83通目【良き風が吹いている】
「お待たせいたしました……!」
急いで別れた場所に戻ると、ふたりは移動せずに待っていてくれた。
一瞬ほっとした顔をしながらも「何してたわけ?」とすぐに怒ってみせるララ。ルークは「買い忘れでもあったのか?」と心配してくれる。
やはりふたりには幸せになってほしい。
胸がぎゅうっと苦しくなるのを感じながら、リゼットはララとルークそれぞれに、書いたばかりのミニレターを押し付けた。
「えっ。何?」
「手紙……?」
「おふたりに読んでいただきたくて、書きました!」
「読んでって……いま?」
「ここで読むのか?」
戸惑うふたりに、リゼットは大きくうなずく。
「ぜひ、いま、ここで読んでいただきたいです!」
いまじゃなくても、と先延ばしにすると、大事なタイミングを逃すことになるのではないだろうか。
ルークは過去のことをタイミングが悪かったと話したが、いまよりも良いタイミングが訪れるとは限らない。
「あとでいいじゃないかと思うのも仕方のないことだと思います。でも、おふたりはいま、ここに……いるの、ですから……」
「……リゼット? どうしたの?」
「何か悪いものでも食べたんじゃないのか?」
ふと脳裏に浮かんだことで一時停止をしてしまったリゼットだが、ふたりに顔をのぞきこまれ我に返る。
ぶんぶんと首を振り「とにかく!」とふたりを見据えた。
「私はお先に失礼いたしますので、あとはおふたりでゆっくりされてください」
「ゆっくりって」
「今日は君を案内する日……」
「私は! 私は……今日、とても楽しかったです。おふたりと街を歩けて、素敵なお店を紹介していただいて。だから、おふたりにとっても今日が良い日になるといいなと思うのです」
だから、手紙を読んでくださいね。
そう言ったリゼットに、ふたりは顔を見合わせ、また同時にミニレターを見下ろす。
動きがぴったりだったので、お似合いだなぁとリゼットは笑った。
「今日はありがとうございました! また三人でおでかけしましょうね!」
頭を下げ、ふたりに手をふりながらお別れをする。
距離ができてからこっそり振り返ると、ふたりはミニレターを開き中を読んでいるようだった。
どうか、ララとルークに幸せが訪れますようにと願い、リゼットは石畳の上を跳ねるようにして馬車に向かうのだった。
***
伯爵邸に戻ると、スカーレットがバラ園のガゼボでティータイムを取ろうとしているところだった。
ちょうどいい時に帰ってきたねと、席を勧められる。
「思ったより早かったね。他の弟子たちと楽しく過ごせたかい?」
「はい! 素敵なお店をたくさん教えていただきました!」
「そうかい。交流が増えるのはいいことだよ。子爵邸に住んだら、気軽に友人が訪ねてきてくれるといいね」
「……はい」
スカーレットはこうして、子爵邸の主になることは素晴らしいことだと、何かにつけて言い聞かせてくれる。
リゼットがハロウズ伯爵邸を離れがたく思っていることに気づいているのだ。
だから少しでもリゼットが前向きな気持ちになれるよう、言葉を尽くしてくれている。
スカーレットの心遣いはとても嬉しいし、子爵邸に移ったあとの楽しみもわからないわけではない。
それでも、やはりスカーレットと過ごすこの時間がなくなってしまうのが、たまらなく寂しいのだ。ずっとこのままでいられたらいいのにと、願わずにはいられないのだ。
スカーレットは寂しくないのか。そう聞いてしまいそうになるのを、何度こらえただろう。
「ダニエル……父親とは、相変わらずかい?」
「そうですね……。引継ぎに必要な会話だけで、それ以外は。私も何を話したらいいのかわからなくて。父と母のことも、まだ受け止めきれずにいますし」」
「セリーヌのことは、その頃私も王都にいなかったから何とも言えないが。だが、あの子は手紙への愛はもちろん強かったが、家族への愛も大きかったはずだよ。私の知っているセリーヌは、死の縁に立って、家族を蔑ろにする子ではなかった」
