テスト勉強(絞り出しクッキー)
実力テストが近くなり京香はバイトを休み集中的に勉強に取り組んでいる。
実力テストの日程は2日間で国語・英語・数学は200点満点の各120分、理科・社会は100点満点の各60分で行われる。
理科社会については1年は理科が化学、社会が世界史と決まっており、2年以降は文理選択によって受ける科目が変わる。
出題内容は難関大学の二次試験を想定したもので、難易度は非常に高い。
レベルが高い方に合わせるのは学校教育の常である。
今日は晩御飯の後に圭介と一緒に京香の部屋で各々のテスト勉強をしている。
勉強が煮詰まってくると京香が圭介に数分ごとに質問のメッセージを送るのでもう一緒にやってしまおうということになった。
いつもは圭介に勉強を教えてもらうだけなので圭介の勉強法も見てみたかった京香にとっては願ってもない機会だった。
だが頭の良い人の勉強法が全ての人に有効であるとは限らない。
京香は圭介のノートを見て驚愕した。
書き込みが極端に少なくすっきりシンプルなのだ。
京香が貰った実力テストの過去問は膨大な書き込みがされていたので意外だった。
どうやらそれは京香用としてわざわざ新たに書き込んでくれていたようだ。
圭介本人に言われなくてもそれがわかり、申し訳ない気持ちになった。
圭介にノートにもっと書き込まないのかと聞いたら
「ポイントさえ書いておけばそれに紐づけた記憶を取り出すだけだから」
と謎の回答を返してきた。
また、圭介は授業中ずっと先生の目を見て話を聞いているそうで、板書も本当に必要な部分しかノートに書き取らないのだと言う。
板書のどこから試験問題が出るのかわからないことが不安で全てを必死に書き取っている京香には理解不能だった。
かと思えば人に教えるのは上手い。
そのまま暗記すべきポイントと繋がりを重視するポイントの違いや、公式を使う理由を図を書いて丁寧に説明してくれる。
なぜだ。
もっと勉強関連の欠点があってもいいだろうと京香は不謹慎なことを考えていた。
ただ、教え方が上手いというよりはこの人はきっと根本的に優しいのだろうとも思う。
他人の気持ちを思いやれるからこそ相手がわからないことも理解出来るのではないかと。
(こういうところもズルいなぁ…)
22時近くになり少し小腹が空いてきたのでこんなこともあろうかと京香は事前に焼いておいたクッキーを持ってきた。
「これ焼いたんです。夜食にどうぞ」
「え!?マジ??やった!」
京香が暇なときによく作る絞り出しクッキーだ。
材料を混ぜて絞り出し袋で絞り出して焼くだけなので型抜きクッキーやアイスボックスクッキー等と比べ手が汚れず後片付けも楽だ。
バターが柔らかくなるまで泡立て器で混ぜ、砂糖、卵をそれぞれ数回に分けて順に混ぜながら加える。
特に卵を一気に入れて混ぜてしまうとバターと卵が分離して綺麗に焼けないのでここは面倒でも少しずつ少しずつ加えていくのがポイントだ。
以前分離したまま焼いてラングドシャのようなクッキーになってしまったことがある。
それはそれで美味しかったのだが、以降はお菓子作りにおいてめんどくさがるのは禁忌であると肝に銘じている。
バニラエッセンスで香りつけをして米粉をゴムベラで混ぜて生地が完成。
花型の絞り金を付けた絞り出し袋に生地を入れくるくる1個ずつクッキングシートを敷いた天板の上に絞り出していく。
170度に温めたオーブンで20分程焼いて出来上がり。
米粉を使うことによりサクサク食感のクッキーになった。
1個目を口に入れた圭介が目を見開く。
「クッキーってこんな美味しいものだったのか…」
「いや、だから大袈裟ですって」
「俺手作りのって食べたことないから…すげー旨い。ありがとう」
圭介の嬉しそうな笑顔に胸がきゅぅっとなる。
作って良かった。
そして圭介の初めてに立ち会えたことがなんだかむず痒く嬉しかった。
「でも先輩なら毎年死ぬほど手作りチョコとかもらうんじゃないんですか?」
