決意と失意
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「ファブリス!?貴様、乱心したか!!」
騎士達が一斉に僕を取り囲み、銀の剣を向ける。なるほど、セレスティーヌはこんな恐ろしい光景を、5歳という幼さで味わったというのか。自分の背丈を超えるような、大きな剣先を一斉に向けられたのだ。きっと死ぬほど怖かった事だろう。
ごめんよ、セーレ。あの頃の僕は、やはり君の事を何もわかってやれていなかったんだね。
「乱心ではありませぬ。自分が貴族には相応しくないと確信したまで」
「何を言っている……!!」
「貴族とは、民を思い、民の為に自らを犠牲にする立場にあると思っていました。それが平民から税を搾取する側に産まれた者の責務だと。しかし……陛下のように人を人とも思わぬ者の下で、僕は貴族を続ける事など出来ない」
「何を言っているのだと聞いている!!お前は私の前で剣を抜いた!!これは謀反ではないか!!」
「……謀反ではございません」
「では何故剣を抜いた!!」
驚いた。まさかここまで言ってまだ理解できないとは。謁見の間で剣を抜く理由など、この国の王であれば知っていて当然だろうに。
「わからないのですか?いや、わからないのでしょうね。貴方は魔法王国の王であろうとするあまり、国が人間の集まりであることを忘れている。あなたの目からは、僕でさえ魔力の塊にしか見えていないのでしょう?肉親ですら道具としか思っていない。だから王でありながら、僕が謁見の間で剣を抜く理由と意味が理解できないままなのだ」
「言わせておけば……!人間を統治するのに必要なのは優れた人間性ではない!民を安全な環境で効率的に働かせ、集めた税で国全体を潤わせる統治力だ!たかだか生後16年の小僧が知ったような口を利くんじゃない!!」
僕の中で、この男に対する肉親の情が消えるのを感じた。もう二度と、この男を父親などとは思わん……!!
「貴方と議論するつもりは無い。お忘れか?僕は貴方を失望させる為に来たのだと。あなたを斬るためでも、あなたの統治力を問うためでも……ない!!」
僕は身体強化の魔法を全開にすると、抜き放った細剣の柄と刃を握りしめ――
「ま、まさか!?者共、とめろ!!」
手から血が出るのも無視して、剣を真っ二つにへし折った。
残響が消え、謁見の間を痛い程の沈黙が支配する。貴族が王の前で剣を抜いたとしても、目の前で自ら折った場合は謀反とはならない。これは自らの身分を放棄するという意思表示だ。王に向けて振るう剣も、王のために振るう剣さえも無いという意思を明確に、そして最大に表現する儀式。つまり、王家に対する決別を意味する。
アンスラン王国の歴史上、王族がこれをやった前例は無い。
「な、なんてことを……!?なんと馬鹿な……!?お前は、自分が何をしたのかわかっているのか!?今この時より、お前は平民以下になってしまったのだぞ!?」
「むしろ望むところ。ですが……僕のような人間が力を持って、陛下に忠誠を尽くさないのは不安でございましょう。今、その不安の種を除いて差し上げます」
僕は魔封じの陣を、細く絞った炎だけで描き出した。僕には先生のように大規模な魔法を素早く操ることは出来ないし、カロリーヌ嬢のような爆発力も無い。しかし……身体強化を特化させるだけの、繊細さと器用さを併せ持つ。その本領を、まさか自分への魔封じで発揮することになるなんてな。
「よ、よせ!よすんだファブリス!!剣のことは見なかったことにする!婚約破棄の見直しを考えてやってもいい!だから、それを使うのはよせ!!」
この男が何故こうも焦っているのか。それは光と炎の複合適性は、本来勇者の血筋か、賢者の末裔が為せるものだからだ。ドロテ嬢やマリエットのような例は本来ごく僅かで、絶対数が少ないというのも焦りの原因だろうが、この場合は政治的な意味合いがかなり強い。
魔法絶対主義であるこの王国で、勇者と同じ魔力を持つ王子が、国を見限って自ら魔力を断つのだ。国内外含めても致命的なスキャンダルであり、これを対外的に取り繕うことは不可能だろう。
そんな重大な事態にも拘わらず、婚約破棄を考え直してもいいとは言っても、考え直すとは言わない。こんな捨て身のやり取りであろうとも、この男は謀略や口車と言った小細工から足を抜け出せないのだ。王とは人に弱みを見せず、常に裏をかけるように言葉を選び続けるものだと信じているから。
もう、うんざりだ。この男も、この王国も、この男の血が確かに流れる自分自身も、全てが憎い……!!
