75通目【大きすぎる贈り物】
父の気持ちがわからないから、心配だった。
本心を聞きたい。だが父は俯いたまま、リゼットのほうを見ようとはしない。
「ジェシカはそれだけのことをしでかした。処分の前にこのように離縁を促してくださったのは、王太子殿下のご温情だ」
ルマニフィカ貴族として理解を示し、王太子にも感謝をしている。
だが、心から納得しているというわけではないのだろう。貴族としての模範解答に聞こえた。
「私の温情? 誤解をしてもらっては困る。これは温情ではない。リゼット嬢の縁者が犯罪者となれば、彼女を支援しているスカーレット元王女や、私の妹への非難に繋がる恐れがあるからだ。特にレオンティーヌはヘルツデンの王太子との婚約が決まったばかり。事を荒立てられては王家も困るのだ」
「おっしゃる通りです……。大変申し訳ありません」
「……だというのに、大叔母上もレオンティーヌも、リゼット嬢は手放さないと言う。困ったものだ」
王太子のため息に、リゼットは目を瞬かせた。
「おふたりが、私を……?」
リゼットの家族が起こした不祥事で、ふたりには多大な迷惑をかけたというのに。
それでもスカーレットとレオンティーヌは、リゼットに手を伸ばしてくれるというのか。
「フェロー子爵は娘の人徳に感謝するのだな」
「リゼット……すまなかった。ありがとう」
「お父様……。いいえ。お辛い決断だったことと思います。こちらこそ感謝いたします」
きっと、父は父なりに、継母を愛していたのだろう。
リゼットはそう思い口にしたのだが、隣のウィリアムにため息をつかれてしまった。
「そこでリゼットが感謝してどうする」
「ですが、私もフェロー家の一員です。私にだって本当は家族の責任が……」
「あるわけがない。君は被害者だぞ」
「その通りだな。私が言うのも何だが、優しい人間はつけこまれやすい。お人よしも行き過ぎると、周りをダメにするのではないか?」
王太子の言葉にハッとさせられる。
自分の選択が周りに悪影響を及ぼすなど、考えてもみなかった。
「私が、周りをダメに……」
ジェシカが人の道を外れてしまったように、これからもリゼットが他者をゆるし受け入れすぎると、また誰かを不幸にするかもしれないということか。
罪を犯したジェシカのことだけではない。今回はスカーレットをはじめとしたハロウズ伯爵邸の人々や、ヘンリーや王女宮の人々も、一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれないのだ。
これまで『私は大丈夫』と、ずっと自分に言い聞かせて生きてきた。そうしないと、前を向いてはいられなかったから。
だが、自分は大丈夫だからと我慢をしすぎて、痛みに鈍くなっていたのかもしれない。
「それをリゼット嬢の責任だとは言わないが、もう少しそなたは自分を大事にすべきだろうな」
「おふたりのおっしゃる通りです。私は、姉や継母を、ふたりを放任していた父を、ゆるしてはいけなかったのですね……」
「ゆるすゆるさないの前に、リゼットはもっと怒るべきだ」
私は怒っている、と腕を組み父を威圧するウィリアム。
父は消え入りそうな声で「本当に、申し訳ない」と深く深く頭を下げた。
そのまま頭を上げることなく固まってしまった父の姿に、リゼットは複雑な気持ちになる。
言いたいことはたくさんあった。
どうして継母たちを諫めてくれなかったのか。なぜもっと真剣にジェシカを止めてくれなかったのか。
そこには確かに怒りのような感情も含まれていた。
ただ、怒りは短い蝋燭の火のように、長く燃え続けることが出来ないらしい。あとに残るのは、なぜ、どうしてという疑問の形をしたやりきれなさばかりだった。
「怒るって、難しいのですね……。私には練習が必要みたいです」
「……怒る練習?」
「はは。そんなおかしなことを言うのは、この世でリゼット嬢だけだろうな」
どこか小ばかにするように言われ、リゼットはムッとする。
いままさに小さな怒りを覚えた。
「私だってたまには、ひどい! と怒ることはあるのですよ? でも、何というか……」
「……ああ、そうか。リゼットは、憎むことが出来ないのか」
ウィリアムがどこか確信したように言う。
