第105話 繰り返す醜態
「とにかく。」
電話越しの連花は、仕切り直すようにそう切り出した。
「『現状、全て憶測でしかない』というのが、現時点の結論です。『適応』が本件に関係するのか、私達との時間が影響しているのか。それとも、また別の要因があるのか、全てが不明です。」
強い口調で彼はそう言い放ったが、やはり私は先程の『私が人間に近づいていっている』、という仮説が正しいような気がしてならなかった。
「結局、役立たずでしたね、めーちゃん。」
からかうように二葉は連花に言った。
「あのですね。二葉には前に話したと思いますが、ただでさえエディンムの眷属は情報が少ないんですよ。数が少ない上に、個体毎の特性があまりにも異なっているし、エディンム自体の情報も少ないんです。」
「そう言えば、お耳にした気がしますわ。」
「そうなのか。」
なんとなく、唯一生き残った真祖であるし、彼に関する情報が一番多く集められているものだと思っていたが。それにしても二葉はまだお嬢様言葉になってしまうのか。いい加減不憫だ。
連花は深くため息を吐いた後、愚痴をこぼすように答えた。
「エディンムは、表に姿を出していない期間が多過ぎるんです。一応、2000年前には既にエディンムらしき情報が載っていますが、その都度姿や特性も異なっており、ヴラドが現れるまで『エディンムとは吸血鬼にとって『王』や『真祖』を意味する』が最も有力説だったくらい空白の期間が多くあります。」
そのもどかしさからか、彼の声は苛立って聞こえる。というか、それを私に話しているというこの状況に苛立っているのかもしれない。
「そのせいで過去の歴史で何度『栄誉と堅信の右手』エディンム生存の証明にならないと疑われたか……。」
そう連花は愚痴をこぼす。恐らく、彼の切り落とされた右腕の事だろう。毎度の事ながら教団連中は大仰な名前を付けるのが好きだな、と呆れた気持ちになる。
話が脱線したと気付いたのか、彼は咳払いをした。
「話を戻しますが、過去に似た事例がないか本国の資料も取り寄せて調査します。何か分かりましたらすぐにお伝えいたしますので、それまでは憶測で行動しないようにお願いします。分かりましたか、涼。」
彼はそう念入りに釘を刺してきた。『人間になれるなんて期待をするな』と、そう言いたいのだろう。
「……分かっている。」
分かっている。私にだって、それがほとんど有り得ない薄い希望だと言うことも。
「もし眠れない日がまだ続くそうでしたら、しばらく私の活動拠点をそちらに移します。模擬戦の回数を増やしたかったので丁度いい。」
そう言う彼の声色は、どちらとも読めなかった。その事を望んでいるとも、そうならなければいいと思っているとも。
ただ、淡々とそう口にした。
「分かった。毎回暇つぶしに槿の睡眠を妨げるのも迷惑だろう。こちらとしてもその方が助かる。」
これは半分本心だった。
「全然、気にしなくていいのに。私は毎日涼と会えたら嬉しいよ?」
そう言って恥ずかしそうに少し笑う槿を見て、私も思わず頬が緩む。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、君の体調が心配だ。少しだけ顔を見せてくれるだけでいい。」
「……うん、嬉しい。」
「………本当にバカップルみたいなやり取りをやられると、逆に困るのです……。」
「二葉の言う通りですね。これはバカップルです。」
冷めた表情で私と槿を見つめる二葉と、スマホの向こうでそれに頷く連花が見えたような気がした。
「これ以上バカップルをされても困るのでとりあえず今日は解散なのです。後はめーちゃん頼りです。」
「役立たずと言ったり頼ったり、全く酷い幼馴染です。」
「めーちゃん大好きだよ///頑張って!ちゅっ。」
それらしい声色で、完全に無表情のまま二葉は唇に手を当てて、離すと同時にキスをするような音を出した。
恐らく愛情表現の一種なのだろう。彼女は間違いなく悪ふざけでやっているが。
「ありがとうございます。私も大好きですよ。ちゅっ。」
電話越しに連花はそう返した。
「えぇ……。きっ……うん……。」
初めて見る程に槿は連花のその対応に引いているのが見てとれる。彼女もこんな顔をするのだな、とまた新しい彼女の顔を見る事ができた。
いや、この顔に関しては別に知らなくても良かったな、と思い直す。槿が可哀想だ。
ただ、槿の言いたい事は身に染みて分かった。連花がやると、少し洒落にならない気持ち悪さがある。普段真面目な人がやると、普段との差が生まれる分気持ち悪くなるという知見を得た。
正直、別に得たくはなかった。それ位に、気持ちが悪い。
「………切ります。ではまた。」
そう言ってバツが悪そうに連花は唐突に通話を切る。画面に表示される『通話が終了しました』という文字と、空間を支配する完全な静寂。
「という事で、今日はいい時間にもなったしそろそろむーちゃんも寝るのです。涼も今日はさっさと帰るのです。」
一切先程の連花には振れず、二葉は私たちにそう指示した。
「そうだね。流石に私も少し眠いかも。」
時間を見ると1時を過ぎていた。大体最近私が帰る時間もこの位であるし、私も大人しく従う事にした。
「そうだな。今日は帰ることにしよう。」
「あ、ねえねえ涼。」
槿は少し顔を赤らめながら、口角を上げて私の肩を叩いた。
「何だ、どうした?」
「おやすみ、ちゅっ。」
そう言って楽しそうに二葉と同じ動作をする槿の顔を見て、私は絶望した。
先程連花があれ程の醜態を晒す事になった動作を、私も求められている。
やりたくはない。だが、槿のこの楽しそうな顔を私は悲しいものにしたくもない。
そこから、帰路に至るまでの記憶は無かった。一つ覚えている事は、その後二葉と一度も目が合わなかった、という事だけだ。
ーーーーーー
「あれ、岸根さん!この前の花見依頼ですね!」
人がほとんどいない店内の惣菜コーナーで、その声が聞こえた。
振り返ると、大きく手を振りながら私に小走りで近寄る彼女がいた。
「椿木か。よく会うな。」
彼女の花屋がある繁華街のスーパーマーケットとは言え、この時間に会うのはかなり珍しいことのように思える。
「『トイレットペーパー買ってきて』っておばあちゃんに頼まれたんです!岸根さんもお買い物ですか?」
そう聞かれて、私は思わず一度目を逸らすが、再び彼女の方を見て、笑顔を作りながら答えた。
「ああ。『晩飯』を食べ忘れていてな。」
そう言って、手に持った買い物かごを彼女の胸の高さまで持ち上げた。中には、豚カツ、寿司、それに炒飯が入っている。
椿は少し不思議そうな顔でそれを見た後、いつものように明るい声で私に笑いかけた。
「そうなんですね!食事は大事ですよ!じゃあまた今度、みんなで遊ぶ時誘ってくれると嬉しいです!」
「ああ。今度も皆で何か宴会のようなものをしたいな。」
その時は、私ももしかしたら、君達と同じ食事がとれているかもしれない。
分かっている。私にだって、それがほとんど有り得ない薄い希望だと言うことも。
けれど、万が一。万が一、だ。
人間と同じ食事を繰り返す事で、それに『適応』出来たら。
私は人を殺さなくて良くなるんだ。人殺しの化け物じゃなくなるんだ。
だったら、試してみてもいいじゃないか。誰も傷付けないんだ。
これから、傷付けることもなくなるかもしれないんだ。
大きく手を振りながら遠くに去っていく椿木に、私も手を振り返す。