「た……頼む!早まった真似はするな!婚約破棄の撤回を検討するだけで不足なら、何が望みだ?王位か?それならお前を王位継承権一位にしてもいい!だから、魔封じの陣を消すんだ!偉大なる勇者の魔力を消してはならん!!」
こいつはッ……!!どこまでも人をコケにしてッ……!ならばその傲慢と勘違いが何を生み出すのか、僕が教えてやるッッ!!
「断るッッ!!貴方の優れた統治力とやらが、僕に勇者の魔力を捨てさせる決意をさせたのだッッ!!精々末代まで誇るがいいッッ!!」
「お前たち何をやっている!!ファブリスを止めろぉぉぉ!!」
剣を捨てた兵が拘束しようと僕に迫る。妨害を予測していた僕は身体強化の魔法を脚に集中させて回し蹴りを放ち、全周から迫る騎士を全て蹴り飛ばした。だが目だけはアンスラン国王から離さない。魔封じを完遂するその時まで、絶対に離さないと決めていた。
「よく目に焼き付けろ!!これが僕に魔法の偉大さを教えた結末だッッ!!」
自ら生み出した炎の魔封じが、僕の左胸に直撃した。あまりの熱さと痛みで一瞬だけ意識が飛び、直後に熱さと痛みで強制的に覚醒させられる。魔力で錬成された炎が衣服を焼き、その先にある胸部に火傷による魔法陣が刻まれる。そして魔法陣が完全に刻まれた時、僕の身体にある魔力は霧散していった。
「あ……あああっ……!そ、そんな……!わ、我がアンスラン王国の、至宝が……!」
自然回復する魔力も、全て魔封じの陣によって放出されていくのを感じる。間違いなく、僕は今後一切の魔法を使うことが出来なくなっただろう。
「はあ……!!はあ……!!し、至宝か……笑わせる……!こんな、学生の魔法陣で簡単に消えるものが……至宝で、あるものか……!」
これで……僕も少しでも君に近付けただろうか。セレスティーヌ。
「き、貴様……!この愚か者がぁ!今すぐに魔封じの陣を解けぇ!!」
「無駄だ……魔法陣は胸の奥まで焼き付けた……!魔封じを解きたいならば、僕の心臓を抜けッ!」
「なんだと!?」
「だがやるからには覚悟せよッ!!新生児との婚約を拒否されたことを理由に、息子の心臓を抜いた王だと、そう歴史書に載る覚悟をなッ!」
「なっ……!き、貴様……!」
出来るわけがない。いや、今となっては僕を公式に刑罰を与えることすらも出来ないだろう。そもそも僕がやった事と言えば自傷行為に過ぎないのだ。
元第三王子かつ貴重な複合属性を消したといっても、個人の魔力が国有財産に帰属しない以上、処罰を与えようにも法的根拠が無い。そして王国が明確な罪状無しに第三王子を処罰すれば、それだけで国が揺らぐ。
ただでさえ新生児との婚約を発表した当日に、第三王子が事実上自決したのだ。この上またマリエット嬢と兄上のどちらかを婚約させれば、学習しない無能な王との誹りは免れない。国内だけならまだしも、国外に対する心象は最悪だ。
結果として国王は何も得られず、その原因となった僕に手出しすらできなくなってしまったことになる。僕に剣を折らせた時点で、この男は詰んでいるのだ。
アンスラン王は対応を間違えた。非情の王を演じるならば、僕が剣を抜いた瞬間に捕縛ないし即殺害しておけばよかったんだ。そうすれば表向きは狂を発したことに出来ただろうに。
「……失礼する。もう二度と会うことは無いでしょう」
「~~~っ!……後悔するぞ、ファブリス!」
「もう十分にしております」
もっと早くにこうすべきだったとな。
やはり自分は、あの謁見の間で自害すべきだったのではないか。それが一番あの男に致命傷を与えることに繋がったはずだ。僕は焼けた衣類もそのままに王城の出口へ向かう途中、そう考えざるを得なかった。だが、それではやはり意味が無い。
僕の望みはセレスティーヌに対する誓いを守ると同時に、セレスティーヌの苦しみを本当の意味で理解する事だったからだ。たまたま派手な方法で王家を去ることになったが、魔封じについては結婚したらそうしようかと薄々考えていたことでもあった。
とはいえ流石に焼き印ではない。あの男が馬鹿な真似をしなければ、僕は本当に必要な公務以外では魔封じの陣を刻んだブレスレット辺りを装着することで、彼女と同じ目線に立とうと思っていた。そうすることが、きっと彼女に一番寄り添う形になると思ったから。
まあ、それも過ぎた話。今の僕に残されたものと言えば、この焼け焦げた服と、焼き印くらいだ。ちょっと寄り道したが、ある意味願いは半分叶ったと考えていいだろう。
とにかく今はセーレともう一度話をしなくてはならない。平民となった僕では、公爵令嬢である彼女との再婚約することはもはや絶望的だが、少なくとも妹マリエットとの結婚は回避した。せめてセーレに操を立てて生きていくことだけでも伝えたい。それを彼女にちゃんと伝えてから別れることが、僕に残された最後の責任だろう。
