怪物教師
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木の上から魔法陣の発動機会をうかがっていた私は、目の前で繰り広げられた斬り合いを唖然としながら見下ろしていた。
最強女の剣筋は、明らかに以前よりも極まっている。殿下に倣い、身体強化の魔法を目に集中しても、まともに刃を視認出来ない。さらに本人の身体強化魔法の精度も上がっているのか、以前よりもスタミナの向上が見られた。
スタミナは日々の鍛錬が物を言うが、恐らく彼女も私と同じく、セーレを意識して身体強化無しで走り込んでいたのだろう。今の彼女が20m往復走を行えば、確実に記録を伸ばしてくるはずだ。
悔しいけど、もう私が彼女に正面から挑んでも勝てない現実を認めるしかない。魔法の有無が問題にならないほど、ここまで培ってきた地力が違い過ぎる。
だがもっと信じられないのは、それを全て受け切った上で反撃に成功したあの先生だ。並の使い手ではないことは先程の殺気でも十分に察していたが、まさか接近戦でも最強女に匹敵するとは想像出来なかった。どう考えてもセーレが勝てる相手とは思えない……!
「来なさい」
「「参ります!」」
セーレとカロリーヌが飛び込むタイミングを見計らって、私も樹上に貼り付けたフレイムアローを起動させていく。
この3人の中で最も身軽に動けるのは私だ。カロリーヌも潜在的な魔力量が多く、身体強化も巧みではあるが、彼女はやはり剣を握らせた方が間違いない。セーレはもちろん身体強化が使えない。総合的に見れば私が援護役として適任だった。
ことここに至っては、もうあいつに悪態をつく余裕すら無い。先生に勝ち、あいつらを無事に旅立たせること。ただそれだけを考えて、自分の仕事を遂行する以外に出来ることは無かった。
「流石ですね、セーレ君。身体強化を使わずにここまで動けるのもそうですが、あのドロテ君が貴族だった君と手を取り合っているのもすごい。魔法が使えないから、他に使えるものがあれば使えるように下準備を進めておいたというわけですか。それとも公爵家の制裁でもチラつかせて無理やりに従わせているのですか?魔法も人も同じ道具として扱う……実に貴族的な考え方ですねぇ」
あの怪物教師の舌、引き抜いてやろうかしら……!?私がタイミングも図らずに一発見舞ってやろうとしたところに、あいつが代弁するように叫んだ。
「違いますっ!ドロテさんのプライドは、公爵令嬢の打算で動かせるほど安くはありませんっ!あの人は自分の意志で、旅立つ私達のために動いてくれていますっ!損得無しで動いてくれている彼女を侮辱しないでッ!!」
「脅迫ではなく友情だとでも言うのですか?貴方達二人がそんなに仲良しだとは知りませんでしたよ。それとも……貴方は実は一番疑っているのではないでしょうか?ドロテ・バルテルは、ひょっとしたら信用できないのかもしれない……とね」
その言葉に、思わず魔法陣を起動させる手が止まった。動き続けなくちゃいけないのに、集中しなきゃいけないのに、足を止めて先生の言葉に耳を傾けてしまう。
「彼女は身分を捨てた貴方と、名ばかりの子爵令嬢になったカロリーヌ君に利用価値を見出さなくなったはずです。いつ捨てたっていい。どこへなりとも勝手に消えればいい。ドロテ君はそんな風に思っているのではありませんか?貴方が平民になった途端、急に辛辣な態度を取り始めたりしたことは?言葉遣いが急に変化したりは?少しでもドロテ君を疑わなかったと、貴方に言えますか?」
怪物教師の言葉に、何故か私の胸がズキリと傷んだ。確かに似たような事はしてきたので、そう思われても仕方がない。だけど損得勘定するなら、別に旅立つあいつらから今更嫌われた所で痛くも痒くもない。攻撃に失敗しても私にはなんの関係も無い。どう思われたところで私のマイナスにはならないはずだ。
何度計算してもそれは間違いない。これが私の本質だ。そうやって計算しながら言葉を選んできたから、私は生きてこられたはずだ。なのに私は今、どうしてこんなところで戦っているんだろう。
どうして……あいつから嫌われてないかが、こんなに気になるのだろう。なんで自分の言葉に後悔してるの。どうしてあいつが時々見せる、ガキっぽい笑い方が目に浮かぶのよ、ドロテ・バルテル!
あいつは今どう思ってるのだろうと、何故か不安になり始めた。しかしそんな気持ちなど、あいつはお見通しなのか。それとも激戦の中で考える余裕もなく、ただ思っていることを口にしただけなのか。
一心不乱になりながら、あいつは叫んだ。
「今更彼女を疑ったりはしません!!私はドロテさんを信じますッ!!信じられない人に背中は預けないッ!!」
不思議と、その一言に対して苛立ちは起こらなかった。何故かはわからない。わからないが……胸の奥に灯った温かさと、自然と持ち上がった口の端は、不愉快さとは縁遠いものだった。
「……ええ、そうです。あなたは前だけ向いて、勝つことだけ考えていればいいんです。後ろは私が……守る!」
「隙有り――おっと!?」
必殺のタイミングだったはずなのに、あの先生は紙一重のタイミングで火矢を避けてしまう。恐らく私がいる場所を完璧に把握できているから、いつ火矢が飛んできても良いように意識を割いているのだろう。それならそれで前衛二人の猛攻を捌き切れなくなってもおかしくないはずなのに、そちらはきっちり仕事をこなしている。……本物の、怪物だ。
面白い。じゃあ、これならどうだ!!
