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17.鈴子の結婚

 

 ドタバタプロポーズの後、父である百地家現当主の百地紀道ももちのりみちからも、『紀隆が認めた者ならば異存は無い』との言葉をもらい、鈴子と清一郎の結婚準備はトントン拍子に進んだ。


 清一郎が帝大を卒業し、外務省勤務も半年が過ぎた秋、奥平家と百地家の結婚式が盛大に行われた。紀隆と桜子の結婚式と同様で、披露宴の出席者は政界財界の実力者が多勢をしめた。桜子の場合は元公家で公爵の爵位を戴いた九条家と言う名家の息女だったからまだ良いのだけれど、清一郎の場合はそうはいかなかった。母ひとり子ひとりの家で、親類縁者も少ない。清一郎の母とその親族達は、場違いと言わざるをえない状況に肩身の狭い思いをしていた。


「何だか凄い結婚式になってしまったなぁ。母さんも伯父さん達も居心地が悪そうだ。悪いことをしちゃったなぁ」

 清一郎のつぶやきに気付いた鈴子がそっと清一郎の手を握った。

「ごめんなさいね。もっと小規模な結婚式にしたかったのですが、お父様が納得してくれなくって……。本当にごめんなさい」

「鈴子さんが謝る事じゃ無いですよ。僕のような者が百地家の御息女と結婚できるなんて、夢みたいな事ですからね。母さんも伯父さん達も居心地は悪そうだけれど、一生の思い出になるでしょうからね。実は結構楽しんでいるんじゃ無いかな? こんな豪華な料理を食べる機会なんて、そうは無いですからね」

 恐縮している鈴子に向かって、清一郎は明るく笑って見せた。


 次々に訪れる政財界の実力者達への愛想笑いにも疲れた頃、お色直しという休憩時間が入る。しばしの休息を経て、愛想笑いが再会される。そんな事を数回繰り返して完全に疲れ切った頃、やっと披露宴はお開きとなった。


 疲れ切った清一郎と鈴子は、都心とは思えない静かで木立に囲まれたこぢんまりとしたマンションの一室にいた。ここが清一郎と鈴子の新居だ。こぢんまりと言っても、外観が三階建てで世帯数が少ないと言う見た目だけのことだった。室内は三つの個室に広いリビングダイニングという、外務省勤務一年目の若者にとっては分不相応な部屋だ。清一郎の給料で買える様な物件では無い。ここは鈴子の嫁入り道具の一つとして百地家が用意したものだった。

「おつかれさまでした」

「うん、鈴子さんも疲れたでしょう」

 鈴子は清一郎の顔を見詰めて微笑みを浮かべながら言った。

「清一郎さん、今日から清一郎さんは私の旦那様なんですからね。鈴子さんはおかしいわ」

 怪訝な顔を見せる清一郎にさらなる言葉をかける。

「今日からは鈴子と呼び捨てにして下さい」

「鈴子……」

 はにかむように名を呼ぶ清一郎は笑顔の鈴子を抱き寄せた。



 鈴子は清一郎の上着をハンガーに掛けてから、キッチンへ湯を沸かしに行った。清一郎は部屋着に着替えてからリビングのソファーに腰掛けて、手近にあった週刊誌を開いた。しかし、清一郎の視線は週刊誌にでは無く、対面式のキッチンで働くエプロン姿の鈴子に注がれていた。

「鈴子……、君も疲れただろう、こっちで座ったら?」

「はい」

 盆に乗せたお茶をテーブルに並べてから、鈴子は清一郎の隣に座った。

「百地家の婚礼となると、凄いんだね。テレビのニュースでしか見たことの無い人たちが、僕なんかに挨拶をしに来るなんて……」

「私もほとんどの人が初対面。もしかしたらお兄さんの結婚式で会っていたかも知れないけれど、全然覚えていませんでした」

「僕なんて、全くの別世界にいるみたいだったよ」

「今日は本当に疲れちゃったわ」

 そう言いながら、鈴子は清一郎の肩に頭を凭せ掛けた。清一郎は鈴子の肩にそっと腕を回した。

「今日は早く寝ることにしよう」

「そ、そうですね。あっ、お、お風呂の準備をしなくちゃ!」

 鈴子は何やら慌てた様子で立ち上がると、浴室へと向かった。給湯器のボタンを操作すると、コントロールパネルから音声が流れた。

『お湯張り運転を開始します』

 給湯器の声を背にリビングに戻る鈴子の足が止まった。グズグズとなかなか前に進まない。その上、頬がほんのりと桜色に染まっている。

 先程清一郎が言った『今日は早く寝ることにしよう』という言葉が、鈴子の耳の奥を駆け回っていたのだ。

 いくら恋愛に奥手の鈴子であっても、結婚した男女が初めての夜に何をするかくらいは知っている。今時の若者たちの大部分が結婚前に経験していることだが、鈴子はまだ経験していないというだけだ。知識としてならば頭に入っている。前日には、鈴子を心配した桜子からその時の心得まで享受されている。

 実際にその時を目の前にして、喜びと恐怖の入り交じった感情が鈴子を飲み込んでいたのだ。


 風呂上がりの清一郎はリビングで新聞を読みながら、鈴子が風呂から出てくるのを待っていた。

 なかなか戻ってこない鈴子を心配した清一郎が、様子を見に行こうと腰を上げかけた時だった。浴室の戸の開く音がして鈴子が風呂から上がった気配がした。湯あたりでもしているのでは無いかと心配していた清一郎は、安堵して新聞の紙面へと視線を戻した。しかし、風呂から上がった筈の鈴子がなかなか出てこないではないか。どうしたことかと様子をうかがいに行った清一郎の前に、顔を上気させた鈴子が現われた。

「どうしたの? なかなか出てこないから心配していたんだ」

「ううん、何でもありません。大丈夫です」

 そう言いながら、鈴子は清一郎の手をとって、リビングへと戻った。ソファーに腰掛ける清一郎を見ながら、昨夜の桜子との会話が頭を過ぎった。


「鈴子もだけれど、清一郎さんもかなりの奥手みたいだからなぁ。もしかしたら初めてかも知れないわねぇ」

「だとしたらどうなの?」

「うーん、タイミングって言うか……、色々と考えちゃってなかなか行動に移せないなんてことになるかも」

「えっ、えっ、そうしたら……、どうしたら良いの?」

「そうね、そこは鈴子がサインを出してあげなくちゃね」

「サインって」

「そうねぇ、鈴子から彼に触れて行くとか……。とにかくスキンシップね。鈴子からの接吻なんて言うのも良いんじゃない。鈴子からしたことなんてないでしょう」

「ええぇぇ、そんな事……、私に出来るかなぁ」

「出来る、出来る。とにかく可愛く甘えちゃいなさい。きっと上手くいくわ」


 何かを決心したような表情で、鈴子はソファーに座る清一郎に近付いた。そして、隣に座ると見せかけて清一郎の唇に接吻をした。急に恥ずかしくなった鈴子は、驚く清一郎の膝に頭を乗せて火照った顔を隠した。清一郎は鈴子の髪を優しく撫でた。

 そして、清一郎と鈴子は手を取り合って寝室へと向かい、初めての二人だけの夜を過ごした。いくら奥手な二人だと言っても、傍が気を揉む必要は無かったようだ。






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