第30話 北方平原の戦い①
いよいよアレリア王国との戦いを迎える朝。フェルディナント連隊と貴族領軍の連合軍、総勢千二百が戦闘準備を進めていた。
朝食を終えた騎士と兵士たちは、鎧や兜を身につけて武器を点検し、そして野営地を発つ。戦場となるであろう北方平原の中心付近で、少しずつ陣形が形作られていく。
陣形を作り進めているのはエーデルシュタイン王国側だけではない。アレリア王国の軍勢およそ千百も、遠いが視認できる位置で着実に隊列を整えていく。
敵側後方の本陣にはアレリア王国軍の軍旗と並び、ファルギエール伯爵家の旗――獲物を狩る獰猛な捕食者、梟をかたどった家紋の旗――がはためく。
両軍が開戦に備える中で、将であるマティアスは自軍の最前列よりもさらに前に立ち、敵陣を見据えていた。
「敵の陣容が気になられますか」
兵士たちの誰もが遠巻きに見ていたマティアスに、歩み寄ったのはグレゴールだった。副官であり従士長である彼だからこそ、マティアスの放つ近寄り難い空気を越えて話しかけた。
「……何せ、敵将があのファルギエール伯爵だからな」
マティアスは敵軍を見据えたまま答える。
「戦の際に何か仕掛けてくる可能性があると?」
「そうだ。あるいは、既に何か仕掛けている可能性がな」
自分がかつて殺した敵将の娘であり、自分の一人息子を殺した敵将。マティアスも個人的に、含むところがないとは言わない。しかし、個人的な因縁のある敵将の軍勢だからこうして睨みつけていたわけではない。
当代ファルギエール伯爵ツェツィーリアは二十代半ばとまだ若い将だが、良い将であることは敵ながら認めざるを得ない。そして彼女は、勇将ではなく智将として有名。
彼女が頭角を現したのが、九年前の国境での小競り合い。マティアスの息子ルドルフが戦死した戦い。戦場はやはりこの北方平原だった。
その戦いはマティアス自身は指揮をとっておらず、当時の騎兵大隊長に総勢二百の兵を預けて送り込んだ。両軍ともにほぼ同数の戦いで、しかし苦戦を強いられたのはエーデルシュタイン王国軍の側だった。
敵を退けることには成功したものの、こちら側の死者はルドルフを含む騎士三人と兵士十五人。小競り合いにしては損害が大きすぎた。それだけツェツィーリアの指揮が巧みだった。
その数年後、ロワール王国はアレリア王国に征服されて消滅したが、「英雄の息子殺し」として名を上げたツェツィーリアはアレリア王に才覚を見込まれ、そのままアレリア王国軍の将となった。二年前のミュレー王国征服に際しても大きな戦功を挙げ、名実ともにアレリア王国軍を代表する軍人の一人になっているという。
今回の戦いが、エーデルシュタイン王国とアレリア王国の本格的な緒戦になるのであれば、ツェツィーリアはやはり何かしら仕掛けてくるだろう。マティアスはそう考えていた。
「しかし、敵味方ともに似たような編成で、数で言えばほぼ互角、厳密に言えばこちらがやや有利です。北の山道の別動隊も同数で、あちらの戦況が大きく動くことはないでしょう。この状況でどんな小細工ができるのか――」
状況整理も兼ねてグレゴールが語っていると、マティアスはそれを制するように片手を軽く掲げた。グレゴールは主人の思考の邪魔にならないよう、即座に黙る。
片手を掲げたままなおも敵陣を睨んでいたマティアスは、そして口を開く。
「……何故、徴集兵がいる」
「徴集兵?」
グレゴールの問いかけに、マティアスは敵陣を指差す。
「歩兵部隊の隊列の後衛だけ、半数ほどが正規軍人ではない。アレリア王国軍の兜と胴鎧を身につけ、槍を持っているが、動きが拙い。前衛に正規軍人を並べることでこちらから後衛が見えづらいよう努めているようだが、あれは農民の徴集兵だろう」
グレゴールは目をこらして敵陣を観察する。
マティアスに言われた点を意識しながらしばらく凝視し続けて、ようやく彼の語った違和感に気づくことができた。
「……よくお気づきになりましたな。しかし、徴集兵が加わっても敵軍の総数が変わっていないのなら、入れ替わった正規軍人たちはどこへ……まさか!」
グレゴールが血相を変えたのとほぼ同時に、連隊本部で直衛と伝令役を務める騎士がマティアスたちのもとに駆けてくる。
「ホーゼンフェルト閣下! 別動隊より伝令が来ました!」
その報告を受けてマティアスとグレゴールが本陣に戻ると、そこでは疲れ果てた様子の兵士が二人待っていた。
地面に座り込み、荒い息を吐きながら休んでいた兵士たちは、連隊長がやって来たのを見て慌てて立ち上がろうとする。
「そのままでよい。報告を聞こう」
「……報告いたします。別動隊の斥候が、山道の西側に、敵の別動隊を確認………その数は、およそ三百との、ことでした」
「別動隊指揮官、騎士オリヴァー様より、本隊に援軍を求むとの言伝が……今日一日は、必ず持ち応えるとも、仰っていました」
まだ息をきらしながら、兵士たちはそう述べた。
「分かった。二人ともご苦労だった。ひとまず後方で休んでいろ」
伝令の兵士たちを下がらせたマティアスは、グレゴールと顔を見合わせる。
「……敵軍は集結地点を発ってから北方平原に到達するまでの道中で、農民を二百ほど徴集して正規軍人と同じ装備を身につけさせ、それと入れ替えるかたちで合計三百もの兵力を山道に差し向けたというわけですか」
