72通目【悪の慟哭】
「あたしだって……あんたみたいに、守られる存在でいたかった! もっと良い家に生まれてたら、そこのクズに脅されて、犯されることだってなかったのに……!」
悲痛な叫びは、衝撃の告白でもあった。
信じられない気持ちで、騎士に縛られるランドンを見る。
(お義姉様が、この男に……?)
リゼットだけでなく、その場にいた誰もが泣き叫ぶジェシカとランドンを交互に見ていた。
「何でよ……何で、あたしだけ……っ」
いまの告白は、たぶん嘘ではない。ジェシカの怒りや苦しみ、絶望をまとめてしぼり出したような声から伝わってくる。
義姉がそんな恐ろしい目に遭っていたなんて。だから彼女は、貴族として振舞うことに固執していたのだろうか。平民に戻らずに済むように。誰かの上にい続けようとしたのだろうか。
「……はっ。何よその目。この期に及んでまだあたしに同情できんの? 貴族に生まれたら、あたしだってあんたみたいに慈悲深くなれたのかしらね」
「お義姉様……」
「でも、貴族なんて大嫌いよ。あたしの実の父親はね、貴族に命令されて違法な商品を密輸し売買していたの。それをそこのクソ男に知られて脅されて、汚された……。あたしの不幸は、あんたら貴族のせい。貴族なんて滅んじまえ……!」
聞くに堪えない、とシャルルはジェシカの肩をつかみ出口へとうながす。
どこか、いつも張りつめて見えていた義姉の背中が、いまは幼くなってしまったように小さく映った。
彼女はこれからどうなってしまうのだろう。父と継母が離縁するとなれば、ジェシカは平民に戻る。内々に処理されるとして無罪放免とはならないのだろう。
どこかの修道院に送られるのだろうか。それとも監獄に?
どちらにしても、恐らく継母とも引き離されるにちがいない。そうなれば、ジェシカはひとりきりだ。
「お義姉様」
部屋を出て行こうとする背中に、思わず声をかけていた。
「私……お手紙を書きますね」
「……は? 何言ってんの」
立ち止まったジェシカが、顔だけをこちらに向けて鼻で笑う。
その目は生気が抜けたように虚ろだ。
「お義姉様にお手紙を書いたこと、ありませんでしたよね。お義姉様が幸せになることを真剣に祈って、お手紙を書きますから」
「手紙なんて……何の役に立つっていうのよ」
「役には立たないかもしれませんが、書きます。お返事はムリに書かなくてもいいですから。もちろん、お返事をいただけたらとても嬉しいですが……。お返事がなくても、私は何度でも書きますので!」
「……あんたって、ほんとバカね」
貴族も手紙も大嫌いよ。
そう言い残し、ジェシカは近衛騎士たちに連行されていった。
ランドンは激しく暴れて抵抗していたが、当然怪我で逃げることは出来ず、騎士数人がかりで運ばれていく。
「改めて、君は優しすぎるな」
あきれたような目をウィリアムに向けられ、リゼットは首を横に振る。
「私は優しいのではなく、たぶんあきらめが悪いのです。いつか、お義姉様が心を開いてくれるのではないかと思っている」
「リゼット……」
「そして、いつかお返事をくれるのではないかと期待している自分がいます!」
義姉は元々手紙が嫌いだと言っていた。字を書くのも読むのも苦手だと。
けれどひとりきりになってしまったら、きっととても寂しく虚しい生活になるだろう。ひとりでは好きなダンスも踊れないのだから、少し前のリゼットのように、手紙や本などの文字が心の慰めになるかもしれない。
そのとき、義姉がリゼットに返事を書いてやってもいいかな、と思ってくれたら嬉しい。
「本当に、君には敵わない」
「えへへ。……ウィリアム様。改めて、助けに来てくださって本当にありがとうございました!」
「まったくだ。肝が冷えた。ヘンリーから知らせを受けた私の部下が、私を探しに来ていなければどうなっていたか」
「そ、そうです、ヘンリー様は⁉ ヘンリー様はご無事なのですか⁉」
頭から血を流していたヘンリーの姿を思い出してぞっとする。
しかしウィリアムは「心配は無用だ」と平然と言った。
「奴の頑丈さは騎士の中では群を抜いている」
「まぁ。ヘンリー様はお強いのですね?」
「頑丈さだけが取り柄というだけだ。私と模擬試合をして最後まで両足で立っていられたのは奴だけだからな」
周りで聞いていたウィリアムの部下が「すごいなヘンリー卿」「あの大佐のしごきを耐えきったのか……」と何やら感動している。
どうやら軍神との模擬試合で最後まで立っているいられるというのは、とてもすごいことらしい。
「しかし怪我は負ったし君を守り切ることは出来なかった。王女宮は大変な騒ぎだったようだ。両陛下とご歓談を終えて戻られた王女殿下が、報告を受けて倒れられたらしい」
「レオンティーヌ様が⁉ た、大変。私、戻らないと!」
「そうだな。王女宮まで送ろう」
「でも、まずはウィリアム様の怪我の手当てをしましょう?」
ガラス片で切っただろうウィリアムの手の傷を見て、リゼットは唇を噛む。
シャルルと会うという選択が、たくさんの人を傷つける結果に結びついてしまった。
ひとりでもなんとかしてみせる。そんな油断と慢心が、大切な人を傷つけたのだ。
「ごめんなさい……」
「リゼット。君のせいではない」
この程度の傷であれば痛みも感じない。
ウィリアムが言うと本当のように聞こえるが、痛みを感じないわけがない。軍神だってきっと、傷つけば痛い。ヘンリーもきっととても痛かったはずだ。
「私たちは己のすべきことをしたまで。危険は承知の上だ。それに君が私たちに怪我を負わせたわけではない」
「ですが……」
「それでも反省がしたいのなら、ひとりで抱えこまず私を頼ってほしい」
君に頼ってほしいと思っている人はたくさんいる。
そう言われ、リゼットは泣くのをこらえながらうなずいた。申し訳なさと、自分がもうひとりぼっちではないのだという安心感に、涙がひとすじだけこぼれていく。
ウィリアムにうながされ、連れこまれていた部屋を出る。
王太子が気になり振り返ると、まだ頬を押さえたまま固まっていた。近衛騎士が数名、気まずそうに彼のそばに残っている。
「大丈夫でしょうか……?」
「アレは放っておいていい。奴こそ反省の時間が必要だ」
殴った張本人なのにまったく気に留めることのないウィリアムは、リゼットの視界から王太子を消すように、部屋の扉を容赦なく閉じた。




