18.懐妊
鈴子と清一郎の結婚式から二年がすぎようとしていた。二年という時を経ても、新婚の頃と同様の甘い雰囲気と、相変わらずのぎこちなさを伴ったまま、ふたりは幸せな日々を過ごしていた。
リビングでくつろいでいる清一郎のとなりに寄り添うように腰掛けていた鈴子が、ほんのりと上気した頬で清一郎を見上げた。
鈴子のなんとも言いがたい可愛らしさに、二年も夫婦生活を続けている夫とは思えないほどに、清一郎の胸は高鳴っていた。
「あのね、桜子のことなんだけれど……」
「桜子さんがどうかしたのか?」
「うん、あのね」
鈴子の話は、今日の午後に桜子と会った時の話だった。
桜子と鈴子はカフェのテーブルを挟んでいた。
オーダーしたケーキと紅茶がテーブルに並び、運んで来たウェイトレスがふたりに背を向けて去って行くのを待ってから、桜子が口を開いた。
「ごめんね。急に呼び出したりして、鈴子の家へ行っても良かったんだけれど、百地の家ではまだちょっとね。まずは鈴子に話しておこうかと思って」
「なに? みんなには秘密のことなの?」
「秘密って言うわけじゃ無いけれど、紀隆さんには話したけれど、御義父さまやウメさんにはまだ話していないの」
紀隆とは、桜子の夫で鈴子の兄にあたる、百地家の次期当主だ。そしてウメは紀隆の乳母を務め、今でも百地家の使用人として住み込みで働いていて、紀隆にとっては母親のような存在である。桜子に対しては相変わらず小言の多いやっかいな存在だった。
「なにかしら?」
鈴子が身を乗り出した弾みで、危うくティーカップが倒れそうになり、カチャリと音をたてた。
「実はね、この前お医者さんに行ってきたのよ」
「お医者さん? 桜子、どこか悪いの? 出歩いていて大丈夫なの?」
「そんなに心配しないでよ、本当に鈴子は優しい子なんだから」
「だって、桜子のことなら心配するよ。家族だし、親友なんだからね」
「うふふ、ありがとう。でもね、心配するようなことじゃ無いのよ」
「心配することじゃない?」
「そう、実はね……」
桜子は声をひそめて言った。
「私、赤ちゃんが出来たの」
「えっえっ! 赤ちゃん!」
驚いた鈴子の声は、店中に響き渡りそうな音量になってしまった。驚いた数人の客と先ほどケーキと紅茶を運んで来たウェイトレスが一瞬こちらを注視した。慌てた桜子が小さく会釈すると、すぐに店内は平静を取り戻した。
「す、鈴子! シー、そんなに大きな声を出さないでよ。恥ずかしいなぁ」
「あっ、ごめん。赤ちゃんが出来たって、病院で診てもらったの?」
「うん、三ヶ月だって」
「桜子、おめでとう」
「ありがとう、鈴子」
「というわけで、桜子が妊娠したそうです」
「えっ! そうなのか。おめでたいことじゃないか。それで、いつ頃生まれるんだい?」
「来年の五月って言っていました」
「五月かぁ、義兄さんも喜んでいるんだろうなぁ」
天井を見つめて、普段は厳格な義兄・紀隆の喜ぶ顔を想像していた清一郎が、ふと呟いた。
「僕もいつかは父親になるんだよなぁ。父親になるって、どんな感じなんだろうか?」
そう呟いた清一郎の手が、鈴子の手と重なったときだった。
「清一郎さん、実はお話には続きがあるんです」
日頃見かけることの無い鈴子の真剣な視線を浴びて、清一郎は緊張した。鈴子はいったい何の話をしようとしているのだろうか? 清一郎の心の中に、不安な陰が差しかかった。
清一郎が居住まいを正すのを見て、鈴子が話し始めた。
「おめでとう」
「ありがとう」
そんな会話のあと、桜子は鈴子の様子を計るかのような視線を向けながら言う。
「鈴子は?」
「えっ、私?」
「そう、鈴子だってそろそろ赤ちゃんが出来たっておかしくないでしょう」
鈴子はほんのりと頬を赤らめながら首を横に振った。
「私はまだ……」
「そう、まだなんだ。……本当に?」
桜子に見つめられた鈴子は、視線をティーカップに移しながら、何かブツブツと呟いている。
「ん? 鈴子、どうしたのよ」
「あのね、実はね、ここのところ生理が遅れているの」
「遅れているって、どのくらい?」
「えっと、ひと月くらいかな」
「ひと月かぁ、微妙なところだけれど、今からお医者さんに行ってみようよ。もしかしたらもしかするかもよ」
「でも……」
「でもじゃ無いでしょう、もし妊娠だったら、ふたりの赤ちゃんは同級生になるんだよ。妊娠だったら良いなぁ」
「でも、急にじゃお医者様だって……」
「大丈夫。今から行くって電話をするから、ちょっと待って」
そう言って桜子は産科医院に電話をし、今から行くからと予約を取ってしまった。
「鈴子、ほらぁ、グズグズしないで。こういうことは早く分かるに越したことは無いんだからね。ほら、行くよ」
鈴子は桜子に急かされてカフェを出た。
桜子に付き添われて産科医院での診察を受けた鈴子に、医師が告げていた。
「おめでとうございます。二ヶ月と言ったところでしょうね」
「鈴子、おめでとう! これで私たちの赤ちゃんは同級生になれるね。何だか嬉しいなぁ」
「う、うん、桜子、ありがとう。私ひとりだったら、なかなか勇気が出なくって、病院には来られなかったかも。やっぱり桜子は頼りになるなぁ」
「ははは、そうですとも、こう見えて義姉さんですからね」
桜子の言葉に、ふたりは幸せそうに笑い合った。
「と言うことなのです」
鈴子がはにかむような笑顔を清一郎に向けた。
「と言うことって、鈴子! 赤ちゃんが出来たのか? 僕の……僕たちの赤ちゃんが出来たのか?」
「そうですよ、清一郎さんと私の赤ちゃんです」
「やった! 鈴子、よくやった。ありがとう」
清一郎は鈴子を抱きしめた。そして、鈴子のお腹を愛おしそうに撫でるのであった。