「むっ!?」
「よし、やった!」
先生の頬を火矢以上の速度で不格好なナイフが掠め、初めて血が流れた。樹に貼り付けた魔法陣の内、数枚は火矢ではなく魔法衝撃を仕掛けてある。セーレが後期模擬戦闘で見せた、衝撃で物を発射する攻撃を模倣させてもらった。
「やりますねぇ、ドロテ君……私に最初に手傷を負わせたのは、あなたでしたか」
いいえ、私じゃないわ。これは私達の作戦勝ちよ。
思わずそう笑みを浮かべそうになるのを、辛うじて嚙み殺す。この怪物教師を相手に僅かでも油断したり、勝ちを誇ればその時点で食い破られる。そんなことになれば、あいつらに合わせる顔が無い。
「では、これならどうですか!」
「なにっ!?」
だが私を脅威と見た先生は、あろうことか私が乗っている樹ごとが地面を激しく揺らし、私を落下させようと試みた。それに気付いた二人が魔法を中断させるべく先生に突っ込むが、原始的な魔法だからなのか、前衛二人を相手にしても樹の揺れが収まらない。
「あなたの動きさえ封じれば、勝ち筋は無いでしょう!」
「くっ……!きゃあっ!?」
しまった、手が滑った!他に掴める枝も無い……落ちる!!
「さあ、まずはあなたから脱落してもらいましょうか!」
先生は私に向かって、大きな岩の飛礫を放とうと魔力を集中させた。あれが当たれば私は戦闘不能になり、脱落してしまうだろう。
……発射できればだけどね!!
「ぐあっ!?な、なにぃ!?」
私が落ちている方向とは反対側から数本のフレイムアローが放たれ、先生の足に一本が刺さった。大した魔力ではないのですぐに霧散してしまったが、傷には違いない。先生の気が逸れている間になんとか着地して態勢を整えた私は、辛うじて樹の影に身を隠すことが出来た。これでまた援護に戻ることが出来る。
「あ、あれは……魔力感知の魔法陣!索敵魔法をぶつけて遠隔起動させたわけですか!」
「ご明察です、先生!!」
セーレは攻め手に回った時、けが人相手でもまったく容赦がない。右足の応急手当をさせる時間も与えないように、立て続けにナイフで攻撃を仕掛け、腕に巻かれたハンカチに向けて刃を伸ばしていた。
「くっ!惜しい……!」
運悪く風が吹いて当たらなかったが、ともすればあの場面で勝ちが確定していただろう。
この調子なら……勝てる!そう確信した時。
「ふ、ふふふっ……はっははははは!!お見事です!!3人とも見事に自分の持ち味を活かしている!!」
先生の笑い声が、森の中に響いた。
「ですが、甘い。あまりにも甘すぎます。足ではなく背を狙っておけば、私を戦闘不能にすることも出来たでしょうに」
「……っ!」
「そうでなくても、火矢でハンカチを狙っていれば勝負は決まっていました。さてはこの手法、思いついてから実践まで殆ど練習をしていませんね?」
すごい……まるでこちらの考えている事を常に読み切っているかのようだ。怪物教師の言う通り、私とセーレは簡単な打ち合わせの中で魔法陣に複数種類を混ぜ込むことに合意した。
ヒントになったのはもちろん、後期模擬戦闘で魔法衝撃を起動させた方法をでっち上げた時。そんな方法もあったのかと驚く殿下とカロリーヌだったが、言った本人である私ですら、それも出来るなと我ながら感心していたくらいの奇策だったのだが。
……結果は指摘された通りだ。相手の意表こそ突けたが、適宜狙いを修整出来ないから精度が無さすぎて、狙った所に飛ばないのはもちろん、命中率も高くない。明らかに練習不足で、当たっただけでも上出来だった。
「二度も同じ手は通じません。付け焼刃では私には敵いませんよ。これで皆さんの種はほぼ全て明かされたでしょうが……そろそろ私にも見せてもらえませんかね?」
「……何をですか」
「セーレ君が魔法を使えるようになる手品ですよ」
こ、こいつ……!?
「模擬試験最後の決戦時、セーレ君が使った魔法陣は接触反応の魔法衝撃でした。つまりセーレ君自身に魔力が無いと、あれは起動しない。ドロテ君がいくら魔力を注いでも発動しないはずなんです」
「えっ……そ、そうなんですか!?」
「おや?カロリーヌ君は知らなかったのですか。いけませんねぇ、友達に隠し事をするのは」
こいつが卒業試験と称してここまで来たのはそれが目的だったのか!?私かセーレが魔力を移す手段を持っていると推察して、国外を出る前にその方法を暴くつもりだったのか!
「せ、先生……何故それを……!?」
まずい、あの二人に動揺が走っている!この怪物相手にそんな余裕はないのに!!
「やはり何か種があるんですね?ふふふ……では見せて御覧なさい。私に――!?」
突如、先生の右腕付近からあの不格好なナイフが飛びだした。否、飛び出しただけではない。まるで意思を持っているかのように軽やかに、そして素早く動くナイフのきらめきは、一瞬だけその持ち手の姿を映し出した。
だけど、あり得ない。ここにいるはずがない……!
「……あなたも参加するとは、聞いていませんが」
「う、うそ!?」
「どうしてここに!?」
「……決まっている」
いつの間にか曇天の合間に星の輝きが見え始めている。雲の切れ目から注がれた月灯りに照らされたのは、金髪碧眼で完璧な容姿を持つ、一人の青少年。
「君達と一緒に卒業するためだ。僕も後期末試験に途中参加させてもらいますよ、先生」
ボロボロの衣服を纏った、ファブリス・フォン・アンスランだった。
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