71通目【軍神の鉄槌】
しかし王太子はウィリアムを見ていない。
近衛に衛兵からジェシカとランドンを引き取るよう指示を出している。
「殿下……どういうおつもりですか。罪人の連行は近衛の仕事ではありません」
「そうか? 王宮内で罪を犯したのだから、近衛が捕縛するのはそれほどおかしなことではないだろう?」
「百歩譲って捕縛まではいいとして、連行し牢に入れるのはこちらの仕事です」
食い下がるウィリアムに、アンリはあからさまなため息をついた。
「アンベール子爵……。こっちは捕縛後のことまで既に準備が出来ているのだ。いいからさっさと軍を撤収させろ」
「それは越権行為というのでは? 罪人はこちらで適正に処罰します。身柄の引き渡しを」
「聞こえなかったか? こちらで処理すると言っているのだ。これは命令だ、子爵。黙って私の指示に従――っ!?」
最後まで言わせまいとするように、ウィリアムの拳が王太子の頬に命中した。
容赦のない一撃だった。アンリの体が大きくよろめいたが、倒れる前にそばにいた近衛が尊い体を慌てて支える。
「殿下!」
「何をするのです、アンベール子爵!?」
近衛たちが王太子を守るように囲み剣を抜く。
同時に衛兵たちがウィリアムを援護しようと銃を構えた。
一触即発の両陣営の間で、リゼットは驚きのあまり言葉を失っていた。口を覆った両手が震えている。
ウィリアムが王太子を殴りつけた。王族に手をあげるのがどれほどの重罪か。それくらいはリゼットにもわかる。
しかも軍神はまだ、拳を強く握りしめたままだ。
「ウィ、ウィリアム様、いけません。やめてください」
震える手でウィリアムの拳を包む。
どうにかこの指をほどかなければと思ったときには、しっかりと手を握られていた。
「アンリ」
地を這うような低い声で、ウィリアムは王太子の名を呼んだ。普段は王太子殿下と敬称でしか呼ばないウィリアムが呼び捨てにしたのだ。
呼ばれたアンリは殴られた頬を押さえながら、ぼう然とウィリアムを見上げている。
「君のはとことして言わせてもらう。一体いつまで他者を使いチェスごっこをしているつもりだ?」
カツンとブーツを鳴らしアンリの目の前に立つと、ウィリアムは右手を銃の形にしてアンリの胸に突きつけた。
「悪趣味な遊びがやめられないなら、その立派な冠は外すことだ。……陛下は直系ではない者にも冠を戴く権利を認めるとおっしゃっていた。安心して外すといい。冠を失った君がこれまで通り遊びに耽れるとは限らないがな」
アンリは目を見開いたが、何も言わなかった。いや、殴られたショックで言えなかったのかもしれない。
ウィリアムはマントを翻すと、部下たちに銃を下ろすよう指示を出す。
「罪人を連行しろ」
「お待ちください!」
そのとき、黙って控えていたシャルルがウィリアムの前に立ちふさがった。
ウィリアムはどこからか出した軍帽を深くかぶり「何の真似だ?」とシャルルに問う。明らかに不機嫌さが増したのがリゼットにも伝わってきた。
「どうかジェシカの身柄はこちらに任せていただきたい」
「却下だ。罪人は等しく我々の管轄。特別扱いは――」
「お願いします! リゼットのためなのです!」
必死の懇願に、ウィリアムがぴくりと反応する。
リゼットは驚いて「私の……?」とシャルルに尋ねていた。
「ジェシカはまだ、リゼットの義姉です。義理であってもフェロー家に籍を置いていることに変わりはありません。このままジェシカを罪人として裁けば、リゼットにも累が及ぶ……」
「シャルルお兄様……。お気持ちは嬉しいですが、それは仕方のないことです。お義姉様は、私の家族なのですから」
打ちひしがれていたジェシカが、驚いたように振り向くのがわかった。
どう思っただろう。また偽善だと嘲笑うだろうか。
だが、本当に覚悟をしていたのだ。血の繋がりはなくても家族なのに、ジェシカがここまでの凶行に及ぶ前に止められなかった責任を感じていた。
