70通目【乱入、そして】
思わず聞こえたとおりに目とぎゅっと閉じた瞬間、ガラスが砕け散る音とジェシカの悲鳴が響き渡った。
ガラスの散らばる音がして思わず開いたリゼットの目に、窓を蹴破り飛びこんでくる軍人の姿が映った。
(ウィリアム様―――!?)
無数の破片の中、ウィリアムは銃を構え、そのまま空中で一発撃ちこんだ。
弾はランドンの肩口に命中し、飛び散る血とうなり声とともにランドンが倒れこむ。
破片の上に降り立ったウィリアムは真っ先にリゼットに駆け寄り、守るように目の前に立った。
「リゼット、無事か⁉」
「は、はい! 私は大丈夫で……」
ほっとしたリゼットだったが、ウィリアムが随分薄汚れていることに気が付いた。よく見ると軍服があちこち破れ、血もにじんでいる。
「ウィリアム様こそ、お怪我をしているではありませんか!」
「かすり傷だ。問題ない」
短く言うと、ウィリアムはジェシカを睨んだ。
破片が当たったのか顔に細かな傷をつけたジェシカは、軍神の睨みに「ひぃっ」と怯えを見せた。数歩後ずさりしたあと、扉へと駆け出す。
すかさずウィリアムが銃口を義姉に向けるのを見て、リゼットは反射的に動いていた。
「ダメ!」
「リゼット⁉」
自分でもどうやったのかわからないが、手足を縛られたまま、跳ねるようにウィリアムに体当たりを——しようとして、長椅子から転げ落ちる。
運動がさほど得意ではない、むしろ壊滅的なのに、体当たりでウィリアムを止めるなんて芸当が出来るはずもない。縛られていなかったとしても恐らく失敗していただろう。
しかし、ウィリアムが発砲するのを止めることは出来た。
転げ落ちたリゼットにウィリアムが慌てているうちに、ジェシカがドアノブに手をかける。
大きく扉を開いて逃げようとしたジェシカは、しかし廊下に出ることは叶わなかった。
「な、何で……⁉」
よろめいて、その場に崩れ落ちたジェシカが叫ぶ。
「何でここに王太子がいるのよぉ……っ」
何でよ、ちくしょう! と、すべての苛立ちと絶望をこめるように、ジェシカが床を何度も叩きながら泣き叫ぶ。
そんな義姉の叫びを意に介さず、笑顔の王太子アンリが部屋に入ってきた。
後ろには、簡素な服装だが明らかに平民とは思えない、整った容姿の男たちを連れている。平民に扮した近衛騎士だろうことは、リゼットにもわかった。
「困るなぁ、アンベール子爵。勝手に動いてもらっては」
「王太子殿下。この状況について、ご説明いただけますか」
「大体察しはついているのだろう?」
肩をすくめるアンリに、ウィリアムの顔がどんどん険しくなっていく。
わけがわからずひたすら困惑するリゼットの縄を、ウィリアムがナイフで切ってくれた。
解放され、ようやくほっと息をつくことができた。腕がしびれているし、落ちたときに肩を打ち付けたが、どちらも大したことはない。
「ありがとうございます、ウィリアム様」
「遅くなってすまない」
「いいえ! この通り、私は無事ですし。それに……ウィリアム様がきっと助けに来てくれると思っていましたから」
そういえば、先ほどウィリアムが飛びこんでくる直前に聞こえたあの声は誰のものだったのだろう。
もしかして、妖精の声だったりするのだろうか。
いやいや、まさか。でも、本当にそうだったら?
