表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フリードリヒの戦場【書籍化】  作者: エノキスルメ
第三章 この国が私たちの家

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/193

第95話 時間稼ぎ③

「ちっ、今度は何だ!」


 転倒した猟兵たちが立ち上がり、突撃を再開しようとした矢先、敵の隊列から放り投げられたいくつかの麻袋を見てイーヴァルは毒づく。

 口を閉じられていない麻袋は、何か白い粉のようなものをまき散らしながら飛んでくる。

 イーヴァルは反射的に山刀を振るい、自身の頭上目がけて落ちてきた麻袋を斬り伏せる。真っ二つに切り裂かれた麻袋からさらに大量の粉が飛び散り、視界を白く埋めた。

 他の麻袋も、誰かの頭に当たり、あるいは山刀で叩き落とされ、粉を飛び散らせる。


「うわっ!」

「何だこいつは!」

「クソっ! 今度は目くらましのつもりか!?」


 咳き込む音や鼻を鳴らす音、目を塞いで悪態をつく声がいくつも響く。

 粉が飛び散ったときに咄嗟に片目を瞑って守ったイーヴァルは、その無事な方の目元を手で覆いながら敵の隊列を睨みつける。口に入って舌に触れたことで、この粉がどうやら小麦粉のようだと分かる。

 と、再び敵の隊列から何かが投げつけられる。それは瓶のようだった。口には布が詰められ、布には火が点けられていた。

 それを見ただけで、イーヴァルは瓶の中身を察する。大陸北部では寒冷な気候を乗り越えるための蒸留酒作りが盛んで、酒精が強く燃えやすい蒸留酒は武器として用いられることもある。ガラスは北部では殊更に貴重なため、瓶ではなく陶器の壺などを使うのが一般的だが。


「火攻めが来る! 散開し――」


 瓶は既に弧を描きながら迫っており、それに気づいている者も瓶の中身を察している者もほとんどいない状況。イーヴァルの警告はとても間に合わない。猟兵たちの只中に落ちた瓶は硬い音を立てて割れる。

 次の瞬間、巨大な爆炎が生まれ、イーヴァルたち全員を包み込んだ。


・・・・・・


「……粉塵爆発か。上手くいくものだな」

「僕も正直驚いています」


 馬鹿でかい炎が敵部隊を包む様を見て騎士たちがどよめく中で、フリードリヒは前列中央にいるチェスターと言葉を交わす。

 可燃性の粉が舞っている状態で火を放つと、その火が空気中の粉に引火しながら一気に燃え広がり、爆発的な燃焼を見せる。戦いを描いた物語本などで時おり登場し、理論上は一応再現可能であるらしい手を、フリードリヒは実際に試した。そして成功した。

 敵部隊を覆っていた小麦粉は一瞬で焼き尽くされ、爆炎も間もなく収まる。炎そのものに見た目の派手さほどの攻撃力はないが、一部の敵兵は髪や服、革鎧に火が燃え移り、それを消そうと暴れもがいている。そうでない者たちも全身を覆いつくした熱に衝撃を受けたのか、すぐには立ち直れない様子だった。

 その隙を、フリードリヒたちは逃さない。


「突撃!」


 フリードリヒが叫び、騎士たちは一斉に駆け出す。未だ混乱している敵部隊に襲いかかる。

 不意を突かれた敵部隊の前衛は、次々に無力化される。

 熱に喉をやられて咳き込む敵兵が、武器を拾う間もなく斬り伏せられる。なんとか山刀を構えて抵抗を試みる敵兵のその腕が、一瞬で刎ね飛ばされる。目を開くのにも苦労しながら咄嗟に防御の姿勢をとった敵兵が、その防御をすり抜けられて腹を切り裂かれる。

 強襲の勢いのまま、騎士たちは隊列を左右に延ばして半包囲の態勢に入り、その中へ敵部隊を押し込めつつ無力化していく。

 しかし、そうして一方的に敵兵を屠る時間もそう長くは続かない。押し込まれる敵兵の集団の中から、一人が躍り出てくる。


「押し返せ! 数ではこちらが有利だ! 突破するぞ!」


 周囲に命令を飛ばしながら攻めに転じてきたのは、この敵部隊の指揮官と思しき男。その声に従い、熱の衝撃から立ち直った者たちや、後衛にいたために受けた衝撃が比較的軽く済んだ者たちが反撃してくる。

 こうなると、フリードリヒたちは再び数的不利な戦いを強いられる。未だ健在な敵兵はこちらの二倍以上。装備の有利があっても、頭数の差は覆し難い。敵部隊を食い止め、突破をかろうじて阻止するだけで精一杯となる。

 敵兵の中でも、指揮官の強さは別格だった。対峙しているユーリカが、ほとんど一方的に押されているのがフリードリヒにも分かった。

 と、そこへグレゴールが加勢に入り、戦いは互角になる。フェルディナント連隊の中でも指折りの実力者が二人がかりになってようやく拮抗できることからも、敵指揮官の凄まじい強さがうかがえる。

 ここまでくると、フリードリヒにできることは限られる。敵指揮官がユーリカとグレゴールを釘づけにしている隙にこちらの隊列をすり抜けた敵兵に、まずはクロスボウによる一撃を見舞って無力化。再装填の暇などないクロスボウ本体を、さらにこちらの隊列を抜けてきた別の敵兵に投げつけ、次いで剣で斬りかかる。

