卒業試験
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「では、お世話になりました」
オフレ子爵邸で食事を終えた私とカロリーヌさんは、ついに背嚢を背負って旅立とうとしていた。見送ってくれるのはオフレ夫妻と、ドロテさんだけ。でも、これでいい。両親に会ったところできっと私に謝ることしか出来ないと思うし、下手に挨拶しても旅に反対されて飼い殺しにされかねない。兄上は私の決断ならきっと分かってくれる。それならこのまま姿を消した方が良い。
……殿下。マリエットの事、よろしくお願いいたします。
「ところで、まずはどこへ向かうのかしら?」
「南方の国、サウスクレイに行ってみようと思います。あそこはダマスカスの産地ですし、ユベールさんの拠点もあそこにあると聞きました。是非一度、お話を聞いてみたいですから」
「まあ!じゃあもし会えたら、今度私からも会いに行くと伝えておいて頂戴!それと、背嚢の中に旅で必要なものは揃えたつもりだけども、足りないと思ったら適宜買ってね」
旅立ちに際し、まずお金をお借りすることになるとは思わなかった。元公爵令嬢としては情けない話だが、着の身着のまま、制服でここまで来ちゃってたし……勢いでここまで来ちゃった感じが否めないわ。スズカさんには一生頭が上がらない気がする。
「すいません。必ずお返しに参りますから」
「ええ、是非そうして頂戴ね。それじゃあ、二人とも――」
「お待ちなさい、セーレ君、カロリーヌ君」
え!?先生!?
「ひえ!?な、な、なんでここに!?」
「君達、退学して旅に出るんでしょう?いけませんねぇ、退学届も出さずに行ってしまうのは」
なんでこの人そんなことまで知ってるんだろう……。どこかで盗み聞きでもされたのだろうか。この先生、優しいようでどこか油断できないのよね……。
「申し訳ありません。私の退学届についてはスズ……オフレ子爵夫人から両親へ届けてもらう予定でした」
「……どうしても、旅に出たいのですか?王立学園での生活は、そんなにもつまらない内容でしたか?」
つまらなかった訳が無い。私にとって、学園での生活は生きてきた中で一番幸福な時間だった。習ってきた授業にも学びがあったし、魔法が使えない私でも強みがあることが分かった。生徒会での活動も充実していたし、自分の弱さを見つめなおせたのも学園生活があったからだ。出来る事なら私も後2年、幸福な時間を過ごしたかったわ。……けど!
「いいえ、違います。学園を卒業した後に希望を見出せないから、私は国を出るのです。それに……先生には申し訳ありませんが、私が学ぶのは、もはや魔法の知識だけでは足りないのです」
「足りないとは?」
「私にとって、魔法とは道具です。それも不可能を可能にする便利な道具です。ですが日常的に使う道具であれば、使う人間を選び過ぎてはいけないんです。私はこの国の外で、魔法を使わずとも便利な生活を送れる方法を探し、学んできたいと思ってます。そして魔法を超える便利な道具を作れるようになりたいんです!」
「……魔法は道具、ですか。面白い。やはり貴方は私の考えに最も近い」
「先生……?」
「わ、私は友人を守る為に、もっと剣を極めたい!学園に敵がいないなら、外でもっと強い敵を斬るまでです!」
「は?では既に学園では敵無しと?……はっははは!!カロリーヌ君……君、あの頃より少し傲慢になりましたねぇ。ちょっと思ってたのとは違う方向に進んでいる気がしますが……そんな君も悪くはありませんよ」
「ですが」と言葉を区切った先生からは、普段のつかめない雰囲気とはまた違う威圧感を放っていた。凄み、というやつだろうか。