「リゼット。本当にわかっているかい? 君に累が及ぶということは、君の面倒を見ているハロウズ伯爵や、王女殿下にも迷惑がかかることになるんだよ」
「それは……っ」
おふたりは関係ない。そう言いかけて、しかし言葉の無意味さに口を閉じた。
リゼットがいくらふたりが無関係だと言い張っても、世間はそれを聞きいれはしないだろう。不祥事を起こした時点で、貴族にとっては致命傷なのだ。
「なるほどな……時間稼ぎか」
ぽつりとウィリアムがそんなことを呟いた。
リゼットには意味がわからなかったが、シャルルは神妙な顔でうなずく。
「ええ。ジェシカの犯行は内々に処理し、その間にリゼットの父であるフェロー子爵に、離縁の手続きを進めていただきます」
「そんな!? シャルルお兄様、待ってください! 家族のことは……!」
「リゼット。君が優しいことは知っている。だが、優しいだけでは救うことも、守ることもできないときがある。ジェシカに必要なのは君の優しさじゃない。犯した罪を知るための厳しい環境だ」
シャルルの口調は子どもに言い聞かせるように優しかったが、内容はリゼットにとっては耳が痛くなるような厳しいものだった。
何か言わなくては。そう思うのに、上手い言葉が見つからない。
黙りこんだリゼットに苦笑し、シャルルはウィリアムに向き直る。
「アンベール子爵。王太子殿下はリゼットの立場まで考えて準備をしてくださいました。人をからかうような物言いをされるので恨みを買いやすい方ですが、悪気はないはずです。今回のことは特に、私が無理なお願いをしたせいです。どうか殿下をお許しください。殿下の代わりに私がいくらでも罰を受けますので」
「近衛騎士のくせに、アンリのことをまるで理解していないようだな。あれはすべてわかってやっているから性質が悪いのだ。自分以外の人間を玩具としか考えていない。……私も似たようなものだから、よくわかる」
「ウィリアム様はそんなことありません!」
大きな手を強く握り返し、リゼットははっきりと主張した。
確かに冷静で合理的なところはふたりは似ているのかもしれない。しかしウィリアムは人を玩具にはしないし、リゼットの気持ちも大切にしてくれる。
本人が気付いていないようなので、声に出して伝えなければいけない。
「ウィリアム様は、優しい方です!」
「それは君が優しいからだ。人を信じる君だからそう見えるだけだろう」
「いいえ! 誰がなんと言おうと、ウィリアム様は優しいです! そして、王太子殿下は……優しいとは違うかもしれませんが、人を慮れる方だと思います」
今回のことも、きっと『面白そう』くらいの動機でシャルルに手を貸しただろうことは想像がつく。
だが、きっかけは何だったにせよ、アンリは彼なりにリゼットの安全と未来を守るために動いてくれたのだ。
「ですから、ウィリアム様……!」
「アンリの振る舞いには憤懣やるかたないが……しかし、リゼットの前でこれ以上暴力は振るいたくない。先ほどの一発で許してやることにしよう」
やはりウィリアムは優しい人だ。
リゼットが喜んで飛び上がると「君には敵わない」と、ため息とともに頭を撫でられた。
「感謝いたします。……罪人を連行する」
沈黙したままの王太子に代わり、シャルルが他の騎士に指示を出す。
騎士たちに腕を掴まれ無理やり立たされたジェシカは、突然シャルルに掴みかかろうとして止められた。
「シャルル……! この、裏切り者! あんたも、リゼットも、フェロー子爵も! 全員まとめて地獄に落ちろ! 死ぬまで呪ってやるから!」
「黙れ!」
「見苦しいぞ!」
「うるさい! 何で……何であたしばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの⁉」
ジェシカの真っ赤に充血した目から、涙があふれる。
次々こぼれ落ちる涙でぐしゃぐしゃになった顔が、リゼットに向けられてぎくりとした。
もう一話だけ解決編つづきます!




