筆休め【軍神の変化】
中央司令部所属の大佐であるウィリアムだが、毎日軍司令部に顔を出しているかというと、そうでもない。
お偉方との会談、会食や、爵位に付随する領地に関する雑事をこなしたり、次期公爵として父に課せられた人間関係の構築など、なかなかにやることが多いのだ。
元来真面目な性格なので、与えられた役目はどれも粛々と取り組むし、不満に思うこともない。納得がいかないことも仕事であればと割り切ることもできる。
例えそれがどんな無理難題であっても、誰もが嫌がる汚れ仕事であっても、機械のように淡々と進める姿に、部下が仕事の鬼と揶揄していることは知っている。
いまもウィリアムの執務室では、机について手紙の確認をしているだけのウィリアムを、部下たちがどんな仕事を振られるかと戦々恐々としながら遠巻きに見ていた。
戦場では悪魔と呼ばれ、平和な王都では鬼と呼ばれているウィリアムだが、疲れやいら立ちを感じないわけではない。むしろ人一倍それらを感じるほうだと思っている。
しかし周囲にそれを悟らせるわけにもいかず、自然と普段から冷淡な顔つきになっていた。おかげで女子どもには大抵怖がられている。
そんなウィリアムをちっとも怖がらない少女が現れた。
リゼット・フェロー子爵令嬢。祖母スカーレットの弟子の娘だというその少女は、たぐいまれな才能を持ちながら、家族に蔑ろにされ、それでも孤独に耐え前を向く芯の強さを持っていた。
『ウィリアム様は軍神バランディールのようですね』
ウィリアムを見て怯えるどころか、瞳を輝かせてよくわからないことを言うリゼット。あとで調べてみると、おとぎ話に出てくる戦を司る神のことだった。
リゼットは物語や詩など、書物に関する知識が並外れている。すべては“愛してやまない手紙を書くため”に起因するらしいが、それにしてもあの若さで文学者顔負けの知識量だ。
スカーレットは、好きという原動力に勝るものはないと言っていたが、それだけで片付けられるものではないと、ウィリアムは思っている。
これまでリゼットが置かれていた孤独という環境と、そこからいつか抜け出そうとする彼女の努力の結晶だろう。
(手紙なんて、必要事項だけ書かれてあればそれでいいと思っていたが……)
祖母のスカーレットが三蹟という優れた地位にあっても、ウィリアムが手紙に興味を持つことは一度もなかった。
ペンを持つより銃を持つ時間のほうが圧倒的に長く、手習いをする暇があるのなら剣の稽古をしているほうがよっぽど有意義だと信じて疑わなかった。軍人であれば、程度の違いはあれど皆似たような考えの者ばかりだろう。
しかし、その軍人らしい考えが変わりつつある。その原因が、ウィリアムがいままさに読んでいる手紙にあった。
公爵邸から王女宮に身を移したリゼットから、毎日手紙が届くようになり、その筆跡の素晴らしさや心を尽くした文章にウィリアムは夢中になった。
手紙とは、こんなにも相手を近くに感じ、心温まるものだったのか。それともリゼットからの手紙だから感動させられているのか。
事務的なもの以外の手紙のやりとりをほとんどしたことのないウィリアムには、それを判断することができない。ただ、リゼットからの手紙がウィリアムの疲れを癒してくれることだけは判明している。
『ウィリアム様が明日も何事もなく、お仕事を終えられますように』
『ウィリアム様が今夜素敵な夢を見られますように』
そんなささやかな祈りがいつもリゼットの手紙にはこめられている。
彼女はこれまでも、こうして手紙を出す相手の幸せを願い、一文字一文字を丁寧に綴ってきたのだろう。その人柄が筆跡や文章からにじみ出ている。
リゼットが得ている妖精の祝福の効果なのか、彼女から手紙をもらうようになってからというもの、ウィリアムはとても調子が良い。仕事の疲れは軽減されたように感じるし、夢見もよく、付随して目覚めも快調だ。
