セレスティーヌ・カヴァンナ
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生徒会での活動は、初日でセーレが言った通り、確かに政治とどこか似ているような気がする。問題点を洗い出し、修正案を出し、協議し、会長が承認後、学生投票にかける。このプロセスで唯一王国の政治生態と違う部分があるとしたら、最後の投票にかける部分だろう。そしてこの投票形式は、元々はエクトル生徒会長の立案だったと言う。
皇帝や王が国を直接統治している限り、どの国も例外なく独裁国家となる。法律を下の人間に協議させるところまでは一部民主的に進むが、最終的には国王が一人で判断、決定を下し、責任をもって執行を命じる。その性質上、どうしても法を決める側の人間にとって都合の良い法ばかりが優先され、民衆がしわ寄せを喰らうことになる。そして民衆がそれを制御することは出来ない。
歴史上稀に見る、より民衆のための政治を行うことで支持されることもあるが、原則として国家の安定が第一に優先されることに変わりはない。そして国王が変われば国家の方針もがらりと変わってしまう。
一方で、この生徒会では自分たちにばかり都合の良い案は提案されない。初めから利他的な人間を中心に集まっているのもあるだろうが、最終判断を学生投票、つまり民主的に決めているという点が抑止力となっている。
貴族にとって、提案した内容が否定されることは最大の恥辱となる。だから生徒会も、初めから賛成される見込みの高い利他的な、つまり学生のための提案が多くなる。生徒会メンバーの選出が民主的では無いので、貴族の自尊心に依存する部分が大きく、次の会長がこの方式を変えてしまえばそれまでだが、現状ではかなり民主的な方法を採れていると言っていい。
実に興味深い。あまりに生徒寄り過ぎる部分こそ残っているが、独裁政治下の国にあって小さな民主政治を成立させるのは容易なことではない。並の貴族ではまず、自身の提案を投票にかけると言う発想そのものが浮かばないからだ。
一体どれほどの努力と無茶をすれば、このような生徒会を作ることが出来るのだろう。一度、エクトル会長の見識もじっくり伺ってみたいものだ。もしかしたら卒業後に本格化する僕の政務や法の立案作業において、参考にできるかも知れないからな。
「では、少し早いが今日の生徒会はここまでとする。解散」
今日は特に緊急の議題も無く、後期末試験が近いのもあって投票にかける予定の学園条例について確認しただけで終った。まだ空も赤く染まっていない。この時間に終わりとは、なんだか生徒会が無かった頃を思い出すな。
「殿下」
窓から外を眺めていたところに、婚約者の声が掛かった。早くに終わったというのに、どこか不安そうな顔をしている。どうしたのだろう?
「ああ、セーレ。お疲れ様。今、馬車を呼ぶよ」
「……殿下、大事なお話がございます。私の屋敷の庭で、お茶を共にしていただけますか?」
セーレの家の、庭だって?別にそれは構わないが……。
「この時間だと、あそこでは寒くないかい?もし庭でないと行けない理由があるなら、部屋でも構わないと思うけども」
「いいえ、庭で行いましょう。その場所でやることに意味があるのです」
不安の表情に真剣な、そして悲壮な覚悟が加わった。そして――
「……約一年の、婚約者同士の初顔合わせ。あれの続きをしましょう。今度は殿下と私、二人きりで」
――古傷に杭を打たれたような鋭い痛みが、胸奥から響いた。
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セーレの屋敷の庭。あの日と同じ場所、同じテーブルで二度目の顔合わせが行われた。時間帯も含めてあの日とほぼ同じ……少しだけ空が曇りはじめたことだけが気掛かりだったが、すぐに降り出すことは無いだろう。それよりも肌を刺すような寒さが気になった。あの日と違って、今はまだ春には遠い。
「セーレ、風邪を引いてはいけない。これを羽織ってくれ」
「ありがとうございます、殿下。我儘を言ってしまい申し訳ありません」
「何を言う。むしろ君は欲が無さ過ぎるよ。もっとやりたい事があるなら僕に言ってほしい」
神秘的な雰囲気を漂わせる可憐な少女だ。彼女に一切の魔力が無いなんて思えない。ましてや、死体もどきと呼ぶなど思いもよらない。むしろ僕よりも少し幼く見えるほど、はつらつとした生命力を感じさせる。
セーレ・カヴァンナは、僕の価値観を根本から変えた女の子だ。彼女の口から飛び出た言葉は、尽く僕の常識を覆してきた。
『火を点けるのに必要なのは、あくまで火種であって、何もそれが魔法である必要はありません。清潔保持も、毎日の入浴で事足ります』
魔法で何もかもを解決してきた僕にとって、火種を魔法に求めないことも、入浴を毎日行う行為も、そのどちらも衝撃的だった。魔力がないと生きていけないと思っていた僕は、魔力無しで普通の生活を送る彼女が信じられなかった。