「そういうことだろうな。なかなかよく考えたものだ」
敵国に忍ばせた間諜と、こちらの部隊から出す斥候による情報収集。その間隙を狙った、姑息だが見事な策だった。
「ただちに援軍を送りますか?」
「……いや。こちらも開戦が迫っている。今から陣形を崩し、数百の兵力を抜くことはできない。それに、今すぐ援軍を発たせたとしても別動隊の今日の戦いには間に合わないだろう。この会戦で早々に勝利を収めた上で、今日中に援軍を編成して発たせる」
短い思案の末に、マティアスは言った。
「オリヴァーは一日持ち応えると言ったのだ。だとすればフリードリヒも同じ決意なのだろう。別動隊を任せた以上、あの者らを信じるべきだ」
「それでは、会戦の決着後、直ちに援軍を送ると別動隊の伝令たちにも伝えておきましょう」
「任せた」
グレゴールが後方へと歩いていったのを横目に見届け、マティアスは再び敵陣を見やる。
陣形の側面を守るように、騎兵の突撃を防ぐための障害物が並べられていくのが見えた。細い丸太を組み合わせ、立体的な十字が重なり合うようにして自立した木柵だった。
敵の最前列には大盾を並べた重装備の歩兵。側面には騎兵避けの木柵。明らかに、一度の会戦で決着をつけるのではなく、守りを固めて一度こちらの攻勢を退け、戦いを長引かせることを狙った布陣。別動隊が今日のうちに山道を突破し、回り込んでくるのを待つつもりか。
こちらも少し、戦い方を変えるか。
そう考えたマティアスは、大隊長たちを集合させるよう、本部付の騎士たちに命じた。
・・・・・・
「伯爵閣下。弓兵と騎士たちの準備はもう間もなく完了します。歩兵の布陣も、さほど時間はかからないでしょう」
アレリア王国側の本陣。大将であるツェツィーリア・ファルギエール伯爵は、副官の言葉を聞きながら戦場を俯瞰する。
「そうか、いよいよだな。実に楽しみだ。今までで最も心躍る戦いかもしれない」
ツェツィーリアの顔には笑みが浮かんでいた。
この戦いは、アレリア王国によるエーデルシュタイン王国侵攻の重要な一歩となる。
エーデルシュタイン王国軍の規模や各部隊の役割は、アレリア王国側もある程度把握している。主力は三つの連隊。そのうちヒルデガルト連隊はベイラル平原から動くことはほぼない。アルブレヒト連隊は国内、特に王領を死守する役割を帯びた最後の砦であるため、こちらもよほどのことがなければ動かされない。
ということは、北方平原の防衛に出張ってくるのはおそらくフェルディナント連隊。そこに周辺の貴族領軍が引っ付いてくる程度。これを撃滅して突破すれば、北方平原の一帯を完全に支配し、援軍を迎え入れて侵攻の橋頭保を築くことが叶う。そうすれば敵国内を混乱させ、ベイラル平原や最北の回廊の守りにも綻びを生じさせることが叶う。そうなればこの侵攻の勝ち筋が見える。
とはいえ、こちらも北方平原に無尽蔵に戦力を投じられるわけではない。
併合したばかりの旧ミュレー王国をはじめ、占領地の支配維持にアレリア王国軍はそれなりの戦力を割いている。王国の心臓である中央部の防衛や治安維持にも戦力を要する。東に向けられる戦力のうち、一部はノヴァキア王国に向けなければならない。
なのでツェツィーリアは、現在の主君であるアレリア王に、一個連隊の基幹戦力のみで北方平原を攻略する策を提示した。敵の諜報や偵察の隙を突き、今までは突破困難と見なされていた山道から回り込んで敵軍を挟撃する。ツェツィーリアのこの策はアレリア王に気に入られ、ツェツィーリアはこの戦いの将に抜擢された。
敵側の基幹部隊はやはりフェルディナント連隊。将はマティアス・ホーゼンフェルト伯爵。父の仇との戦いが、ツェツィーリアの待ち望んだ戦いが、ついに実現した。
この戦いで英雄マティアスに勝利し、大戦果を収めれば、自分は父の仇を討ち、勇将として知られた父をいよいよ超えることができる。
「徴集兵たちの様子はどうだ?」
「……怯えているようです。敵将がマティアス・ホーゼンフェルト伯爵だからでしょう」
エーデルシュタイン王国の英雄マティアスの名は、旧ロワール王国の民にとっても当然に知られている。
彼らからすれば、マティアスは自分たちを大敗北に追い込んだ苦い記憶の象徴。今もなお恐怖の対象。徴集兵の中には親が十九年前の戦いに徴集されて敗走したという者や、中には自分自身がフェルディナント連隊に蹴散らされて命からがら逃げたという者さえいる。
そのため、敵将がマティアスだと知って、徴集兵の間には早くも不安が広がっていると、副官は語った。
「ははは、まあいいさ。最初から期待はしていない。彼らは後衛で立っていてくれたら十分だ」
こちらの別動隊の規模を敵側に誤認させるために進軍途中で集め、戦場に並べた徴集兵たち。端から最前に立たせて戦わせるつもりはない。彼らにはただ隊列だけを維持させ、そうしてなるべく長く敵側の目を欺ければそれでいい。
「できるだけ、準備完了を急がせてくれ。エーデルシュタインの偉大な英雄を待たせるのは申し訳ないからな」
「かしこまりました、閣下」
ツェツィーリアの皮肉めいた言葉に、副官は生真面目に答えた。




