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16.朴念仁の求婚(2)

 

 紀隆に鈴子との結婚を反対され、ひとり取り残された清一郎はしばらく立ち上がることも出来なかった。清一郎にとって鈴子は何を差し置いても大切にしたい宝物の様なものだった。しかし、外交の道へ進むという夢も捨てきれない。自らの心情や理念に反して軍に入ったとしても、今後の人生が良い方向へ向かうとは思えなかった。



 その日の夕刻、清一郎は鈴子と会っていた。紀隆に『金輪際鈴子に近付くことは許さん』と言われたことが清一郎の心に重くのしかかっていた。

「今日の清一郎さんは、何だかいつもと違いますね。何かあったのですか?」

 浮かない表情の清一郎を心配そうに鈴子が見詰めていた。

 清一郎は逡巡しながらも重い口を開いた。

「実は今日の昼にお兄さんと会っていたんです。その時に、卒業したら軍に入れと言われたのですが、僕は外交に進みたいと言ってお兄さんを怒らせてしまったのです。そうしたら、今後鈴子さんとお付き合いすることも許さないと言われてしまって……」

 話を聞いた鈴子の表情が一変した。清一郎は今まで見たことも無い鈴子の険しい表情に驚いていたが、鈴子はかまわず言葉を荒げた。

「兄がそんなことを! 許せません。私を何だと思っているのかしら。清一郎さん、今から家へ行きましょう」

 そう言って鈴子は清一郎の手を取り、駅への道を足早に進んだ。戸惑う清一郎だったが、鈴子の剣幕に気圧され、手を引かれるままについて行くしかなかった。




 そのころ、帰宅した紀隆は昼間のことを桜子に話していた。

「まったく、最近の若い者は腑抜けたヤツばかりで困ったもんだ」

「あらあら、まだ酔いが醒めませんか? 何があったか知りませんが、あなたも最近の若い者ですよ」

 次期百地家当主とは言っても、紀隆はまだ二十代半ばの若者だ。桜子が笑いながら応えると、紀隆は不満顔で昼の清一郎との話を始めた。

「今日の昼は奥平君と一緒だったんだが、鈴子との結婚を考えているとか言いながら、学校を卒業しても軍には入らないとか言い出したんだ。外交官になって諸外国と話し合いをしたいそうだ。そんなチマチマしたヤツだとは思わなかったよ。だから言ってやったんだ。『そんなヤツは金輪際鈴子に近付くな!』って」

 紀隆の身の回りの世話をかいがいしく行っていた桜子だったが、その手を止めてすっくと立ち上がり、上気した顔を紀隆に向けた。

「紀隆さん、なぜそんな勝手なことを言うんですか! 鈴子がどれほど清一郎さんを想っているのかくらいわかっているでしょう! 鈴子の幸せを一番に考えてあげるのが兄としての勤めじゃないですか!」

 日ごろ物静かな桜子だけに、紀隆はその剣幕にたじろいでいた。


 廊下をドタドタと踏みならすような音と共に、部屋の扉が勢いよく開かれた。そこには清一郎の手を引いた鈴子が立っていた。

「お兄様! 清一郎さんになんてことをおっしゃるのですか!」

 こちらも今までに見たこともない剣幕で紀隆に喰って掛かる。ひるんだ紀隆は桜子に救いを求める目を向けたが、桜子も鈴子の脇に移動して紀隆を睨みつけた。

 仕事相手ならば、一睨みで相手を牛耳る程の眼力を持つ紀隆だったが、妻と妹の睨みの前では全くの無力だった。救いを求めるように清一郎に視線を向けた。

「さっきはすまなかった、少々酒を飲み過ぎたようだ。奥平君、昼間の話はなかったことにしてくれ。君が外交に進みたいならば応援するよ。鈴子のこともよろしく頼む。これで良いか?」

 最後の一言は未だに紀隆を睨み続けている鈴子と桜子に向けたものだった。



 私室から応接室へと移動した四人はソファーで紅茶を飲みながら談笑していた。とは言っても、談笑しているのは鈴子と桜子だけで、紀隆と清一郎は居心地悪そうにソファーに沈んでいる状態だった。

「鈴子、清一郎さんにプロポーズされたのね。良かったわね」

「えっ? プロポーズ?」

 鈴子の怪訝そうな表情で事態を察した桜子は、清一郎へと視線を移した。

「なに? 清一郎さん、まだプロポーズしてないの?」

 先程の状況を目の当たりにした清一郎がオドオドと応える。

「あっ、はい。お兄さんに『鈴子との結婚はなかったことにしてくれ!』って言われたことを伝えただけで……」

「はぁ? 情けないわねぇ。こうなったら今からプロポーズしちゃいなさいよ」

「えっ!」

 桜子は戸惑う清一郎の前に鈴子を立たせ、清一郎に言う。

「清一郎さん、ここは覚悟を決めてプロポーズしちゃいなさい。私が見届けてあげるわ。鈴子もしっかり応えるのよ」

 桜子に急かされ、戸惑いながらも清一郎は語り始めた。

「あ、あのう……こんな形になってしまい申し訳ありません。まだ学生の身分の僕がこんな事を言うのも何ですが、す、す、鈴子さん。ぼ、僕と結婚してください! 必ず幸せにしますから」

 鈴子の目から涙がこぼれ落ちた。慌てる清一郎を目で制して、桜子が鈴子の背中を支えながら母のような優しい声で囁く。

「鈴子、しっかりしなさい。素直に自分の気持ちを言えばいいのよ」

 桜子の言葉に勇気づけられた鈴子は、意を決したように清一郎を見据えた。

「よろしくお願いします」

 桜子は紀隆を睨み付けながら言った。

「よろしいですわね」

「あ、ああ、もちろん。鈴子、おめでとう、幸せになるんだよ。奥平君、鈴子をよろしく頼むよ」

「は、はい。必ず鈴子さんを幸せにします」


 なんともドタバタしたプロポーズではあったが、こうして無事に清一郎のプロポーズは鈴子へと伝えられたのだった。






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