「君達の夢は口だけで語れるほど容易い道ではない。君達がどれだけ本気か、私に見せてください。……ちょうどそこに小さな森があります。旅立ちの前に、私と一年生後期末試験を済ませてしまおうではありませんか」
……ありがとうございます、先生。先生は私達のために、ちゃんと最後まで授業をしてくださるおつもりなのですね。考えの底までは読めないけども、一生徒の為に汗を流してくださる先生に感謝申し上げます。
「……わかりました。後期末試験をお受けします」
「ドロテ君。どうやら君は旅立たないようですが、どうしますか?彼女たちに手を貸しても構いませんよ?」
「ではお言葉に甘えて、加勢させて頂きます」
驚いたことに、ドロテさんは当たり前のことのように即答した。てっきり皮肉の一つでも飛んでくるかと思っていたけども。
「ドロテさん……ありがとう」
「勘違いしないで。あんたら貴族……じゃなくなったんだっけ。とにかく、平民の私はお母さんと冬支度をしなきゃいけないから、面倒な試験を先に済ませたいだけよ。……さっさと済ませて、どこへなりとも行っちゃいなさい」
「……頼りにするわ!じゃあ、先生!お願いします!」
「よろしい。では場所を移しましょう。オフレ子爵もお立合いください。私一人では判定が不公平になるかもしれませんから」
「よかろう。スズカ、留守を頼む」
「ええ、あなた」
オフレ子爵と私達は先生に促されるまま、屋敷から少し離れた森へと入っていった。
雨は上がっていたものの、曇天のせいで夜の森は極めて暗い。この松明が無ければ足元さえもまともに見えないが、こんな中でやるというのか。
「それでは、後期末試験を始めます。試験ルールは、無詠唱以外の魔法の使用を許可。本来は裏山の指定エリアを使って生徒同士1:1の決闘を行う予定でしたが、今回は1:3で戦うことを特別に認めます」
先生はポケットからハンカチを取り出すと、気分の左腕に巻き付けた。少々大きめのハンカチなのか、風が吹くとパタパタとたなびいている。
「学園では革袋を使いますが、今日はこのハンカチにダメージを与えれば勝負ありとします。対して皆さんは戦闘不能、あるいは止めなければ殺害されていたと判定した時点で終了とします。各自、魔法陣を書く準備は出来ていますか?」
「「「はい!」」」
「よろしい。立会人であるオフレ子爵の周囲3mは接近禁止エリアとします。……さて……戦力を隠して卑怯だと言われるのも嫌ですので、戦う前に私とあなた達との戦力差をお見せしましょう」
にこやかなまま先生が佇まいを直すと、ゴオッという音と共に、凄まじい殺気が先生から放たれた。カロリーヌさんの殺気が思わず体が反応してしまう鋭いものだとしたら、先生のそれはこちらの身体を縛るものだ。つまり……捕食する側の圧。圧倒的強者が弱者に放つ――狩る側の殺気だ。
「ほぉ……?なるほど、そういうことか」
平然としているのはオフレ子爵夫妻くらいのもので、私達は恐怖のあまり動けなくなってしまった。あのカロリーヌさんでさえ冷や汗を止められてないのに、やはりあの子爵も只者じゃないわ……!
「怖いですか?怖いでしょう。これが本物の殺気です。本物の魔法使いが、相手を狩ろうとした時に発する、死の宣告ですよ。今は恐怖で震える余裕があるかもしれませんが、竜の殺気ともなればその場で気絶し、意識が無いまま腹から食いちぎられて終わりです。貴方達の旅路では、討伐しきれていない魔獣と出会うことだってあるのです。この程度の温い殺気には、今慣れておきなさい」
普段と変わらない穏やかな目と口調、そしていつもと変わらない姿勢なのに、奥歯が勝手にカチカチと震えて鳴ってしまっている。これが……先生の本気なの……!?
……駄目だ、歯の音で先生に位置がバレる。歯を食いしばれ……!作戦を立てろ!カロリーヌさんとドロテさんと、そして私の強みを一番活かせる戦い方を探すんだ!!