「そんなの受け取るわけないじゃん。怖いっつの」
「毒が入ってるわけでもないでしょうに…」
「いや、あり得るよ。こっぴどく振った子とかやりかねん」
「それは自業自得というやつでは…」
(女の子の手作りお菓子受け取らないんだ…そっか…)
他の女子のものは受け取らなくても京香の作るものは食べてくれる。
それは“特別”というやつではないのか。
いやいや、とまた勘違いしそうになり首を横に振る。
(私は食堂のおばちゃん、食堂のおばちゃん…)
呪文のように心の中で復唱する。
この人は安全だとわかっているから自分が作るものを食べるのだ。
“私”のものであることが理由ではない。
そうだ。そうに違いない。
「どうしたの?わからないとこあった?」
「あ、大丈夫です」
「そう?」
クッキーを食べながら黙々と勉強を進め京香が最後のクッキーを手に取り食べようとしたとき、圭介がノートに目を落としながらクッキーが乗っていたお皿に手を伸ばしていた。
「あれ?もうない?」
と、手にクッキーの感触がないことに気付き圭介が顔を上げると既に京香がクッキーを唇に付けているところだった。
「あ、ゴメンなさい。これが最後でした」
「マジかぁ…」
圭介が心底残念そうな顔をして机に突っ伏した。
たかがクッキーにこの落ち込みっぷり。
またまた申し訳なくなる。
今度改めて作ってあげようかと考えていたのに
「これでよければ食べます?」
と、思わず口に出していた。
「ホント!?ちょーだい!」
すると圭介が満面の笑顔で口を大きく開けている。
(え、これあーんするとこなの??)
京香は躊躇ったが圭介は雛鳥のように口を開けて待っている。
(くっ…!可愛い…!!)
仕方なく圭介の口に入れた時、京香の指が圭介の唇に触れた。
(ひゃあああああああ!!!)
圭介の柔らかい唇の感触に眩暈がする。
食堂のおばちゃんはこんなことしないだろ!と脳内でツッコミつつ、ついでにあーんどころか間接キスだったことも思い出し頭を抱えたくなる。
そんな中、圭介はニコニコしながらクッキーを頬張っていた。
どうしてそんな平然としていられるんだ。
ここで京香の中で圭介が自分を女だと認識していないのではないかという疑念が生まれた。
これまでのことを思い出す。
そう考えれば辻褄が合う気がして来た。
女性不信で女子を寄せ付けない圭介が京香の料理が食べられるのも京香と話せるのも2人きりになれるのも
そういうことなのではないだろうか。
以前自分のことを友達と言ってくれていたが実は“女”友達ですらないのかもしれない。
ずんと心が沈む。
身の程を弁えているつもりなのにそれでも女と見られていないという事実は京香の胸を抉った。
「あれ?白洲さんどうした?やっぱり食べたかった?」
こちらの気も知らず呑気な圭介に腹が立ちムッとする。
「先輩は私と間接キスしても何とも思わないんですか?」
思っていたことがそのまま言葉に出てしまった。
「え」
そこでようやく思い出したかのように圭介の顔がみるみる赤くなっていく。
「ご、ゴメン…!ちがっ…あの…」
圭介が見たことのないほどの動揺を見せる。
「先輩…?」
「ゴメンなさい!嫌だったよね…」
「嫌というか…先輩全然意識してないみたいだったから…」
「意識してないわけじゃなくて気が付かなっただけだから!」
クッキーのことしか考えておらず本当に気付いていなかったようだ。
「でも…先輩全然こういうの平気みたいだし…私のこと女だって思ってないのかなって」
「そんなわけないでしょ!」
圭介が真剣な顔で否定する。
「女子じゃなきゃ可愛いとか言わないし!」
「か、かわ…!?あれはからかっていただけですよね!?」
「ちがっ…!」
と圭介が否定しようとしたとき何の前触れもなくバチッと音が鳴り全ての明かりが消えた。
「停電!?」
突然のことに驚いて身を強張らせる。
圭介がすぐに立ち上がり窓の外を確認すると、他の家の電気も消えて真っ暗だった。