「……? ウィリアム様?」
ウィリアムがリゼットの手をつかんだまま黙っていることに気づき、首をかしげる。
グローブをはめた手に手首を撫でられてはじめて、そこが縄でこすれ血がにじんでいることに気がついた。
腕がしびれているせいか、緊張していたせいか、痛みを感じなかったようだ。
「大丈夫です。私より、ウィリアム様のほうが傷だらけではないですか」
「これくらいの傷には慣れている」
「そうだぞ、リゼット嬢。アンベール子爵は私の宮の窓を蹴破り、二階から飛び降りたらしい。そんなことをしておいて、その程度の怪我で済むバケモノだ。心配する必要はない」
「に、二階から飛び降りたのですか⁉」
「ああ。どこかの殿下に監禁されたからな」
つまり、王太子によって宮に監禁され、窓を蹴破り、ガラスの飛び散る地面に飛び降りたのか。
それでこの程度の怪我で済んで良かった、と安心していいのかわからないが、見たところ重傷を負っているわけではないようだ。
軍神が鋼の肉体をしていることに感謝する。
「それで、一体どういうことなのか早く説明を——」
「くっそがぁぁぁ!!」
突然、倒れていたランドンが起き上がり、こちらに向かって短剣を振り上げ襲いかかってきた。
しかし刃が届く前に「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げて再び男は倒れこむ。
その後ろに、血のついた剣を構えたシャルルがいた。
男の脚の腱を切ったらしい。アンリに「よくやった」と肩を叩かれ、シャルルは騎士の礼をとり下がった。
「……その近衛騎士と共謀し、リゼットを囮にしたのですか」
獣がうなるようなウィリアムの低い声にギョッとする。
自分が囮にされた? シャルルとアンリに?
まさか、と王太子を見れば、彼は一切の動揺を見せず笑顔でうなずく。
「そういうことだ。そうでなければ、こんな見るからに問題のありそうな大男が王宮に出入りできるはずがない。無知なうえに愚かというのは、救いようがないな」
王太子は、シャルルから相談を受けたのだと経緯を話し始めた。
ジェシカにリゼットをさらう計画を持ちかけられた。恐らく自分が断ったとしても、ジェシカは事を起こすに違いない。
どうにかリゼットに危害が及ばないようにしたいが、自分ひとりでは限界があるから、力を貸してほしい。
シャルルはそう、王太子であるアンリに相談したそうだ。
「私がリゼット嬢を気に入っていると前に話したからな。協力してもらえると思ったのだろう。一介の近衛騎士が浅はかなことだが、乗ってやることにした」
向こうの都合で動かれると困るので、シャルルにわざとリゼットと接触する機会を作らせ、敢えて王宮で事を起こすよう仕向けた。
王女宮からリゼットがさらわれるのを防がなかったのは、ランドンとジェシカの繋がりをはっきりさせ、まとめて捕まえ罪に問うためだったという。
「シャルルお兄様が、私を守ろうと……?」
本当に? と幼なじみの騎士を見ると、目が合う。シャルルはどこか申し訳なさそうに微笑んだ。
嬉しいような、切ないような。複雑な気持ちが湧いてきて、胸が苦しくなる。
「その為に、リゼットを危険な目に遭わせたと」
「もちろん、実際にリゼット嬢に危険が及ぶ前に助けるつもりでいたさ。こうして近衛を平民に紛れて待機させていた。しかし子爵が私の宮を抜け出し、軍を使って私の居場所を突き止め、この建物の屋根からロープで部屋に侵入しようとしていると報告を受けたからな」
そんなことをしていたのか、とリゼットは信じられない気持ちでウィリアムを見た。
以前言っていたロープで訓練をしているというのは、本当のことだったらしい。
「こちらが動くと逆に子爵から被害を受ける可能性が高かったからな。リゼット嬢の救出は子爵に任せ、こちらは敵の逃走を防ぐことにしたのだ」
正解だっただろう? とどこか得意げに言う王太子には、良心の呵責はないのだろう。悪気と言うものがそもそもないので、当然なのかもしれない。
ウィリアムはぐっと何かこらえるように手を握りしめたあと、ゆっくりと銃をしまった。
「殿下の意図は理解しました。まずは罪人を連行します」
ウィリアムが言うと同時に、部屋に衛兵たちがなだれこんできた。
軍を動かしていたというのは、アンリが大げさに言ったわけではなかったようだ。
まさか、一個師団動かしたなどということはないだろうなと、気が遠くなる。自分のせいでとんでもない騒ぎになってしまった。
衛兵がジェシカたちを連れていこうとすると、アンリがあきれ顔で止める。
「待て待て。罪人はこちらで引き取る。勝手に決めるな」
「……は?」
ウィリアムの鋭い眼光が王太子を射抜くのを、リゼットはすぐそばで目撃した。