逸る気持ちを抑えぬまま、王城から真っすぐに出ようとしたところで、見知った顔に出会った。……僕の側近だった男だ。
「殿下ともうお仕事が出来なくなると思うと、寂しくなりますねぇ」
……こいつをもう側近扱いするのも、これが最後になるな。
「ふん、ここまで聞こえていたのか?僕は一々思考を先回りしてくる側近から離れられて清々するよ。それと、もう殿下でもアンスランでもないよ」
この男ともお別れか。こいつには色々とムカムカさせられることも多かったが、その分多くの面で助けられた。この王城から去るに当たって、ある意味で唯一惜しいと思う人間かもしれない。
「……どうする?お前も僕と来るか?平民で無職のご主人様になるが」
「ご冗談を。私がお仕えしているのはアンスラン王国であって、貴方様だけを特別扱いしている訳ではありませんよ」
「はっ!そうだろうな。じゃあ、またな。もう会うことも無いだろう」
さて、早くカヴァンナ邸に向かわねばならない。急ぐとしよう。
「オフレ子爵邸ですよ」
「……何?」
「セーレ様とそのご友人2名が、オフレ子爵邸で夕食を共にしているとの情報がありました。どうやらカヴァンナの姓を捨てて、カロリーヌ嬢と共に旅に出るおつもりらしいですねぇ」
な、なに!?旅だって!?姓を捨てる!?
……いや、しかしセーレからしたらそれしか手が無いのか。あのご両親がどこまでセーレを保護しきれるか分からない以上、学園生活を無事に送れる保証は無い。仮に無事卒業できたところで、婚約破棄が公式に流布された以上、社会的面子もガタ落ちでまともな人生を歩めるとは思えない。それならばいっそ……くそっ、考えられなくもないか!
……にしても、こいつ何を考えているんだ?
「なんでそんなことを僕に教える?」
「私からのサービスですよ。随分楽しく仕事を共にさせて頂きましたからね」
……まったく、こんな時まで有能さを発揮しなくても。僕はもっと、こいつに心開くべきだったかもしれないな。今更だけど、色々忙しいのを言い訳にして、こいつとの時間を取ろうとしなかったのが悔やまれる。せめてセーレにこいつを紹介してやりたかった。有能だが嫌なやつだってな。
「……なら僕からもサービスだ。今の職場に不満があったら相談に乗ってやるぞ」
「無職の16歳に言われてもあまりピンときませんが、覚えておきましょう。さあ、私の馬をお使いなさい。追加サービスです。旅立ってからでは追いつけなくなりますよ」
「ああ、恩に着る!では、またな!」
僕は意気揚々と走り出した。……のだが。
「おや、どうしました?」
このままで本当に良いのか?という思いが胸をよぎり、足が止まった。……そうだ。僕はまだ、新たな婚約者だったマリエット嬢の未来を守りきれていない。もしあの男が、僕の常識を超えてまたすぐに兄上との婚約を結ぼうとしたらどうする?その時、公爵は毅然として断れるのか?……恐らくは無理だろう。
僅かな時間だったが、あの子も未来の妻だったのだ。未来の夫だった者として、あの赤子も護ってやらねばならない。そうでなくてはセレスティーヌに顔向けできないから。
「……なあ、お前は僕の元側近だよな?」
「ええ、元側近で、今や赤の他人ですね」
「その赤の他人からみて、第三王子と乳児との婚約はどう映った?」
「それはもちろん、気色悪いの一言ですね。おっと、不敬ですかな?」
いや、それが普通だろう。その当たり前の感性を利用させてもらう。
「じゃあ赤の他人のよしみで頼みがあるんだが――」
「――まあ、良いでしょう。私個人としても些かどうかとは思っていましたから、これもアフターサービスってことにして差し上げます」
「悪いな。ちゃんと礼はする」
「はいはい。さて、そろそろ本当に急いだほうがよろしいのでは?」
「ああ、そうだな。……またお前と仕事が出来る日を楽しみにしている。いつかまた会おう!」
元側近に最後の仕掛けを任せて、僕はオフレ子爵邸に向けて馬を走らせた。
「ええ……ぜひ、また会いましょう、殿下。貴方と仕事が出来て、私は幸運でした」
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やれやれ、まだ雨が降っているな……この調子だと、三日後の後期末試験も雨になりそうかな。
「アシム先生、学園長からです。至急学園長室へ来るようにとのご連絡です」
「私ですか?わかりました」
もうすぐ試験だというのに、どうしたことだろうか。何だか生徒会室が騒がしかったし、嫌な予感がするが……。
「アシム・ボート、参りました。……ん?」
なんだ……?随分やつれているように見えるが……?
