第49話 君にされた頼み事
少し雑談をした後、10時半になったのを見て、椿木の花屋へ向かう。
以前、槿が椿木と営業時間について話したことがあるらしく、その時に11時閉店と言っていたそうだ。ここから花屋のある繫華街まで10分とせずに到着するが、もしかしたら早く閉めることがあるかもしれない。念のため、私は少し早い時間に教会から出ることにした。
住宅街、病院を越えて繫華街の中にある椿木の花屋の目の前にある建物の屋上にたどり着く。スマホを見ると10時35分で、思ったより早くついてしまった。周囲の人間には気付かれることはないが、椿木には気付かれる可能性があるため、路地裏からこっそりと地表に降りて、椿木の様子をうかがう。
店内には相変わらず客がおらず、椿木は店内の花に水をあげたり、店の奥に座ってリボンを作るなどをしていた。いつも騒がしい印象だが、一人の時は特に喋らず、黙々と作業をしていた。当たり前だが、珍しいものを見たような気持になる。
しばらして時計を確認した椿木は、シャッターを下ろそうと、先端にフックのついた棒を持ち出し、店頭に向かいだした。その機会を見計らって私は彼女の前に姿を見せる。彼女は私に気付いた後、一瞬明るく笑い、そのあとすぐにはっと気づいたような表情をして、目線を反らした。
「お久しぶりです。岸根さん。」
いつもは感嘆符がいくつもつくような喋り方をしているが、声が露骨に暗い。槿の事を気にしているんだろう。が、まさかここまで気にしているとは思わなかった。
「久しぶりだな。少し、話したいことがある。少しだけ時間をもらえないか?」
私がそう言うと、彼女は一度もこちらを向かずに、「もう、閉店時間なんで。この後も予定がありますし。」と言って、シャッターを閉めようとする。予想外の拒絶に、私は慌てて彼女を引き留めようと言葉を選ぶ。
「槿は、気にしていたぞ。椿木に嫌われたんじゃないかと。」
その言葉を聞いて、彼女は身体を硬直させる。彼女の背中が、罪悪感に震えているのがわかる。あとはその罪悪感に訴えれば話は聞いてもらえそうだ。
「彼女を嫌いになったわけじゃないなら、話を聞いてくれないか?嫌いになったというのなら、話は聞かなくていい。槿にも、椿木には事情があるという風に伝えよう。」
再び言葉に反応したように、彼女はこちらを振り向いた。
「槿ちゃんを嫌いになるわけないじゃないですか!!」
肩をいからせながらそう言う彼女の目からは、大きな涙が連なり、一筋になり目から零れ落ちてた。よく泣く人間だったが、こういった泣き方をするのは初めてで、思わずうろたえてしまう。
「でもっ……、どうすればいいか……わからなくてっ……。」
私は狼狽しながら、人間は面倒な生き物だな、そんな吸血鬼らしいことを私は思う。互いに思いあっていても、相手の気持ちがわからないから上手く距離を埋めることができない。ただ思いをそのまま口にすれば、それで解決するのだが。
「だったら、誰かに相談すればいい。丁度目の前に、暇で槿の事も椿木の事も知っている男がいる。どうやらその男も君と話をしたいらしい。」
冗談めかして、私は彼女に言った。そんな私を見て、椿木は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、
「そんな感じでっ、女の子と接していたら、いっ、いつか……槿ちゃんに怒られちゃいます……よ…っ。」
と指摘される。
君の事で、一度怒られそうになったんだ、と喉から出かかるが、なんとか堪える。あの時は怒る、というより冷戦という表現に近いが。それにしてもよくあの後槿と椿木は仲良くなったものだ。
「大丈夫、今回は彼女公認だ。幸い怒られる事はない。」
私がそう言うと、彼女は無言で、店内に入るように促す。私が店内に入ると、椿木はシャッターを閉めようとまた店頭の方に向かい、私は店内の適当な椅子に腰かけた。槿と椿木の様子を比べるに、どう考えても椿木の方が気にしているように見える。面倒だな、と内心ため息を吐く。私の予想だと、
