神崎家
タクシーを走らせること10分。
遠回りをしてしまったもののすぐに神崎医院に着いた。
圭介に肩を貸すが身長差が大きくむしろバランスを崩しそうだったので京香は圭介の腕を支えながら病院側の玄関に向かった。
緊急用のインターホンを押すと応答したのは若い男の声だった。
「夜分にすみません。白洲と申します。琴吹先輩が熱を出したので付き添って来ました。今から診ていただけますか?」
『圭介君?』
「はい、そうです」
『ちょっと待っててくださいね』
どうやら梓のお兄さんのようだ。
確か総一郎という名前だったと思う。
玄関前で待っているとやはり総一郎が出てきた。
「こんばんは。遅くにすみません」
「大丈夫だよ。今父さんが用意してるから診察室に行こう」
「総ちゃんゴメン…」
弱々しい声で圭介が謝罪する。
梓から聞いていた通り圭介は総一郎とも仲が良いようだ。
総一郎が圭介に肩を貸し診察室に連れて行く。
京香は暗がりの待合室で座って待っていた。
しばらくして先に総一郎が診察室から出てきた。
「熱がいつからかわからないって言ってるから今日はインフルエンザの検査は出来ないって。熱が出てから24時間経たないと検査結果がちゃんと出ないんだ」
「そうなんですか…じゃあ今日は様子見ですか?」
「そうなるだろうね。後で父さんに聞いてみて」
「はい…」
大丈夫なのだろうか。
原因がわからないと不安になる。
総一郎が京香の隣に腰をかけ言った。
「ところで…白洲さんだったよね?」
「あ、はい。梓さんと仲良くさせていただいてます」
「うん。いつもありがとう。梓もよく家で白洲さんの話をするんだよ」
文化祭で挨拶したのを覚えていてくれたのかと思ったが総一郎が意外なことを言う。
どんな話をされているんだろう…。
いつも梓のマシンガントークを聞いているだけだと思うのだが。
「ちなみに…圭介君とはお友達?」
「あ、はい。そうです」
圭介が京香のことを友達だと言っていたので肯定しても問題はないはずだ。
「へえ。圭介君に女友達が…珍しいこともあるもんだ」
「そうです…かね?」
後から変なことにならないように余計なことは言わないでおく。
「随分信頼されているんだね」
「信頼…ですか?」
「圭介君が女性に触られても何も言わないところ初めて見たよ。梓ですら嫌がられるのに」
どう反応してよいのかわからず首を傾げる。
そういえば梓には圭介のことは知らないとしらを切っていたのだった。
それを思い出し総一郎に圭介との関係を隠しておいてほしいと頼んだ。
「そうなんだ。別にいいよ。今梓は母さんと出かけてるからいないし」
「ありがとうございます。梓さんに嘘をつくような真似をしてしまって申し訳ないです」
「真面目なんだね白洲さん。梓から聞いていた通りだ。きっと隠しているのも何か訳があるんだろうから気にしなくていいよ。でもいつか話してあげてくれる?」
「はい。そのつもりです」
すぐにこちらの意図を察して気を遣ってくれた。
梓が自慢する理由がわかる。
なんて心の広い人なんだ。
見た目がぽっちゃりなのもあって寛大さが全身から滲み出ているようだ。
「圭介君とは小学校からの付き合いでね」
「あ、小中とも同じだったと聞きました」
「うん。小学校でこっちに引っ越してきて学校で見た時はガリッガリで知らない子なのに心配になったよ」
食事をまともに食べていなかった頃の話なのだろう。
「深く付き合うようになったのは圭介君のお母さんが父さんの勤める病院に入院してからなんだけどね。あの頃は圭介君結構荒んでてお母さんともうまくいってない感じだったんだけどその割に毎日お見舞いに来ていてさ。父さんが気にしちゃって声をかけたんだよ。食事はなんとか食べられてるってことだったけどたまにはうちで食べて行かないかって」
「そうだったんですか」
「弟の高志郎も圭介君に懐いていてその流れで僕が家庭教師をお願いしたんだ。毎週来てくれているんだけど夏くらいから圭介君の顔色が見るからに良くなってね」
「え…」
ドキリとする。
京香のご飯を食べ始めた時期からということだろうか。
「さらにとても優しい顔つきになってて何かあったのかと思っていたんだけど…」
総一郎が京香を真っ直ぐ見つめる。
「きっと白洲さんのお陰なんだろうね。さっき二人の様子を見て思ったよ」
「そんなこと…」