怒りと憎しみは、似ているようで違う。怒りは自分の中で燃え、憎しみは相手に向かって燃える。リゼットの中でふたつはそういう感覚だ。
「憎む……。そう、かもしれません」
「なるほどな。それなら納得だ。リゼット嬢と私はそういう点では似ているのかもしれないぞ? 私も他人を憎むことがない。憎むほど興味を持てる相手がいないからな」
妙に嬉しそうなアンリに、リゼットは眉を寄せ、微妙な顔を向けた。
「王太子殿下と似ていると言われると複雑な気持ちになりますね……」
「ほぅ。言うではないか」
ニヤリと笑うアンリは、捕食者の目をしていた。
思わずウィリアムにぴたりと寄り添ってしまう。まだリゼットには王太子に立ち向かって勝てる自信はない。
「それで? フェロー子爵の離婚の早期成立がリゼットへの詫びですか?」
「いや。先ほども言ったが、これは王家にとって必要な措置でもあった。リゼット嬢への詫びの品は別にある。……子爵。持ってきたんだろうな?」
指摘され、父が神妙な顔で頭を上げる。「はい。こちらに……」と胸元から取り出したのは、天鵞絨張りの四角い箱。
中には金色に光る小さなブローチが輝いていた。
「これは……我が家の家紋章?」
鳥とローズマリーが描かれた紋章は、フェロー家のものだ。いま、父も襟に同じものをつけている。
「そう。家門の後継者が身に着ける証だ。これをリゼット嬢に」
「えっ⁉ わ、私が⁉」
「何を驚く。そなたはフェロー家の嫡子だろう」
それはそうなのだが、あくまでも家を継ぐことになるのはリゼットの婿となる男性だと思っていた。
ルマニフィカでは基本的に爵位は男の長子が継ぐことになっている。女性が爵位を継げるのは、特別な理由があるときだけ。もしくは継いでも一時的なものであることが多い。
だからスカーレットは特別で、女伯と呼ばれているのだ。
「王太子である私の権限で、リゼット嬢に爵位継承を許可する。これは前王殿下の妹であるハロウズ伯爵と、王女レオンティーヌへの貢献、それから次代の三蹟となるそなたの能力を鑑みての決定である」
「次代の三蹟!?」
めちゃくちゃだ。王太子アンリの強引さと傲慢さがあふれ出ている。
こんなことが認められてはおかしいだろう。とてもではないが家紋章を受け取ろうとは思えない。
「遠慮せず受け取るといい。子爵がとっくに渡していると思っていたが、デビュタントを済ませてもいつまで経ってもリゼット嬢が家紋章をつけないので不思議だったのだ」
「ですが……」
「何を思って子爵が躊躇っていたのかは知らないが、これを受け取るのは嫡子であるリゼット嬢の正当な権利だ」
アンリはきっぱりと言い切るが、肝心の父は口を固く引き結んだままだ。
こんな状況で受け取れるわけがない。しかし受け取らないと、今度はアンリが何を用意してくるかまったく読めないのが恐ろしい。
助けを求めてウィリアムを見ると、あっさりと「良いんじゃないか?」と言われて拍子抜けする。
「君の足場固めにも役立つだろう」
「そうか……そうですね」
デビュタントを果たし、子爵家の正統な後継者となれば、リゼットが王女の指南役や、スカーレットの代筆を担うことに異を唱える者が減るかもしれない。
誰にもリゼットの仕事や自由を奪われないために、ひとつひとつ力をつけていこうと決めたのだ。
「謹んで、王太子殿下のご厚意をお受けいたします」
震える指で家紋章を胸に飾ると、身が引き締まる思いがした。
いま、次期フェロー子爵・リゼットとなったのだ。
天国の母はいまのリゼットを見てどう思うだろう。立派になったと喜んでくれるだろうか。
それとも父を困らせる悪い娘だと、あきれたように笑っているだろうか。
どちらにしろ、リゼットの中の母は笑顔だ。笑って「がんばりなさい」と背中を押してくれていた。
「受け取ったな。では、このまま爵位継承に移るか」
「……はぇ⁉」
ひとり感動を噛みしめていたリゼットに、王太子がまたもやとんでもないことを言い出した。
「非公式の処分とはいえ、フェロー子爵にも家長としての責任がある。子爵の宮廷における内務長官としての職を解任。爵位を後継者であるリゼット嬢に譲り、蟄居を命じる」
書きながら、読者さまたちの「おまゆう」が聞こえてくるようでした笑




