73通目【王宮への帰還】
ウィリアムの馬は稲妻という名前の通り、光のように速かった。
平民街を駆け抜け、王都の目抜き道路も駆け抜けて、リゼットとウィリアムのふたりをあっという間に王宮まで連れていってくれた。
「リゼット先生……!」
「レオンティーヌ様!」
真っ先に向かった王女宮で、泣きはらした目のレオンティーヌに抱き着かれた。
いつも穏やかな笑顔を絶やすことのないレオンティーヌが、リゼットの胸でわんわんと泣く。
「し、心配しました! 宮に戻ったら、ヘンリー卿が襲われ、リゼット先生が攫われたと聞いて、私がどれほど、どれほど……!」
「……! 申し訳ありません、レオンティーヌ様」
いまは不敬だなんだということは頭の隅に追いやって、王女の尊い体を抱きしめる。
リゼットも小柄なほうだが、王女はさらに華奢だ。普段とても落ち着いた振る舞いをするレオンティーヌなので忘れそうになるが、彼女はリゼットよりも年下なのだ。
「ご心配をおかけしました。リゼットはほら、この通り無事ですから。ご安心ください」
「何の為に、先生のお部屋を王女宮に置いたのだと……!」
「本当にその通りです。私が間違っておりました。どうかお許しくださいませ」
「ゆ、許しません~っ」
イヤイヤと首を振る王女に、リゼットは困ってしまう。
こんなに子どものように振る舞う王女は珍しいのか、侍女たちは生温かい目で微笑むだけ。あとはレオンティーヌのように、心配をかけたリゼットに怒った顔の侍女もいる。
これはしばらく王女の子ども返りを受け止めるしかないようだ。
「リゼット嬢が戻ってきたって?」
「ヘンリー様……!」
騒ぎを聞きつけて、恐らく休んでいたのだろうヘンリーが現れた。
頭に包帯を巻いた痛々しい姿だが、本人はけろっとした顔でリゼットたちの帰還を喜んでくれた。
「本当にご無事でよかった! 私が間抜けにもやられたせいでリゼット嬢が恐ろしい目に遭っているんじゃないかと心配で心配で……申し訳なかった」
「いいえ! むしろ私のせいでヘンリー様に大変な怪我を負わせてしまいました! 死んでしまったらどうしようと、私……」
「これくらいの怪我、なんてことはありません! 学生時代にウィリアムに負わされた怪我のほうがよほどひどかったですよ! いまだに傷が残って……」
「おい。余計なことは言うな」
黙って見ていたウィリアムが口を挟むと、ヘンリーがそちらに向き直る。
ふたりが貴族学校の同期で、ウィリアムは否定するが友人関係だという。
雰囲気が真逆なので意外だったが、ふたりが並んでいるのを見ると不思議なほど空気が似ているように感じた。
「……すまなかった。命に代えても、なんてかっこつけて誓っておきながら」
「いや。知らせを出してくれて助かった。あれがなければ部下も焦って私を探しには来なかったかもしれない」
「お、おお……」
ウィリアムの返しに、なぜかヘンリーは怯んだように後ずさりする。
「……何だ」
「いや、お前がそんな素直に礼を言うなんて、明日は空から銃弾が降ってくるんじゃないかと」
「実際にお前の頭上に降らせてやろうか?」
真顔で拳銃に手を伸ばすウィリアムを見て、ヘンリーが「申し訳ありません子爵!」と飛び上がり騎士礼をした。
リゼットだけでなく、その場にいた侍女や騎士も皆が笑う。レオンティーヌもようやくそれで笑顔を見せてくれてほっとした。
「では、私はこれから陛下にご報告に向かう。そのあと軍に戻らなければならない。恐らく事後処理は夜通し続く。その間……」
「わかってる。今度こそリゼット嬢をお守りしよう。銃弾の雨を降らされちゃたまらないからな」
「私もフェロー先生を一晩中見張っております。絶対にどこにも行かせませんからご安心なさって」
「レオンティーヌ様……」
逃がさないとばかりに王女に腕をがっしり掴まれ、リゼットは弱ってしまう。
どこにも行くつもりはないし、さすがに今日はくたくたで、いますぐ倒れたいほどなのだ。
ウィリアムはそんなリゼットに気づいたようで、小さく笑うと軍帽を目深にかぶる。
「リゼットを頼みます」
マントをひるがえし、ウィリアムが王女宮を去っていくと、なぜか侍女や近衛騎士たちがそろって熱いため息を吐いた。
「アンベール子爵、あんなに素敵な方でしたでしょうか?」
「元々凛々しい方でしたが、ますます男らしさに磨きがかかったような」
そんなささやきが聴こえてきて、リゼットは耳をそばだてる。
彼らの言う通り、ウィリアムは最近どんどん魅力的になっている。リゼットが勝手にそう感じているだけだと思っていたが、周りから見てもそうらしい。
恐がられることが多いようだが、ウィリアムは素敵なのだ。
そう誇らしい気持ちになると同時に、妙な焦りも覚えてしまう。
「さぁ、リゼット先生。浴室の準備は出来ていますから、まずはすっきりしてきてください。上がる頃に食事が出来るよう用意しておきますね」
「ありがとうございます、レオンティーヌ様」
「……先生、ごめんなさい。今回のこと、お兄様が関わっていたのでしょう?」
もうそれを耳にしていたのか。出来ればレオンティーヌには知らずにいてほしかった。
きっと彼女は傷つき、申し訳なさを感じてしまうだろうから。
「レオンティーヌ様。大丈夫です。私はこの通り無事ですし、これからも王女殿下の指南役兼代筆者としてのお役目を続けられます。それは王太子殿下がご配慮くださったからです」
「リゼット先生。正直に言ってくださってかまいません。たとえここで先生がお兄様に呪いの呪文を唱えたとしても、咎める者はおりませんから」
「いえ、あの、王太子殿下を呪うつもりはございません。……私、王太子殿下のこと、嫌いではありませんよ。ちょっと苦手ではありますが」
これも不敬発言になるかなとこわごわ言ったリゼットだったが、レオンティーヌをはじめ侍女にも近衛騎士たちにも信じられないものを見る目を向けられてしまった。
一体王女宮で、アンリは何をしでかしたのだろう。
「私……やっぱりとても不安です。リゼット先生は優しすぎます。そんなに優しいと、お兄様みたいな人に騙されたり、つけこまれたりしてしまいますよ」
「ふふっ。大丈夫ですよ、レオンティーヌ様。王太子殿下は実は優しい方だと思いますし、私はだまされたとしてもくじけませんから!」
きりっと宣言したつもりだったが、レオンティーヌたちは「どうしたものか」と顔を見合わせるではないか。
これはまだまだ信用が足りないなと、ちょっぴり落ちこむ。
しかし、これからだ。これから少しずつ、王女宮の人たちにも、それ以外の人たちにも、信用してもらえるようお役目を果たしていけばいい。
ゆっくりいこう。王女宮で過ごす最後の夜は、嵐が過ぎ去ったあとのように穏やかに更けていった。
***
騒動の翌日。夜通し仕事をしたあと迎えに来たウィリアムは、かなり疲れて見えた。
真っ直ぐ公爵邸に帰るのかと思えば、王太子宮に向かうという。
王太子がリゼットを呼んでいるというのだ。
一体何の話だろう。首を傾げたリゼットの頭には、昨日ウィリアムに殴られぼう然としていたアンリの姿が思い浮かんだ。




