6年前
圭介は京香に一方的に通話を切られたスマホを見つめ呆然としていた。
迎えに行こうとしたところをものすごい勢いで拒絶されてしまった。
(俺…何かしたのか…?)
昨日の朝まではいつも通りだったはずだ。
それがどうしたのだろう。
京香があんなことを言うなんて。
普段の京香からは想像がつかないほど声を荒げていた。
怒っている…とは違う気がする。
(何かを怖がっているような……俺のことを?今更?)
考えがまとまらずイライラし頭を掻く。
スマホが電話の着信音を鳴らした。
京香かと思い発信者も見ずに出ると
『もしもし?圭介君?京香の母ですけど』
「…あ、こんばんは…どうしましたか?」
京香の母の市香だった。
『急にゴメンね。京香そろそろそっちに着いている頃なんだけど着いたって連絡がなくて。電話しても電源切ってるのか電波が悪いのか繋がらないのよ。もう家に帰ってる?』
「あの、そのことなんですけど…」
圭介が先ほどの電話のことを市香に伝える。
『…京香がそんなことを?』
「はい。僕も驚いたんですが何をしてしまったのか見当もつかなくて」
『そっか…とりあえず悪いんだけど、多分家に向かってはいると思うから一旦アパートに帰って確認してもらってもいい?』
「わかりました。ダッシュで帰ります」
スマホの通話を切りアパートに向かって走り出した。
そうだ。なぜ拒否されたのか考えることよりも京香の無事を確認しなければ。
自分も冷静でなかったことに気付く。
(頼む。家にいてくれ)
************
アパートまでの帰り道で京香に遭遇することはなかった。
階段を駆け上がり京香の部屋の前で息を整える。
インターホンを鳴らすが返事はない。
中に人がいる気配がするので帰ってはいるはずだ。
声を掛けても反応はなかったが少ししてスマホにメッセージが届いた。
『先ほどはすみませんでした。帰っています。これからお風呂なので失礼します』
良かった。
無事ならとりあえず安心だ。
返信をして自分の部屋に帰る。
すぐ電話で市香に連絡を入れた。
「今アパートに着いて京香さんの無事を確認しました。ただ会ってはくれないみたいです」
『連絡ありがとう。助かったわ。京香は今情緒不安定になっていると思うからそっとしておいてあげてくれる?』
「はい。あの、僕やっぱり何かしてしまったのでしょうか。昨日までは普通に話せていたのに」
色々考えてみたがやはり心当たりがない。
父の命日で気持ちが不安定になっていると言うだけでは説明がつかない気がする。
『ううん。圭介君は悪くないよ。ただ…京香があの時のことを思い出しちゃったのかもしれない』
「あの時のこと?」
『お父さんが交通事故に遭ったときのこと』
「それは…」
ゴクリと唾を飲み込む。
自分が聞いていいのだろうかと迷いつつも何も言わず市香の言葉を待った。
知らずに傷つけてしまうくらいなら市香の口からでも聞いておきたいと思ったからだ。
『実は…』
京香の父が亡くなった時の状況を市香が詳しく教えてくれた。
***********
6年前の12月15日。
当時10歳だった京香は一人駅で父のお迎えを待っていた。
隣りの駅にある塾からの帰りだった。
雨が降っていたのだが京香は傘を持っていなかったため、一人で帰ろうにも帰れない状況だった。
さらに季節は冬で18時とはいえ周囲はとうに真っ暗だった。
いつもはパート帰りに迎えに来てくれる母が、その日に限って残業が入ってしまったと父にお迎えを託していた。
父も定時きっかりに退勤するわけではないので京香はその時既に20分は待ち続けていた。
寒いし暗いし怖いし…心細さが頂点に達し、何度も父のケータイに電話を入れた。
「お父さんまだ?早くしてよ寒いよ」
『ゴメンゴメン。今終わったからちょっと待ってて』
「ちょっとってもうかなり待ってるんだけど」
『ゴメンて!走る!お父さんダッシュするから!』
まだ小学生だった京香は自分に甘い父に対してよく我儘を言っていた。
この時も駄々をこねればすぐに来てくれると思っていたのだ。
父も急いで向かっていたのか、最初は出てくれていた電話も3回目からは出てくれなくなった。
そのことにまた腹が立ちイライラが募った。
駅前ロータリーの横断歩道の向こうに父の姿が見えた。
勤務先の支店からそのまま来てくれたようだった。
父は京香を見つけそこで待っていろというジェスチャーをした。
ようやく父に会えてホッとしたと同時にまた怒りが込み上げてきた。
(私をこんなに待たせて!もう知らない!)