何だかウィリアムばかりが、リゼットからの素晴らしい手紙の恩恵に預かっているようで申し訳ない。せめてこちらから、リゼットが喜ぶような話題を提供できないものか。
「……カルメル少尉」
「はいっ! お呼びでしょうか大佐!」
飛び上がるようにして振り向いた部下が、ウィリアムの前にすっ飛んでくる。
気は進まないが、背に腹は代えられない。ウィリアムは重々しく口を開く。
「少尉には婚約者がいたな」
「は?」
すっとんきょうな声を上げた少尉だが、ウィリアムがじろりと見ると慌てて背筋を伸ばした。
「失礼いたしました! 婚約者はおります!」
「……で、あれば、手紙のやり取りもするな?」
「て、手紙、ですか? 時々ではありますが」
「少尉は手紙にどんなことを書く?」
少尉は困惑しきった顔で「どんなこと……」と考える。
執務室にいる部下たちが皆興味深々でこちらを伺っていたので、ウィリアムはひと睨みしその視線を払った。
「そう、ですね。相手は王都におりませんので、元気にしているか、とか。変わったことはないか、とか。そんなことでしょうか」
「……参考にならんな」
「ひぇ! も、申し訳ありません!」
どうやら少尉も筆不精に分類される仲間だったらしい。結局軍人など皆似たり寄ったりなのだ。
さてどうしたものかと思考の海に沈み始めたウィリアムは、部下たちが「これは噂の?」「やはり恋人なのか?」「あの大佐が恋文を……」とざわざわしていることに気づいていなかった。
「ロンダリエ大佐はご在室でしょうか?」
しばらくして、王太子宮から遣いの侍従が訪ねてきた。
王太子が休戦中の敵国との国境にある、軍の駐屯地の編成について意見が聞きたいという。
極力関わり合いたくない相手でも、仕事であれば行かないという選択肢はない。
部下たちに戻るまでの指示を出し、ウィリアムは軍司令部をあとにした。
「王太子殿下はただいま国王陛下とご会談中です。終わり次第こちらにいらっしゃるとのことですので、いましばらくお待ちください」
そう言うと、侍従は紅茶や茶菓子を用意し退出していった。
呼びつけておいて主は不在か。まあ、それもいつものことだ。
ウィリアムは短くため息をつき、ソファーに腰かける。胸元からリゼットの手紙を取り出し、先ほどの思考の続きを開始した。どんなことを書けば、リゼットが喜んでくれるのか。
リゼットと言えばやはり手紙だ。いつも同じ便せんだから、違うものを用意してみるか。
それともリゼットが好きそうな本の話をするか。しかしウィリアムは軍や戦術に関する本しか読んだことがない。
こんなことなら、筆記用具を持ってくれば良かったか。王太子を待っている間、案を書き留められたのに。
そう考えていたウィリアムだったが、真上にあった太陽の位置が大きく傾いても、王太子は一向に現れなかった。いくら何でも遅すぎる。
これ以上待たなければならないのなら、日を改めてもらおう。そう思い、ウィリアムは部屋の呼び鈴を鳴らした。
だが、いつもならすぐに飛んでくるはずの侍従が来る気配がない。さすがにおかしい、とウィリアムは立ち上がる。通されたのが一階の応接間でも、二階の王太子の執務室でもなかったのも妙だ。
「おい。誰かいないか」
廊下に控えているだろう侍従に声をかけ、扉を開こうとしたウィリアムだったが、ノブに手が触れる前にガチャンと鍵のかかる音がした。
「……は?」
一応、ノブを回してみる。しかしやはり鍵がかけられていた。
王太子宮の一室に閉じこめられた。一体なぜ。
ウィリアムは自分以外誰もいない部屋を振り返り、今度は何の冗談なのかとため息をつくのだった。
王太子のお遊びには慣れっこな軍神様です…




