不安
しかしそんな決意も早々にぶった斬られた。
移動教室で理科棟に向かう途中、廊下の向こうからこちらに歩いてくる圭介と目が合ってしまった。
しかもお互い一人ではない。
(恐れていた事態が早くも起こってしまったー!!)
どうしようか。なんせ遠目からだが目が合っている。
でもここで挨拶をすれば二人はどういう関係なのだと話題になってしまうだろう。
ものの数秒で色々と天秤にかけた結果
「あ、私教室に忘れ物したから先生に遅れるって言っといてくれない?」
すれ違う前に回避することを決め近くにいた神崎梓に伝言をお願いした。
「いいよ。じゃあまた後で」
「うん、ありがとう!」
Uターンしダッシュで教室に戻る振りをする。
圭介の視界から消えてすぐ理科棟に向かうつもりだからだ。
(あのトイレでやり過ごそう)
角を曲がったところでトイレに駆け込む。
一応目が合っていたのに挨拶もしないなんて感じが悪かっただろうか。
早急に言い訳を考えなければ。
圭介たちの気配がなくなった後理科棟に走った。
19時過ぎ。
『ゴメン。急に呼び出しがかかったから遅くなりそう。先に食べてて』
自宅で晩御飯を作っていると圭介から18時半頃連絡があった。
食べながら昼間のことを謝ろうと思っていたのに出鼻をくじかれてしまった。
呼び出しとはバイトのことのようだが、実は逃げ出した件に怒っていて遠回しに一緒に食べたくないと言っているのではないだろうか。
後輩の立場で目が合っておきながら挨拶もしなかったのだ。
避けられたと思われて当然だ。
(どうしようどうしようどうしよう…)
ずるずるマイナス方向へ考えが進んでいく。
メッセージもどうやって返せばいいのかわからなくなってきた。
一言『わかりました』でいいはずなのに、冷たく感じられないだろうかと送るのを躊躇ってしまう。
隠れたトイレから『挨拶できずすみません』とでもメッセージを送っておけば良かった。
なんであんなことをしてしまったんだろう。
今日は遭遇事件のこともありお詫びの気持ちも込めてカレーを作った。
大家さんからも圭介がカレー好きだと聞いていたし本人も好きっぽいことを言っていたからだ。
好物でご機嫌を取る作戦のつもりだった。
『先に食べてて』とは言っているのできっと部屋には来てくれるはずだ。
でも怒っていたら顔を合わせるのが怖い。
部屋の前に置いておこうか。
いや、まだ9月だが熱帯夜が続いているのだ。傷んでしまう。
せっかく作ったので一緒に食べたいけれど自分は気まずい空気に耐えられるだろうか。
ネガティブな思考が止まらない。
メッセージを返信できないまま気付いたら20時近くになっていた。
宿題をやらなければ。
カレーを食べることも出来ず机に向かった。
しかし問題集を開いてもまったく頭に入ってこない。
顔はきっと真っ青だろう。血の気が引いているのがわかる。
せっかく仲良くなれそうだったのに。
圭介に好意を持っているわけではないが何度か食事を共にしこの関係が楽しいと思い始めている。
―――また失ってしまうかもしれない。
京香が最も恐れていることだ。
大事なものが出来ると同時に失う恐怖も生まれる。
楽しいだなんて、もっと一緒にご飯を食べたいなんて思うんじゃなかった。
涙が出そうになる。この不安から早く逃れたい。
と、その時スマホが鳴った。圭介からの着信だった。
ドキドキしつつ恐る恐る通話ボタンを押す。
『もしもし?』
「…はい。白洲です」
声が掠れてしまう。
『遅くなっちゃって、ゴメン!今、駅前過ぎたとこだから、もうちょっとで、着くよ』
途切れ途切れの声から走りながら喋っているのがわかる。
急いで帰って来てくれているのか。
「あ、はい。じゃあ、ご飯温めますね…」
『あれ…?なんか、元気、ない?』
「だい、じょうぶです…えっと待ってます」
『え?もしかして、まだ、食べてなかったの?』
「はい。ちょっとやることが、あって…」
『そうなの?じゃあ、一緒に、食べよう』
まさか一緒に食べようと言ってくれた?
聞き間違いではないだろうか。
それだけで胸がいっぱいになり涙が滲んできた。
「……は…い…」
『やっぱり、何か、あった?』
「いえ…ホントに…大丈夫、なので…」
『待ってて!ダッシュで帰るから!』
突然通話が切れた。
何が起きたのか理解できず呆然とスマホを眺める。
(怒って…ない?)
先ほどの会話を反芻するが怒っている感じは全くなかった。
何故?いや、そんなことよりご飯だ。温めなければ。
急いで台所で圭介を迎える準備を始めた。




