78通目【フェロー家】
父から短い返事が届いたのは、会いに行く日時をうかがう手紙を送った二日後のことだった。
シンプルな便せんに了承のメッセージだけが書かれた手紙を、リゼットは何度も何度も見返した。
父から手紙をもらったのは、これが初めてのこと。
正直に言うと、嬉しい気持ちよりも、寂しさのほうが勝った。
(やっぱりお父様は、手紙がお嫌いなんだわ……)
何となく、そうではないかとは思っていた。
スカーレットのことを恨んでいたり、リゼットが代筆者となることを反対したりする父の姿を見て、もしかしたらという予感はあった。
だが、手紙をあれだけ愛していた母と結婚したのに、手紙が嫌いだなんてことがあるだろうか。
あなたのせいで母セリーヌが亡くなったと、以前スカーレットを責めていた。それが原因なのだろうか。
今日は、父に会って直接聞きたい。これまで聞けずにいたことをすべて。
「勇気を貸してね」
ウィリアムが直して贈ってくれた万年筆を手に取り祈る。
それを丈夫なケースに入れて蓋をする。このケースもウィリアムからもらった特別なもので、お守りのように大事に持ち歩いていた。
「準備はできたか?」
ケースを小さな鞄にしまったとき、ウィリアムが迎えにきた。
リゼットはキリリとした顔でうなずき立ち上がる。
「はい。ウィリアム様、今日はよろしくお願いいたします」
「……戦場に赴く兵士と同じ顔をしているぞ」
「えっ」
そんなに険しかったか、と自分の頬を撫でると小さく笑われる。
差し出された腕に手をそえて、生まれ育った家へと向かった。
***
王太子宮で会ったときよりも、さらに父はやつれていた。
眠れていないのか、食事をとれていないのか、はたまたその両方か。目の下は青黒くくぼみ、頬はこけ、生気がまるでない。
「お父様……大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。問題ない」
「ですが、今日は話し合いよりも休まれたほうが……」
「本当に、大丈夫だ」
眉間をもみながらため息をつく姿は、とても大丈夫そうには見えなかったが、こうも頑なだと何を言っても聞きいれはしないだろう。
父はテーブルに書類を広げながら、ちらりとリゼットの後ろに立つウィリアムを見た。
「……アンベール子爵は、ずっとそこに立っているおつもりですか」
「私のことはお気になさらず」
「やっぱりウィリアム様、隣に座りませんか? お客様にずっとそうして立たれていると、父も私も気になりますし」
ソファーの自分の隣をポンポンと叩いて示すと、なぜかウィリアムと父の両方から微妙な目で見られる。
何かおかしなことを言っただろうか。
「いや、自領のことについての話もあってだな……」
「フェロー子爵。私のことは空気とでも思っていただきたい。ここで見聞きしたことは他言しないことをお約束します」
「しかし……」
「お父様。ウィリアム様は大丈夫です。信頼できる方ですから。それに……」
ひとつ大きく深呼吸し、リゼットは父を真っすぐに見据えた。
「事務的なお話をする前に、お父様にお聞きしたことがございます」
父の肩がびくりと揺れ、怯えたように目をそらされる。
その姿を見ると、何を聞くべきかわからなくなった。
聞きたいことはたくさんあった。本当にたくさん。父にたいしては「なぜ」「どうして」ばかりだ。
でもそれはきっと、疑問と同時に父を責める意味もあわせ持っている。だから父はこんなにもリゼットを恐がっているのだろう。
実の娘から目をそらしてしまうほどに、父は本当は何を恐れているのだろうか。
「お父様は、私のことがお嫌いですか?」
「……え?」
目を見開いて、父がこちらに顔を向ける。
今度はリゼットが目をそらす番だった。
「私や、母のことがお嫌いで、憎んでいらっしゃるのですか?」
「ちがう!」
勢いよく立ち上がった父は「ちがうんだ」と頭を振りながら、すぐに力が抜けたようにソファーに逆戻りする。
「……でも、意図していなかったものの、私はお父様からお仕事とお立場を奪うことになってしまいました」
「それは、リゼットのせいではないだろう。なぜか知らんが、お前に異常な執着をしていたジェシカのせいで、もっというと娘を好きにさせていたメリンダのせいで、そして……」
両手で顔を覆った父は、また深々とため息をついた。
「そして、元はと言えば、ふたりをこの家に迎えた私のせいだ。つまり、自業自得だな……」
「お父様……」
「ふたりには、かわいそうなことをした」
どこか他人事のような言い方だったが、父はジェシカたちを恨んだり憎んだりはしていないらしい。
その事実がリゼットの胸をモヤモヤさせた。
「お父様は、お継母……メリンダさんたちを、愛していらっしゃったのですか?」
私とお母様よりも。そう続けそうになり、ハッとした。
そうか。これは嫉妬だ。血の繋がった自分より父に大切にされていたジェシカたちに、嫉妬しているのだ。
自分を優先してほしかったわけではない。ただ、義姉にするのと同じように、リゼットのことも尊重してほしかった。
「愛……? そんな綺麗なものじゃない。これは、罪悪感だ」
「罪悪感……? お父様がふたりに罪悪感を抱いていたと?」
ジェシカたちに罪悪感があったから、ふたりが何をしても放任していた? 罪悪感があったから、リゼットよりも優先していたと?
一体父に、どんな罪があるというのだろう。
しかし父はそれきり口をつぐんでしまった。話したくないとうつむき、全身で拒絶している。
どうしたら、こんなにもかたい殻に閉じこもってしまった父に心を開いてもらえるだろう。
「ウィリアム様がいらっしゃるから、話せないのですか? それとも、面と向かっては話しにくいことでしょうか? もしそうなら、お手紙に書くのはどうでしょう? 直接話すより文字でなら――」
リゼットが話している途中で、父が笑った。
それは間違いなく嘲笑だった。ただそれがリゼットを嘲笑ったのか、他の何かを笑ったのかはわからない。
戸惑いながら父を見ていると、やがて髪をくしゃりとかき上げ口を開いた。
「……リゼットからの手紙を読んで、驚いた。お前の筆跡は、本当にセリーヌそっくりだな。私を、何よりみじめな気持ちにさせてくれる」
「え……?」
思ってもみないことを言われ、言葉を失う。
みじめな気持ちになるとはどういうことか。
「美しい筆跡も、気遣いあふれる文面も、お前たちのその才能が誇らしく、それ以上に憎らしい」
暗くよどんだ顔で、父は笑った。
「私が大嫌いで憎いのは、お前たちではなく、お前たちの愛する手紙だ」
皆さま大変お待たせいたしました! パパの告白の始まりです!