貴族であり、王族でもある自分が、魔法無しには何も出来ない弱い存在に思えて我慢がならなくなったんだ。
だから僕は、あの日――
「――んですか、殿下?」
どうやら、感傷に浸りすぎていたらしい。呼ばれていたのに気付かないとは。
「すまない。……あの日のことを思い出していた」
「……そう、ですか」
やはり、したい話と言うのは、その事なのだろう。あの日に言った言葉を、僕は過去にしていない。婚約者である彼女を傷付け、魔法不能者の政略資源として利用しようとした僕を、僕自身が許していなかった。
「殿下。私があの日のことを気にしてないって笑ったこと、覚えていますか?」
「……ああ、よく覚えているよ」
「すみません。あれは……嘘です」
ッ!?……そ、それは……っ。
「……本当は、ずっと傷付いていました。今日になるまで、あの日のことを忘れたことはありません」
心臓が握られたような気分だった。わかっていた。わかっていたことなのに、言葉にされるとこれ程までに痛みを伴うのか。
「…………っ」
呼吸が出来ない。息苦しさでどうにかなりそうだ。好きな女の子から傷付いたと告白される事が、こんなにも辛いだなんて。
「忘れることなんて、出来なかったんです。婚約者である貴方を、あんな事を言うのなら信用出来ないと、ずっと心の奥底で思っていました。あの時に私に言った言葉の数々は、間違いなく殿下の本音だと思うから」
言い返せない。言い返す資格もない。傷付けたのは僕で、傷付けられたのは彼女だから。僕はただ、彼女が見せる古傷は自分が付けたものだという事実を、痛みの中で胸に刻み続けるしかないんだ。
そしてこの辛い自己批判でさえ、ただの自己満足だ。なんの贖罪にもならない。僕にできることは……彼女の為に身を捧げることしか残されていない。
そう、思おうとしていた。だけど、セーレは……違った。
「でも……殿下が婚約者だったから、私は卒業後の結婚に希望を持てたんです。今の私が明日を考えられるのは、殿下のおかげなんです」
「セーレ……?」
「魔力なんかどこにでも落ちているつまらないものだ。そんなものより別のものを持てばいい。貴方が言ってくれたその一言が、私の学園生活を変えるきっかけになりました。そして今の私をずっと支えてくれているんです」
「……っ!」
確かに言った。魔法陣しか書けないのでは意味がないと、自分を卑下する彼女を慰めるために。
「体力測定で怪我したときも、真っ先に駆けつけてくれました。殿下だってお疲れだったはずなのに、誰よりも早く。きっと結婚した後も駆けつけてくれるのかなと、殿下に未来の夫像を重ねていました」
……あの時は、結局何の役にも立てなかった自分が悔しかった。治癒魔法が通用しない彼女に出来ることは、魔法を使わずに医務室まで運ぶことだけだった。
「いじめっ子達が過激な手段に訴えてきた時も、まず私と友人を守るために駆けつけてくれました。私、あの時から殿下のことを少しずつ意識していたんだと思います。殿下はその後もいつだって私の味方で、好意を伝えてくれました。……でも」
そう、言葉を重ねた所で傷が消える訳ではない。もちろん僕も気付いていたさ。君の笑顔はいつでも美しく、大人っぽくて、でもどこか遠くを見つめていたから。
その視線の先にあるのが、過去の僕であることにも。
「……殿下。私達はこのままじゃ駄目なんだと思います。きっと今のままの関係では、これ以上お互い前に進めません。……幸せな結婚生活も、きっと送れません」
ああ、やはり、そうなのか。君は僕との関係を……清算したかったのか。僕との関係を過去にすることが、君が前へ進むために必要なことなんだね。
わかったよ、セーレ。君がそれを望むなら、君が僕を拒みたいなら、僕は君のためにそれに応えよう。
誰よりも君のことが好きだから。
「……そうだね。もうきっと、僕と君の関係は取り返しのつかないところに来てしまったんだと思う。全ては僕の不用意な言葉と、浅はかな思いが招いたことだ。君は何も悪くない。君が婚約を破棄したいなら、僕も大人しく身を引――えっ!?」
諦めの境地に至っていた僕の手を握ったのは、あの日とは段違いの輝きと幼さを放つ、セーレとは似ても似つかない少女だった。絶対に僕を離すまいとしているのか、小さな手に力が入りすぎて震えている。
「いいえ、いいえ殿下!違います!私は殿下と、ちゃんと仲直りしたいだけです!」
「な……仲直り……!?」
「お願いします!どうか私のお話を最後まで聞いてください!今度こそ、私は逃げませんから!!」
そこにはいつもの高潔さや計算高さが微塵も感じられず、その瞳は気弱さと不安で大きく揺らめいて、必死になる少女がいた。一瞬誰なのか本当に分からなくて、戸惑うしかなかった。
これがセーレなのか!?いつもの彼女とはあまりにも違い過ぎる!これが公爵令嬢の仮面を外した、素のセーレだとでも言うのか!?