「では、参ります」
「前に出ますッ!!」
「カロリーヌさん、任せるわ!ドロテさん、一緒に来て!」
「最強女!死ぬんじゃないわよ!!」
先陣を切ったのはやはりカロリーヌさんだった。彼女は先生の殺気を打ち消そうとするかのように、同様に殺気を放ちながら神速の刃を抜き放つ。その速度は速すぎて私にはまったく見えないが、音によって辛うじて一度フェイントを混ぜてから二撃目を放ったように思えた。……しかし、流石と言うべきなのだろうか。
「素直ですねぇ、カロリーヌ君」
「くっ……!」
先生は手の平に金属のようなものを精製して、カロリーヌさんが振るうダマスカスの刃を止めていた。あれは砂の中に含まれているという金属を集めることで発現させる地属性魔法「砂鉄の盾」に間違いない。先生が極めて高度な地属性魔法の使い手であることはわかっていたが、それにしてもいつ詠唱したのか分からない。
「ちょっと!無詠唱は駄目なんでしょ!?」
隠密行動をしてほしいドロテさんが思わず叫んだが、先生は全く気にした様子も無く私達の方へ向いた。どんな方法を使ったかは知らないが、私達の位置を全て把握できているらしい。この様子では、隠れたところで大した迷彩効果は得られないだろう。
「詠唱はしましたよ。ねえ?オフレ子爵」
「ああ。大した高速詠唱だ」
「はぁ!?どんな舌よ……!?」
カロリーヌさんが走り出してから詠唱を始めて、抜剣するまでに詠唱を完了したというのね……!よく無詠唱の利点は高速発動にあると言うけども、実際は詠唱文が曖昧になることが多く、威力が小さくなったり、微妙に違う魔法が出たりする。先生はその欠点を、極限まで詠唱を短くすることで補っているんだわ……!?
いえ、校庭を目視せずに全て慣らした技量からして、無詠唱でも全く遜色は無いはず。す、すごい……!!先生が、これほどの使い手だったなんて!!
先生!あなたの生徒だったことは、私の誇りです!
「シッ!!」
「ふっ」
カロリーヌさんは納剣を交えながら不可視の剣劇を放っているというのに、その悉くが先生のアースシールドによって弾かれてしまっている。これはあまり悠長に準備してられない!
「ドロテさん!この魔法陣を使って!」
「やっぱり走りながら手を動かしてたのね。……そうね、これしかない。私も同じものを書いて撒くわ。いざとなったら、あれを使って不意を突くよ!」
あれとは、生命力譲渡の事だろう。出来ればあれを使うのは避けたい。使ったが最後、ドロテさんが戦闘不能になってしまう。
ドロテさんは何も言わないが、魔力を受け取る側である私にはわかる。あの命そのものを分け与えてもらう危険な感覚……あれは恐らく命に関わる危険な魔法だ。本来使うべきではない。
……だけど、ドロテさんはそれを分かって提案してくれている。旅立つ私達をちゃんと見送るために、なんとしてもこの後期末試験を合格しようと必死になってくれている。だったら!
「……あれは最終手段よ!まずは私達の引き出しを全部出す!よろしいですね、次期生徒会長殿!」
「よろしい!セーレ参謀!貴方に一任するわ!」
私とドロテさんは、カロリーヌさんの無事を祈りつつ、森の闇を駆けた。全ては先生に勝って、胸を張って旅に出るために。
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「断ッ!!」
「ふんっ!」
目まぐるしく、そして繊細に、かつどれもが致命傷に成り得る剣が私に襲い掛かる。素晴らしい。なんという鋭く精密な剣筋、そして歩法だ。身体強化の魔法を抜きにしても、カロリーヌ君の動きはやはり一線級と言って差し支えない。あの時と同じく、いや、あの時よりも確実に進化している。そのきっかけは間違いなく、後期に入ってから行った、あの模擬戦闘だろう。
『ど、どうしましょう……!斬ってしまいました……セ、セーレさんを!わ、私の剣で!!私がッ!!』
仲間を傷付けてしまった経験。友達の肉を斬ってしまった手の感覚。……あれは辛い。私も冒険者だった頃に経験したことがあるが、自分が放った魔法が味方に当たってしまった時の罪悪感と絶望感は計り知れない。ましてや、そのせいで目の前で致命傷でも負おうものなら、戦いから身を引こうと考えてしまっても仕方がないと言える。