ただ待っているのが癪でフイッと父とは逆方向に駆け出した。
自分を待たせた父を困らせたかったのだ。
きっと心配で慌てるに違いない。
ちょっとした悪戯心のつもりだった。
しかし―――
京香の背後からドンッという衝撃音が響いた。
音に驚いて振り返ると父が路上に倒れていた。
父の傍に何人か人が駆け寄っている。
京香はすぐには事態が把握できなかった。
(お父さん…?)
あれが父だという確信もなかった。
それでも雨の中駆け寄り顔を確認すると間違いなく父だった。
ここでやっと父が車に轢かれたのだとわかった。
目を閉じた父を何度も呼ぶが返事がない。
救急車が到着しても京香は泣き叫び父から離れようとはしなかった。
京香の記憶はここから途切れ途切れだった。
その時は状況が理解出来ていなかった京香だが、時間が経つにつれこの不幸は自分の我儘が引き起こしたものだと思うようになった。
目撃者の話によると父は何かを見つけ慌てて突然車道に飛び出したらしいのだ。
父が目にしたもの。
それは間違いなくどこかへ走り去ろうとした京香に他ならない。
自分が大人しく待っていたらこんなことにはならなかった。
あれは事故だったと何度も宥められても京香は聞き入れなかった。
この時ほど京香が神に願ったことはない。
神様。
もう二度と我儘なんて言いません。
だからお願いです。
お父さんを返してください。
この時から京香は何も求めてはいけないのだというかのように自己主張をしなくなった。
母もそんな京香を案じていたが、生活を保つために必死だったこともありあまり構ってあげられなかった。
それでも京香は母の前では心配させまいと努めて明るく振舞っていた。
それがまた母には痛々しかった。
*********
「そう…だったんですか…」
圭介は事故が京香の知らぬところで起きたことだと勝手に思い込んでいた。
事故の瞬間を見ていないとはいえ現場に直面していたなんて。
しかも京香は自分に原因があるかもしれないと思っているという。
あまりの衝撃に声が上手く出ない。
そして気付く。
「俺が…迎えに行くと言ったのがトラウマを呼び起こしてしまったんですね…」
『圭介君は何も知らなかったんだもん。親切心で言ってくれたことだし気にしないで』
励まされたが否定はされなかった。
(俺はなんでいつもタイミングが悪いんだ!)
不可抗力とはいえ自分の間の悪さに怒りが湧く。
『もう6年も前のことだしきっとすぐ元に戻ると思うけど…しばらくは様子を見た方がいいかもしれないわ』
「そうですね…僕もあまり刺激したくはありませんし」
『ありがとう。ゴメンなさいね気を遣わせちゃって』
「いえ、こちらこそ」
電話を切りゆっくり長い息を吐く。
京香のあの成熟した自立心は母子家庭という事情からのものだと思っていた。
しかし市香の話で考えを改める。
大切なものを得ようとしないのも自分から誰かを頼ろうとはしないのも事故が起きた原因が自分の我儘にあると思い込んでいたからだったのか。
京香がそんな贖罪を一人背負う必要はないのに。
なんとか京香の心を癒したいと思うが自分にそんな力はあるだろうか。
市香が言う通り様子を見るべきなのか。
それはいつまで?
圭介は眠りにつく間際まで自分に出来ることはないかと必死に考えていたが結局答えは出なかった。