「多分停電だ。雷が落ちたとかじゃないからこの周辺だけだと思う。白洲さん危ないからそこから動かないでね」
圭介がスマホを手に取り電力会社のサイトで停電情報を検索する。
「やっぱり。この辺たまにあるんだよ。1丁目だけ停電になったり。前は電力会社の設備トラブルが原因で起きてた」
その場から動けないでいる京香とは違い圭介はいたって冷静だ。
「…復旧は2時間後を予定してるって。こういうのは大体多めに時間見てるから1時間くらいで復旧すると思うよ。でも今日はもう遅いから勉強切り上げて寝る?」
電力会社のサイトに復旧情報が追加されたようで圭介が淡々と説明してくれる。
「は、はい…」
停電を経験するのが初めてだったこともあり、京香はどうしたらいいかわからず呆然とするだけだった。
アパートの周りは住宅街なので明かりらしい明かりもなく停電でこんなに世界が暗くなるのかと怖くなった。
今日は曇りで月が隠れているので尚更だ。
「冷蔵庫は開けないでね。冷気が外に出て中身が傷んじゃうから。暖房消えて寒いから暖かくして布団に入って」
圭介が次から次へとアドバイスをくれる。
なんて頼もしいのだろうか。
圭介がスマホを消すとお互いの姿がはっきり見えなくなる。
傍にいるのはわかっていても圭介の存在を確かめたい。
京香は圭介のいた方に向かって震える手を伸ばす。
「せ、先輩…?」
「白洲さん大丈夫?…あっ!!」
圭介が誤ってスマホを落としてしまった。
反射的に2人同時に屈んでスマホを手探りで探す。
すると京香の手が圭介の手に重なった。
「先輩…いた…よかった…」
いつもならすぐに手を引くところだが心細さと恐怖で離すことが出来ず京香は圭介の手をギュッと握った。
それだけで不安でいっぱいだった心が大分落ち着いてきた。
「大丈夫?怖くない?」
「は、はい…大丈夫、です」
震える声で返事をする。
「はーーーー……」
と、そこでなぜか圭介が大きな溜息をついた。
何かしてしまったかと京香が手を離そうとした瞬間、逆に手を握られそのまま体ごと引き寄せられた。
圭介の胸に顔を押し付けられるように抱きしめられ京香は混乱した。
「先輩…?」
「あのさ、大丈夫じゃないときに大丈夫って言われる方がキツいんだけど」
「え?あの、そんなつもりじゃ…」
「急に停電起きて真っ暗になって怖いに決まってんじゃん。…他人の心臓の音聞いてたら落ち着くらしいから嫌かもしれないけどしばらくこのままでいさせて」
「…はい…」
全然嫌じゃなかった。
理科準備室で抱きしめられたときは呼吸が止まりそうで早く離れたい一心だったが今は圭介の体温と心音が心地よく安心する。
ずっとこうしていたい。
「俺、一人が長いから有事の対応には慣れてるんだよね」
「有事って…」
「前の停電の時は家でバイトのプログラミングしててパソコン落ちてバックアップ取ってなくて発狂しそうだった」
「ふっ…それは悲鳴上げちゃいますね」
「ホントだよ。自分でも聞いたことない声出たし。あと去年地震あったの覚えてる?夏だったかな?」
「はい、ありましたね」
圭介が京香を気遣って気分が明るくなるような話をしてくれる。
京香は無意識に圭介の胸元のシャツを握りしめていた。
父が亡くなった時、しばらくの間夜はこうやって母に抱き着き眠りについていた。
母も京香を抱きしめずにはいられなかったのだろう。
お互いを慰め合うように一緒に眠っていた。
その頃のことを思い出しシャツを握る手に力が籠る。
それを感じ取ったのか圭介が再び京香を自分の胸に抱き寄せた。
(独りじゃないんだ…)
暗闇の中で京香の意識が深い眠りに落ちていく…
停電は1時間ちょっとで復旧した。
明かりが灯り圭介は眩しさで目をしかめる。
腕の中では京香が寝息を立てて眠っていた。
圭介は京香を抱きかかえベッドに運びそっと寝かせた。
「おやすみ」
夜の静寂に圭介の声が低く響いた。