実際、冒険者が引退する理由の半分は怪我、4人に1人が体力の限界、そして残りの大半が人間関係や仲間の死だ。多くの冒険者が仲間を傷付けて、運が悪いとそれが原因で亡くしてしまったことに気を病み、戦闘から身を引いていく。カロリーヌ君は、卒業前に経験すべき最も辛い出来事を、一年目にして見事に乗り越えたのだ。
いいぞ、元学園最強の剣士君。君はまだまだ強くなる。君は元々、魔法に固執するべきではなかったのだ。
「先生」
嵐のような剣劇が一旦止み、静かに構えを直すカロリーヌ君が目の前にいた。あれだけの攻撃をしたにもかかわらず、息は殆ど乱れていない。持久力の方も少しは改善できたようだな。
「なんでしょう?」
「先生の最終目的は、なんですか?あなたの振る舞いは教師としては素晴らしいのですが、目が教え子を見るそれではないように思えます。私達を高めて、何をしようとしているんです?」
……本当に勘のいい生徒達だな。ここで失うのが実に惜しい。
「生徒達による国家転覆です」
「ふざけないでください」
「ふざけてませんよ。私は革命を起こしたいのです」
私は右手を覆うように「砂鉄の剣」を纏わせ、彼女に斬りかかる。私も彼女ほどではないが剣術に覚えがある。攻めに回れば防戦一方にはならない。そして何より、カロリーヌ君にはまだ人間力が足りない。
「あなたも見たはずです。魔力が無いというだけで傷つけられる友人と、魔法の習得に重きを置きすぎる王国、そしてその王国を支える為に偏った授業を行う学園の実態を。実に腐り切っている……そうは思いませんか?」
「っ!?」
迷いが生まれれば、剣は鈍る。優れた剣士だが、やはりまだ若い。私の発言に動揺して攻撃を緩めるようでは、まだまだ経験が足りないな。未熟なまま卒業させないといけない自分の無力さに腹が立つ。
「私もセーレ君と同じ考えなのですよ。魔法など道具に過ぎない。あれは便利で、我々に多くの恩恵を授けてくれますが、それだけです。調理道具である包丁を殺人の道具として使う者がいるように、結局は使う者次第でその価値は変わるのですよ。言うなれば私は、セーレ君の同志なのです」
「そんな……!?」
「私を斬れますか?セーレさんの思想ごと、あの日のように」
動きが鈍ったカロリーヌ君の足元を局所的に激しく揺らす。盤石であるはずの地面が揺れたことで、バランスを崩した彼女は咄嗟に受け身を取ろうとするが、肝心な剣が遊んだままだ。私はその隙を逃さず、彼女の腕で守られていない胸骨の右側面を拳で強打した。
「ごふっ!?」
「いけませんねぇ、敵の言葉に惑わされては」
胸骨を数本へし折った感触を左手に残したまま、彼女は木へと叩きつけられた。しばらく呼吸は出来ない……そう思ったのだが。
「戦いの中、信じていいのは仲間の言葉だけにしておきなさい……おや?」
「ま……まだ、です……!」
信じられないことに、彼女はすぐさま立ち上がり、納剣して構えた。口の端から血は流れているものの、その構えは完璧で隙が無い。
「ありがとうございます……!勉強になりました……っ!」
「これは驚いた。もう動けるのですか。これでは戦闘不能とは見做せないですね。オフレ子爵から見ていかがですか?」
「ああ、まだやれる。私の娘はこんなものではないぞ」
ニヤリと笑う子爵からは、娘に対する信頼が伺えた。だがその気持ちもわかるというものだ。カロリーヌ君の心は折れていない。いや、もしかしたら彼女があの4人の中で一番強い心を持っているのかもしれないのだ。
『――セーレさんがいなくなったら、今度こそ、私は独りになっちゃいます……っ!もう独りは……嫌なんです……っ!!』
友を作れず、剣の道の先でも孤独を感じ続けながらも、彼女は優しく真っ直ぐに、他人を思いやれる娘に育ってきたのだ。孤独の中で人間を信じ続けることは簡単ではない。そんなカロリーヌ君が弱いはずがないのだ。
「ですが、それでは最初のような動きは出来ませんね。辛いようでしたら降参しても――!?」
発言を途中で打ち切り、後ろへ飛ぶ。私が立っていた位置には数本のファイアアローが突き刺さっていた。……もう準備が終わったというわけか。流石に早い。
「カロリーヌさん!大丈夫!?」
「は、はい……!まだ、私は不合格になっていません……!」
セーレ・カヴァンナ。やはり、次は君が私の前に立つのだな。
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