お互いの気持ち
アパートに着き圭介が右手で傘を閉じる。
手を繋いだまま階段を上りきったところでようやく圭介がこちらを向いた。
ふいに振り向かれビクッと肩が震える。
京香は叱責される前の子どものように恐る恐る圭介の顔を見上げた。
しかし圭介は怒っているというより痛みを堪えるような表情で京香を見つめていた。
「あ、あの…」
喉がカラカラで上手く言葉を紡ぐことが出来ない。
京香が謝罪しようとすると圭介の声に遮られた。
「ゴメン」
「え」
思いもよらぬ一言に耳を疑った。
何の事だろう。
圭介が謝るようなことに心当たりがない。
「白洲さんを傷つけたのは俺の方だから1週間避けられてたのは仕方ないってわかってるんだけど…」
(先輩が私を傷つけた…?)
どう考えても逆だ。
酷いことを言ったのもそれをちゃんと謝ることが出来ず避けていたのも自分じゃないか。
「でも、もし許してもらえるなら、クリスマスは白洲さんと一緒に過ごしたい」
(………!!?)
言われたことがすぐには理解できず京香は眉を顰めた。
なぜ…?
どうしてそんなことを言ってくれるのだろう。
クリスマスのことはもう諦めていたのに。
京香を見据える圭介の目が懇願しているかのようで切なくなる。
(私も一緒に過ごしたい)
圭介の言葉でようやく自分の本当の気持ちを認めることが出来た。
そしてそれが引き金となって一気に涙腺が決壊した。
ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
繋がれていた手をほどき両方の掌で顔を覆う。
自分も同じ気持ちでいることを伝えたい。
しかし先に圭介に謝罪しなければという気持ちが前に出て来てしまい、『私もです』の一言が追いやられた。
「悪いのは…私で…あんなこと言ってしまって…ずっと謝りたかった…のに…嫌われたって思ったらもう…顔を見るのが…怖くて…ご、ごめんなさい…ごめんなさい…」
嗚咽が止まらず言いたいことがまとまらない。
もっと他に伝えたいことがあるのに言い訳と謝罪の言葉ばかりが口をついて出てきてしまう。
圭介は黙って聞いていた。
「ごめんなさい…もう…我儘言いません…だから…嫌いにならないでくださいぃ…」
もう自分でも何を言っているのかわからなかった。
色んな思いが溢れて止められない。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
ひたすら謝り続けていると圭介に両肩を掴まれハッと顔を上げる。
次の瞬間突然圭介の唇が重なり口を塞がれた。
あまりの衝撃に涙も止まり身体が金縛りに遭ったように動けなくなった。
そこに自分が立っているという感覚さえなくなったかのようだった。
唇が離れると今度は圭介に力強く抱きしめられた。
「嫌いになんてなるわけないだろ。こんなに好きなのに」
持っていた傘がカタンと手から滑り落ちた。
ありとあらゆることへの理解が追い付かず呆然とする。
しばらく何も言わない京香に痺れを切らしたのか圭介が身体を離し京香の目を至近距離で見つめた。
「俺は白洲さんのことが好きなんだよ。だから嫌いにならない。怒ってもいない。…俺の言ってること、わかる?」
目を覗き込まれながら反射的に頷く。
「でも…でも私…先輩に酷いことばかりしてるのに…」
圭介が首を横に振る。
「そんなことないよ。俺は白洲さんに酷いことをされたなんて思ってない。ゴメン…俺お母さんから聞いたんだ。お父さんの事故のこと」
「え…」
頭の中が真っ白になる。
(あのことを聞いた…?)
止まっていた涙がまた溢れ落ちた。
「なん…で…」
一番知られたくなかった過去を知られてしまった。
父が死んでしまったのは自分の我儘のせいだなんて軽蔑されるに違いないと、ずっと言うつもりはなかったのに。
軽蔑されずとも同情されるのも耐えられなかった。
その優しさが京香にとっては一番残酷なものだ。
「俺が迎えに行くなんて言ったせいだ。だから俺が悪いよ」
「ち、ちが…私が…私が全部悪くて…」
ガタガタと全身が震える。
父が死んでしまったのも母を悲しませたのも圭介を傷つけたのも全部、全部自分が悪いのだ。
こんな疫病神に圭介が優しくする必要などない。
優しくしなくていいから、お願いだから、嫌いにならないでほしい。
「私…先輩に、嫌われたくないです…」
「嫌いにならないよ」
きっぱりと圭介が言う。
「だって…だって…」
「そんなことより俺は白洲さんが俺をどう思っているのかを聞きたい」
圭介の真剣な瞳に射抜かれ正直に答えるしかなかった。
もうこの気持ちから逃れられない。
「わ、私も…先輩が………好きです…」
最後の方は聞こえたかどうかわからないほどの消え入るような声だった。
『でも』、と言おうとしたところで再び強く抱きしめられた。
「良かったーーーーー俺の方こそ嫌われてると思ってたから」
急に圭介の声が明るくなる。
「え…?」
「めちゃくちゃ嬉しい。ホント、マジでヤバイ。嬉しい」
京香を抱く手の力がさらに強まる。
「せ、先輩…く、苦しい…」
「あ、ゴメン!幸せ過ぎて」
圭介が慌てて京香の拘束を解いた。
大丈夫?と心配そうに覗き込む圭介の目を見つめながら京香はまだ今の状況が把握出来ないでいた。
信じられない出来事が続きこれが現実なのかもわからない程だった。
(先輩が私を好き…?本当にそう言った?聞き間違い?)
困惑で目の焦点も合っていない京香の両頬を圭介の手が包み込む。
火照った顔に触れる圭介の冷たい手が心地良く目が冴えた。
圭介に真っ直ぐ見つめられやっとこれが夢ではないと悟る。
「白洲さん、好きだよ。ちゃんと聞こえてる?」
圭介が京香に確認させるように再び気持ちを伝えてきた。
「だ、だから心を読まないでください!」
京香はもうこれ以上心を見透かされまいとギュッと目を瞑った。
それを合図と捉えたのか圭介がまた京香に軽く口付ける。
また何が起こったかわからず目を開けると圭介が蕩けるような笑顔で言った。
「両想いだからもう遠慮しなくていいよね?」
「え?え?え?」
何を?とはとてもではないが怖くて訊けなかった。