「よく来てくれた、アシム君。実は君の担当するクラスが大変なことになっているのだよ」
「はあ……何があったのでしょうか」
「セーレ・カヴァンナ公爵令嬢と、ファブリス・フォン・アンスラン第三王子の婚約が破棄されたことが、公式に発表された」
なんだと……?まさか、あの二人に限ってそんなことがあり得るのだろうか。
公爵令嬢と王子が婚約するとなれば、十中八九政略結婚だろう。だがあの二人の仲がそこまで悪いようには見えなかった。むしろ少しずつ歩み寄っているように見えたから、私としては授業と戦闘観察に専念出来てむしろありがたいくらいだったというのに。当人たちとは関係の無いところで破棄する事情が発生したのだろうか。
「それは本当ですか?」
「ああ、事実らしい。もしかしたら後期末試験に、あの二人は出席出来ないかもしれないな」
この様子だと、当人たちが受け入れられるような理由では無さそうだな……。全く貴族というのは子供たちの事を何も考えていない。最も活きの良い年頃を勉学と研鑽に回さず、大人の事情で振り回すなど言語道断だ。
おかげであの二人が全力でぶつかりあう姿を見られそうにないではないか。せっかく舞台を整えていたというのに、つまらない真似をしてくれる。
「わかりました。後ほど私がカヴァンナ公爵邸に赴き、後期末試験の延長も可能であることを伝えてまいりましょう。」
「ああ、頼む。公爵家も学園の教師であれば、突然の訪問でも受け入れてくれるだろう」
確かセーレ君はエクトル君の妹でもあるわけだし、明日伝言を頼んでもいいのだが……こんな気分ではもう仕事になりそうな気がしないし、たまには雨の中で歩くのも悪くないだろう。それに落ち込むときにはちゃんと落ち込んだ方が良いのだ。その方が試験本番でより高いポテンシャルを発揮してくれる。
そんな気楽な気分で公爵邸にやってきてみると、何やら屋敷内から激しいやり取りが聞こえてきた。この声は……エクトル君とご両親か?
私は少々無作法かなと思いつつ、気配を消してそのやり取りを聞いてみることにした。いずれにしてもこの雰囲気、ドアをガチャリと開けられる空気ではない。
「許してくれ……!許してくれ!本当にそんなつもりではなかったんだ!わ、私は父親としてあの子をちゃんと愛していた!愛していた、つもりだったんだ……!」
「マリエットが将来有望と目されれば、魔法不能者として嫁ぐあの子のステータスにも繋がると思ったのよ!ま、まさか陛下が、殿下と赤子のマリエットを再婚約させるなんて思わないでしょう!?」
聞いてて胸糞の悪くなる話だ。良かれと思った事が全て裏目に出て、魔力が無いセーレ君が用無しになったことに気付かなかったわけか。全くこれだからこの国の高級貴族というやつは……。
……ん?そういえば、ファブリス君とセーレ君の気配が無いな。どこへ行ったんだ?
「エクトル!セーレはどこへ行ったんだ!?全然帰ってこないではないか!早くあの子に謝らないと!」
「……あの子は今、友人の屋敷で休んでいます。帰ってくるまで、今はそっとしておきましょう」
「ああ……!!す、すまない……セーレ……!!すまないぃぃいい!!」
「ごめんなさい、セーレ……!愚かな母を許して頂戴……っ!」
友人の屋敷……屋敷と言うからには、ドロテ君の家ではない。となると、オフレ子爵邸か?……少々遠回りになってしまったが、何やらただ事ではなさそうだ。少し様子を見に行ってみるか。
身体強化で一気にオフレ子爵邸まで走った私は、屋敷の扉を叩こうとした直前で、夕食を楽しむ3人の声が耳に入った。その中にはセーレ君の声も混じっている。聞いていたよりも明るい声で拍子抜けしたが、ひとまず明るく笑えているのなら心配はあるまい。そう思い、やはり明日伝言を頼めば十分かと思ったのだが……。
聞こえてしまったのだ。セーレ・カヴァンナが身分を捨てて、すぐにでも旅に出ようとしているという話が。
「……いけませんねぇ、セーレ君。先生になんの相談もなしに退学しては」
大人たちの都合に子供が振り回される。そんなものは教師生活を送っていればいくらでも見てきた光景だ。しかし、一年生の中でも際立って私の理念に近い生徒達が、後期末試験を前に学園を退学するなんてことは許されない。学生の本分は勉強と研鑽であり、それを途中で放棄するなんてことは絶対に認められない。
「そんなに退学したいなら、その前にきちんと勉強の成果を見せて頂きますよ」
まだ収穫には早いが、是非も無い。未熟だが芳醇な香りを漂わせる果実たち……今日ここで、味見させて頂くとしよう。
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