをした理由を素直に説明すればいいんじゃないですか?」
先程までの山なりの軌道ではなく、敢えて直線気味のボールを投げた。浅黄が捕球できる程度に、手加減した速度で。