「周りの人に弱ってるところなんて絶対見せないからね。これまでの彼だったら家に閉じこもって無理やり治してたと思うよ。でも圭介君は君に言われたからうちに来たんでしょ?…だからありがとう」
総一郎が京香に向かって頭を下げた。
まさか御礼を言われるとは思わずに言葉を失う。
御礼の意図はわからないが圭介のことを常に心配していることは伝わった。
「わ、私は何も…」
「良ければこれからも仲良くしてあげてくれる?」
「あ、はい…それは…勿論」
「良かった。僕に何か出来ることがあったら言ってね」
穏やかな微笑みに胸が温かくなる。
菩薩のような神々しさでつい拝んでしまいそうだ。
こんなお兄さんがいたらいいだろうな。
梓が羨ましくなった。
診察が終わったようで圭介が総一郎の父と一緒に出てきた。
先ほど聞いていた通り今日は様子見となり総一郎の父が車で送ってくれることになった。
恐縮しながら車の後部座席に乗り込むと総一郎もついてきてくれた。
京香が気まずくならないようにだろう。
その優しさにまた拝みそうになった。
「しかし圭介にこんな可愛い彼女がいたなんてなー!」
「いや、だから違うって…」
「ハッハッハ!照れるな照れるな!」
総一郎と梓の父は想像と違い豪快な人だった。
子どもたちはあんなにおっとりしているのに…
なんとなく大家さんに似ている気がする。
困っている子を放っておけなそうなところが特に。
そして圭介はそういうタイプの人には弱いようだ。
「聞けよもう…」
圭介が突っ込むのを諦めた。
「白洲さんゴメンね。父さんの声が大きくて」
京香が隣の圭介の額の汗をハンドタオルで拭っていると助手席に座る総一郎が申し訳なさそうに謝ってきた。
「いえ、賑やかで楽しそうなご家庭ですよね」
心からそう思う。食卓風景を見てみたい。
「白洲さんホント良い子だね圭介君」
総一郎が振り返って話し掛けると
「知ってる…」
圭介がぼんやりしているわりに即答で返していた。
嬉しくてにやけそうになるものの熱でおかしなことを口走っているだけだと冷静になる。
圭介の声が掠れていたので総一郎にもらったペットボトルの水を飲ませるためキャップを開けた。
手渡そうとするが圭介の意識がはっきりせず危なっかしい。
「先輩、お水飲めますか?」
「うん…」
圭介がなんとかペットボトルを受け取り飲もうとした瞬間、車体が揺れ水が零れて圭介の服が濡れてしまった。
ハンドタオルで零れた水を拭き取り、仕方ないと圭介の手に自分の手を添えゆっくりとペットボトルを傾ける。
ゴクン…
圭介の水を飲み込む音が聞こえ安心する。
キャップを閉めてシートの上に空いた左手を置くと圭介の熱くなった右手が被さってきた。
(!!?)
驚いて圭介を見るとうっすら微笑みを浮かべて小さな声で囁いた。
「白洲さんの手冷たくて気持ちいい…」
さらにゆっくり手を握られ声を上げそうになる。
目で抗議するがそのまま圭介が目を瞑ってしまい伝わらない。
(こここここれはどうしたら!!!!)
手にがっつり汗が滲んでいるのがわかる。
しかしそれが自分のものなのか圭介のものかはわからない。
京香が動けず硬直していると総一郎のお父さんがほぼ叫び声のボリュームで言った。
「着いたぞ!」
「は、はい!先輩、起きてください!」
手を離しシートベルトを外す。
助かった。あのままの状態ではまた茹で上がってしまうところだった。
車を降り、総一郎にも手伝ってもらい圭介を部屋まで連れて行った。
圭介の部屋の玄関で2人に御礼を言う。
「まだ流行が始まってるわけでもないしこの地域での患者はまだ出ていないからインフルの可能性は低いだろう。と言っても安心は出来ないから無理しないようにな!」
「白洲さん、悪いけど圭介君をお願いね」
「はい」
「じゃあな!圭介変な事するなよ!」
「しねえってもう…」
別れ際総一郎が京香に振り返り小さく耳打ちしてきた。
「2人のこと父さんにも口止めしておくから安心して」
「ありがとうございます…!」
「仲良く手を握っていたこともね」
「!!!!!」
急速に顔が真っ赤に染め上がり口をパクパクするだけで何も言えなかった。
(見られてたーーーー!?)
総一郎を見送りながら恨み節を脳内で吐き出す。
勘違いされていたら圭介のせいだ。
そうだ。私は悪くない。
そう思いながら歩くのもやっとの圭介にベッドまで付き添った。




