第118話 桃李満門だった私達から⑦
「連花くん、そろそろ休憩にしようか!ちょっとトイレ行ってくるから、先におにぎり食ってていいからな!」
椿木小春の祖父にあたる秋近が、大きな声で私に声をかける。
「はい!承知いたしました!」
顔に着いた泥と汗を拭い、私は返事を返す。涼との模擬戦を終えた次の日の早朝。私はいつものように椿木家の農園に手伝いに行っていた。
昨日とはうって変わって春らしい陽気で、鳥のさえずりが聞こえる。農園の花達も空の青によく映えて、生き生きとしていた。
涼との模擬戦を終えた翌日の朝。私は、椿木家の手伝いに来た。もちろん、前日にアポイントは取ってから来るようにしている。やることもないのに言っては迷惑なだけだ。その辺りの良識は持ち合わせている、はずだ。
「それにしても、この頃連花くんがよく来てくれて助かるよ。丁度花の植え替えをしたかったんだが、人手が足りなくてな。」
縁台に腰掛け、椿木の祖母であるなつが作ったおにぎりを手に持った私に秋近はそう言い、腰をさすりながらおにぎりの置いてあるお盆を挟んで私の隣に座る。
どれが何の具かを探るように迷っているが、恐らく外見からだと判別が出来ないような気がする。
ちなみになつはお盆に乗せたおにぎりを置いた後、秋近と似たような事を言うと台所の方に戻っていった。
「いえいえ。こちらこそ、こうして美味しい食事もいただけますし。…………これが昆布で、これが梅ですね。あとの2つは鮭です。」
「………毎度思うが、よくわかるよな。」
驚き混じりの表情で私の足先から頭を何度も見返す。
「他の人より少し、鼻がききますので。」
私は手に持った昆布おにぎりにかぶりつく。塩がよく効いていて、お米が甘く感じる。それに塩味が数時間前に涼と模擬戦をしてから畑仕事をした身体にじんわりと沁みる。
「美味そうに食うよな。前、婆さんも喜んでたぞ。」
カラカラと笑いながら秋近は麦茶を啜る。
「本当に美味しいですよ。なつさんのご飯は。いつも作っていただける秋近さんが羨ましいです。」
「はっはっは!やらねえからな?」
彼のその発言を冗談とするにはあまりに目が笑っていない。本気ではないよな、と思わず苦笑いをして誤魔化す。
素敵な女性だと思うが、不貞行為は信仰で禁止されている。それに、これは些細な問題ではあるが少し歳が離れすぎているように思う。具体的には、50歳ほど。
それからもう少し休憩してまた数時間植え替えを再開した。すると、
「ただいまです!あれ、今日も連花さん来てくれたんですか!?」
と元気な声が聞こえ、私の心臓は密かに跳ねる。彼女、椿木小春がまさしく咲くような笑顔で大きく手を振っていた。
早朝から依頼のあった花の配送に出かけていた彼女が戻ってきたのだ。
小さな身体で必死に手を振る彼女は小型犬のような愛くるしさがあり、私は顔が綻びそうになる。
惚けた顔にならないように必死で愛想笑いを浮かべ、私は取り繕った喋り方をする。
「ええ、最近こちらに来る用事が多くて。丁度、お忙しい時期でもあるようでしたから。」
とてとてと私の方に近づいてくる彼女に胸が愛おしさで胸が圧し潰される。病室で彼女に一目惚れをしてから、会うたびに増す彼女の魅力に私は恐怖すら覚えた。
「それでいっぱいお手伝いに来てくれるって、本当に連花さんて優しいですね!」
存在そのものが花の妖精のような彼女は満面の笑みでそう言った。私に信仰と使命がなければ、思わず愛を伝えていただろう。そう思う程私の心は彼女の笑顔に貫かれた。
「いや、あの、そんなことは…………。」
顔が熱くなるのを必死に抑えようと、私はにやける口元を手で隠すように目線を反らす。たまたま反らした先ににやにやとこちらを見つめる秋近がいて、私は我に返る。
小さく咳払いをして、心を落ち着ける。思い出すんだ。私はそもそもここに手伝いに来ていた事を。
小首を傾げ上目遣いで不思議そうに私を見つめる彼女に、聖十字教団の司教としての堅信と誇りを思い出しながら必死で平静を保つ。
「私はそろそろ作業に戻りますね。椿木さんは、この後どうされるのですか?」
「私も手伝います!一緒に頑張りましょうね!!」
眩い彼女の笑みを見ながら、私は再び思う。ああ、私に信仰と使命さえなければ。




