第107話 桃李満門だった私達から③
「ーーーーということで、恐らく近日中に本国から資料が送られてきますので、資料に類似したケースがありましたら連絡致します。」
いつものように教会の森で涼との模擬戦を終えた後、お互い座りながら今日の翌朝にあった出来事を彼に伝える。
「手間をかけて申し訳ない。感謝する。…………しかしなんというか、君の上司も大概だな。」
「まあ、あなたの真祖に比べれば圧倒的にマシですよ。それに、たまにこういう時があるだけで、普段は大変優れた方です。上司としても、人としても、エクソシストとしても。」
これは心の底からの言葉だ。きっと私があの人の言葉を理解できないのも、私の能力が及ばないからなのだろう。それにしても、もう少しわかるように伝えてほしい気持ちはなくはないが。
私のその言葉を聞いて、涼は肩を落とす。
「そうか、羨ましい限りだ。央に関しては明らかに問題があるからな。上に立つものとしても、人格にも。」
そう言って苦笑いを浮かべる彼は、『吸血鬼としても。』とは彼は言わなかった。吸血鬼らしくあることを是としないのか、それとも、私相手だから遠慮したのか。
エディンムを彼に殺させる。
なにかそれを提案する方法がないか探るために、私は模擬戦後に毎回彼と会話をするようにしていた。
だが、その度にわからなくなる。
「本当に、彼が死んでくれればもう少し私としても気が楽なのだが。」
…………涼が度々口にする、こういった言葉が本心なのか、それとも何かの罠なのか。
「それだけ嫌われてるならば、過去に眷属が謀反を起こしたことがありそうですが。そう言ったことはないのですか?」
そう訊ねると、彼は少し複雑そうな表情を浮かべ、
「いや、聞いたことがないな。それに、他の眷属も実際に見たことはない。」
と目を逸らしながら答えた。
ずっとこのような感じだ。涼の口からはエディンムへの愚痴や『死んでほしい』という言葉は度々出るが、どこかその言葉にはある種の諦観のようなものが見える。
『学校に爆発してくれれば行かなくて済むのに。』と学生が呟くように、『石油王と結婚したい』と社会人が呟くように。他力本願な願いを叶わないと知りながら口にする、そんな一種の諦めや慰めに近いものが見える。
涼のエディンムへの恨み節は少なからず本心ではあるだろう。それでいても、彼はエディンムには生きていてほしい、と思っている可能性すらある。
12月に私が彼を殺そうとした時、エディンムは彼を守ろうとしていた。そのやり方はかなり悪辣であったし、私としてはいまだに思い返すたびに腸が煮えくり返るような思いがするが、それでも彼の行動は涼を守ろうとする行為であったことには違いない。
涼もそれを理解しているだろう。だからこそ、もし私が『エディンムを殺しませんか?』と涼に提案した場合、彼は首を縦に振らない可能性の方が高い。
『学校が爆発してほしい』と訴えている学生が実際にダイナマイトを持った人が学校に入るのを見たら通報をするように、『石油と結婚したい』と呟く人が実際に突然求婚されたら二の足を踏むように。
それどころか、エディンムにそのことを話す可能性だってある。そうなれば最悪だ。休戦が継続されたとしても、奴は報復として、一般市民を殺すことだってある。
そうなれば流石に天竺葵大司教も大々的な動きをする必要が出てくるだろう。もしエディンムとの本格的な戦争となれば、どれほどの死者が出るのか、想像しがたい。
だからこそ、私は彼の本心が分かるまで、そのことを切り出すことが出来ない。
「そういえば。」
涼のその言葉を聞いて、はっとして彼の方を見る。
「はい、なんですか?」
「あ、いや…………。」
自分から話を切り出しておいて、何故だか言いづらそうにしている彼に違和感を覚える。
「…………椿木とは、どんな感じだ?順調か?」
彼の先程の態度が少し気になるが、その名前を聞いて少し心臓が跳ね、顔が赤くなるのを感じる。
槿の病室で偶然出会った、小柄で、溌剌とした女性。その咲くような笑顔と、大きな花束を持っていた彼女は、花の妖精のようだった。
そして後日涼に頼まれた農園の手伝いに行った際、そこが彼女の祖父母の家であると知った時は運命を感じずにはいられなかった。
主に深い感謝の祈りを捧げてしまうほどに。
以来、涼との模擬戦の後には農園に手伝いに行っている。もちろん、隣人を愛せよ、という教えに従って。
………会えたら嬉しい、という気持ちも無くはないが。
「……大分、仲良くはさせて頂いてます。恐らく友人としてしか見られていませんが。」
「脈ナシ、というわけか。」
そう言ってからかうような表情を見せた。自分が槿と上手くいっているから余裕なのか、鼻につく態度だ。
「本物の脈無しに言うと説得力がありますね。」
僻みから私は、皮肉めいた返しをした。それにしても、私から椿木の話をすることはよくあるが、彼からその話が出るのは珍しいような気がした。
彼は小さく笑い、不意に立ち上がった。
「さて、そろそろ私は帰るとしよう。」
「いつもみたいに槿さんに会ってから、ですか?」
今度は私がからかうように彼に言った。
「うるさい。脈ナシだってどうせ明日会いに行くのだろう。」
「ええ。いずれ脈アリになるかもしれませんし。もちろんそれだけが目的ではありませんが。」
教団の教えに従っているだけだ。私個人の感情はあくまでついででしかない。
「……そうだな。そうなる事を、私も願っている。」
どこか含みを持たせる彼の言い方が、私は気になったが、それでも純粋に私を応援してくれている。そう思っていた。
もしこの時に、私が彼の異変に気付いていれば、もう少し、あんな事は起こらなかったのかもしれない。
だが、それでも過去は変えられない。『全ては流れの一つでしかない』のだから。