 クロスボウ本体が顔面を直撃して怯んだ敵兵の喉に、フリードリヒの剣が直撃する。首を刎ねるまでは行かないものの、血管を断ち切ったのか血が噴き出す。敵兵は自分の血にまみれ、目を見開きながら倒れる。

 これが、フリードリヒが単独で剣によって敵を殺した、初の明確な戦果となった。


「後退を!」


 フリードリヒの言葉で、騎士たちは下がり始める。

 時間は十分に稼いだ。こちらももう逃げても構わないだろう。が、おそらく背中を見せた瞬間に全滅する。それほど敵側の攻撃も激しい。時間を稼いだら隙を見て逃走するなどとんでもない。実際に戦ってみると、とてもそんな隙は得られなかった。逃げるどころか、後ろを振り返って状況を確認する余裕もろくにない。

 このままじりじりと後退しつつ、援軍が到着するまで粘るしかない。


「もうすぐ援軍が来るはずだ! それまで隊列を維持!」

「生き残れば勝ちだぞ! ここが正念場だ!」

「決して怯むな! 帝国軍騎士の誇りを見せろ!」


 フリードリヒに続いて、オリヴァーとチェスターが叫ぶ。騎士たちがそれに応え、もはや意地で戦い続ける。

 ユーリカとグレゴールは敵指揮官にかかりきりで、その側面や背後に回り込もうとする敵兵を、フリードリヒは懸命に牽制して二人を援護する。手練れの猟兵である敵兵を新たに撃破するには至らないが、一時的に退ける程度の成果はなんとか得る。

 と、敵指揮官が勝負に出た。

 側面から攻撃を放ってきたユーリカを、跳躍して蹴り飛ばし、自身はその反動を利用してグレゴールの側面、死角に当たる位置へと転がり込む。

 蹴り倒されたユーリカが即座に立ち上がって攻撃に転じるよりも早く。グレゴールが向きを変えて防御の姿勢に入るよりも早く。敵指揮官は低い姿勢から腕を跳ね上げるように山刀を振るい、グレゴールの右腕にその刃を直撃させる。


「くっ!」


 鎧の隙間を潜り抜けた刃に腕を深く切り裂かれ、グレゴールが剣を取り落とす。そのままとどめを刺そうとした敵指揮官に、しかしそこまでの隙は許さず、体当たりを見舞う。

 金属製の全身鎧に屈強な男一人の体重が乗った一撃で、敵指揮官は吹き飛ばされる。下がって態勢を立て直す敵指揮官と、重傷を負ってこれ以上の戦闘継続が難しいグレゴールの間に、ユーリカが割って入り、剣を構える。

 彼女一人で持ちこたえるのはおそらく厳しい。かといって自分が加わっても、グレゴールでさえ苦戦する相手に敵うはずもない。これ以上、この強敵を押さえられない。

 戦場全体を見ても、こちらが明らかに押され、死傷者も増えている。半包囲は崩れ、一部の敵兵がこちらの隊列の横に回り込み、騎士たちを無視して前進している。

 もう駄目か。そう思ったとき。

 若い敵兵が一人、敵指揮官の傍らに走り、何か言った。

 敵指揮官はこちらを睨みつけ、戦いの喧騒の中で内容までは分からなかったが周囲に何か命令を下し――そして、妙な道具を口にくわえる。フリードリヒの耳には音は聞こえないが、息を吹き込んでいるように見えるのでおそらく笛か何かか。

 敵指揮官の行動と同時に猟兵たちは攻撃を止め、踵を返して走り出す。次々に戦いを放棄し、まだ走れそうな負傷者を連れて逃げる。さらには、こちらの防衛線を越えて前進していた敵兵たちまでもが逃げ戻っていく。

 敵兵たちはしばらく道に沿って走り、そして次々に森に飛び込んで姿を消す。


「……何故引いた?」

「……さあ?」


 チェスターが呆然として呟き、フリードリヒもぽかんとした表情で返す。激戦の緊張から突然解放され、すぐには頭が回らない。

 他の騎士たちも半ば唖然としながら、去っていく敵の猟兵たちを見送る。肩で息をしながら口をぽかんと開け、あるいは眉を顰め、あるいは首を傾げる。

 沈黙が流れる中で、息を整えて徐々に頭が回ってきたフリードリヒは、もしかして、と思いながら後ろを振り返る。

 すると、戦いが始まる前にはまだ姿の見えなかった味方の援軍が、今は視認できる距離にいるのが分かった。丘を下って進んだ先で、メリンダとクレアを連れた帝国騎士たちが味方の援軍と合流しようとしているのが見えた。

 敵部隊は狙っている獲物とこちらの援軍の接近を見たからこそ、もはや目標達成は不可能と考えて退却したのだと、フリードリヒは理解した。

 援軍はメリンダとクレアを守るために一部が残り、他はそのままこちらへ進んでくる。丘を上る騎馬の群れ、その先頭を走るのはマティアスだった。

 数十騎の王国軍騎士を引き連れて近づいてくる養父を、フリードリヒは敬礼で迎える。


「フリードリヒ、よく持ちこたえた。もう大丈夫だ」


 間もなく目の前で馬を止めたマティアスは、フリードリヒを見下ろしてそう言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 粉塵爆発を気軽に起こさないでね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