『槿は気にしてないらしいから、ご祖父母も一緒に花見に来るといい。』
『マジですか!うれしいっす!!絶対いくっす!!』
で終わりのつもりだった。が、罪悪感、拒絶、号泣でようやく話に入ることが出来るとは。
ガラガラとシャッターが閉まる音がして、椿木は私の目の前の椅子に座った。少し落ち着いたのか、相変わらず暗い顔をしているが、泣きじゃくってはいない。あのままだと話し合いにならなかったので、胸を撫でおろす。
「…………話って、なんですか?」
椿木は、わざとぶっきらぼうにそう私に訊ねる。不機嫌というより、何か傷つくことに怯えているような、そんな印象を受けた。
「遅くなってしまったが、君と祖父母にお礼を兼ねて教会での花見に誘おうと思ってな。再来週の4月5日の17時からだ。良ければ来てくれないだろうか?教会のシスター達も君と仲良くなりたいと言っていた。」
また槿の名前を出したら泣かれる気がしたので、あえて槿の名前は出さない。
「私と仲良くしたって、いやな気持ちになるだけです。だから私は行きません。おじいちゃんとおばあちゃんには聞いてみます。それでいいですか?」
彼女は、何かを拒絶するようにそう言い放つ。どこかその言い方から、根深い彼女の闇と、強い拒絶を感じた。そして、それは私にどうにか出来ることでは無い。
「椿木、2つ聞きたい。槿は、今も好きか?」
「…………大好きです。本当は、また会いたいです。」
「花見の日は、君の感情を除ければ、行けはするのか?」
「……まあ、特に花束の予約も入ってないですし、お店を休みにすれば行けます。」
「そうか。」
槿が嫌いなわけではない。仕事で行けないわけでもない。あとは、彼女の気持ちだけ。であれば、私がする事は彼女の説得ではない。
「椿木、格好付けて相談に乗るなんて偉そうなことを言った手前、本当に情けなくて申し訳ないのだが、残念ながら、君を悩みを解決する言葉を持たない。」
槿は、急に言っていることを変えた私に、驚きとも困惑ともつかない顔をする。彼女の態度は最もだ。
だが、私が彼女と会ったのはこれで3回だ。槿の友人というだけで彼女自身にも対して思い入れはないし、彼女も会う回数が少ないにしては好意的な印象を持ってくれてはいるだろうが、それでもせいぜい槿の友人といった印象だろう。
その私が説得しようとして、もしかしたら日数をかければ彼女の態度を変えることが出来るかもしれないが、それでは花見に間に合わない。それでは意味がない。
槿は、これが最期の花見かもしれない。それに、私は槿の悲しそうな表情がどうやら苦手らしい。だから、椿木には来てもらわないと困る。そうすれば、きっと彼女と槿は元の関係に戻れる。2人とも、それを望んでいるはずだ。
「……えっと、それで岸根さんはどういうつもりなんですか?」
おずおずと、彼女は私に訊ねる。それは決まっている。来てもらうつもりだ。多少、人の道から外れる方法であっても。
「こうするつもりだ。椿木、『君は先程伝えた日程の花見に、必ず参加する。』」
もう一つの喉を使う感覚。その声を聞いた椿木の目は眠そうな、とろんした目付きになる。
「……はい。分かりました。」
催眠は、無事効いたようだ。椿木はすぐに元の目付きに戻り、ハッとした顔で、少しだけ眠ってしまったかのような、どこか少し慌てたような表情をする。
「それじゃあ、日曜日は楽しみにしている。」
「え、ああ、はい。おじいちゃんとおばあちゃんには聞いてみます。私は、『必ず行きます。』私と仲良くなっても、嫌な思いをするだけですけど。」
相変わらず、ぶっきらぼうに彼女は返事をする。これで、私の役目は終わった。後は椿木と槿の2人で話し合うことだ。
椿木に別れを告げて、店から少し離れた路地裏に隠れた後、私はまた夜の空に消える。
まだ少し肌寒い春の空気を感じながら、連花には怒られるな、なんてことを考えた。