「私もそうだと思っているのですが……」
だがリゼットもその頃は幼過ぎて、記憶があいまいだ。
絶対にそんなことはない、と強く父に言えないのがもどかしい。
「もちろん、手紙の返事を欠かす子でもなかったさ。でもセリーヌは晩年、友人たちには別れの手紙を書いていたようだしね」
「別れの手紙、ですか?」
「サロンでセリーヌと交流のあった者から、あの子が亡くなったあとに手紙が届いていたんだ。セリーヌも病に侵されたようだと」
母が最期に送った手紙には『残された時間は家族に費やすので、これをお別れの手紙とさせてください。いままで本当にありがとうございました』とあったらしい。
交流のあったひとりひとりに別れの手紙を、父に止められても書き続けたということだろうか。それで体力を削られ亡くなったのだろうか。
だが、残された時間は家族に費やすというのはどういうことだろう。
費やすほどの時間は残されていなかったのか、それとも費やそうとした頃には父との間に溝が出来てしまっていたのか。
考えこんでいると、執事が来客を報せにきた。王女宮の侍女だという。
緊急の呼び出しか何かかと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。
スカーレットと顔を見合わせ、その侍女の待つホールへと向かうと、待っていたのはクラリスだった。
リゼットに、病に倒れた母への手紙の代筆を依頼した侍女だ。
あのときは病で母を亡くした自分と重ねて、病を治せるわけではないのにふたつ返事で引き受けてしまった。
「フェロー先生!」
クラリスは満面の笑みでリゼットの両手を握ると「ありがとうございました!」とそれは深く頭を下げた。
「母に合う薬が見つかったそうで、回復し始めたと連絡があったのです!」
「ほ、本当ですか? 良かった……! 良かったですね!」
「フェロー先生のおかげです! それで今日はどうしてもお礼がしたくて、このように突然押しかけてしまいました。申し訳ありません。こちら心ばかりの品ですが、私の故郷の特産品です。林檎ジュースに林檎の果実酒、林檎ジャムと、これは林檎の香水です」
たくさんの瓶が詰めこまれた木箱を指すクラリスに、リゼットは恐縮した。
クラリスからは代筆の代金をすでにもらっている。その上贈り物までもらってしまっていいのだろうか。
「わざわざ、しかもこんなにたくさん……よろしいのですか?」
「もちろんです! 本当はこれでは足りないくらいなのでしょうけれど……」
「とんでもない! あの、ありがとうございます。とっても嬉しいです。お母様のご回復、本当におめでとうございます!」
クラリスは何度も頭を下げながら帰っていった。
リゼットの代筆に本当に満足してくれているのが伝わってきて、胸が熱くなる。
「良い仕事をしたようだね。実はリゼットが出かけている間に、王女宮の近衛騎士からも花が届いたんだよ」
「近衛騎士って、もしかして」
スカーレットの指示で、ソフィがその花を持ってきてくれる。
淡いピンクを基調とした花々がカゴ一杯に詰められ、持ち手がリボンで飾られていた。
添えられたカードには『同僚の復帰が決まりました。祝福の女神に感謝を』というメッセージとともに、王女宮の騎士の名前が記されていた。
そうだ。自分で手紙を書くのは照れるからと、代筆を頼まれたのだ。
王女宮にいる間に、他にも何通も代筆をした。彼らの「ありがとう」という感謝の言葉と笑顔が、リゼットの心を明るく照らしてくれる。
「リゼット。良い風が吹いていると思わないかい?」
振り向くと、なぜかスカーレットが得意げな笑みを浮かべている。
そんな師の顔を真っすぐに見つめ返し、リゼットはしっかりとうなずいた。
実は名前も出ていないこの騎士にこっそり萌えている作者です。