「ごめんなさい……!ごめんなさい、殿下!あの日、殿下のことを嗤ったりして、本当にごめんなさい!」
「セーレ……!?」
信じられない。彼女が……あのセーレが……!
『心臓を動かす前に、息を吸って吐く前に、わざわざ詠唱しているのですか?だとしたら魔力無しには生きられない人より、魔力が無くともそれらをこなせる私の方が余程強いことになりますわね』
泣いている……!あのセーレが、こんなにも号泣するだなんて……!
「ずっと、ずっと謝りたかったんです!私だって貴方に酷いことを言ったッ!魔力があるすべての人々を嘲笑ったッ!それなのにずっと自分だけが被害者みたいな顔をして……!でも、謝りたくても、私にはそんな勇気さえなかった……!あの日の言葉を思い出した殿下から嫌われるのが怖くてッ!あの日の殿下みたい冷たくされるのが怖かったッ!すごく……怖かったんです……ッ!」
椅子から立ち上がってポロポロと涙を流す彼女からは、なんの覇気も感じられない。小さな肩を震わせながら、必死になって僕に謝る彼女の姿は、幼子にしか見えなかった。
幼子……そうか、そういうことなのか、セーレ。
これが、本来の君なんだね。11年前、騎士達から銀の剣を向けられて泣いていた少女……嫌われたくなくて、怖がられたくなくて、ただ純粋に人を愛し、愛されたかっただけの少女……それがセレスティーヌ・カヴァンナだったんだ。
魔法という存在が、魔法を絶対視する王国が、そんな彼女を歪め、傷付け、セーレという強い少女を創り出したのか。
初めて心から思う。魔法なんて、最初からこの世に無ければ良かったのだ。せめて僕もセレスティーヌのように、最初から魔力が無ければ良かった。そうすれば、この子にもっと寄り添うことが出来ただろうに。
こんなに傷付くまで、独りで悩まさずに済んだのに。
「……気付かなかった」
「殿下……っ!?」
震え続ける小さな肩は、寒さのせいなのか、それとも痛みのせいなのか。今の僕に出来ることは、ただこの両腕で君を温めることだけだ。
「君はこんなにも小さく、繊細な女の子だったんだね」
「……っ」
「君を信じるよ、セレスティーヌ。何があっても、何を言われても、どんな嘘でも。君の言う言葉なら、僕は君を信じる。君がくれる痛みなら、僕はどれだけ傷付いても耐えられる。……僕はもう、君じゃなきゃ駄目なんだ」
「……ごめん、なさい……!殿下を傷付けて……優しくしてくれたのに遠ざけたりして、本当にごめんなさい……っ!」
「いいんだ。それより僕にも、もう一度謝らせてくれ。……あの日、あの時君に言った言葉を、僕はずっと後悔していた。君が笑い飛ばしてくれた後も、僕の自責の念は消えるどころか、もっともっと強まっていたんだ。それなのに僕は、自分を傷付けることが贖罪だと勘違いしていたんだ。君と向き合ってこなかったのは、僕も同じだった。……本当に、ごめん」
「……もう私は、あの日を引き摺って傷付いたりしません。ちゃんと自分の弱さとも向き合います!殿下のためなら、私はもっともっと強くなります!だから……!」
「ああ、わかった。セレスティーヌ……改めて、今一度君に告げさせてくれ。僕は――」
生涯で唯一人、君だけを――そう、言おうとしたのに。
「大変だ!セーレ、殿下!!」
「あ!あの!すぐにお伝えしなきゃいけないことが!」
「探しましたよセーレ参謀!こんなところでお茶を飲んでる場合ですか!?」
「え……あ、兄上!?カロリーヌさんに、ドロテさんも!?」
公爵家が使う馬車から三人が飛び降りてきた時、僕の中で何かが砕け散るような感触があった。それは手足ではなく、心などという見えない概念でもなく、致命的な臓器を失うかのように深く、重く、大きな喪失の予感。
腕の中のセレスティーヌの温かさと、降り出した雨の冷たさが僕の頭を掻き乱し、思考を妨げた。頭のどこかで予感していた悪夢が、現実になろうとしているのだと、本能が告げる。
魔力が無い娘との政略結婚。そして強大な魔力を持つ次女の誕生。政略に感情は廃されて当然だと告げた、一年前の御父上。すべての点が、線となって繋がっていく。
「セーレ、落ち着いて聞いてくれ。……お前と殿下との――」
どうか、そうでありませんようにという切なる願いは――
「――婚約が、王家によって公式に破棄された。殿下の新しい婚約者は…………マリエットだ」
「……………え?」
いともあっさりと跳ね除けられた。
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活動報告にもありましたように、終局に向けて内容を整えるので少々更新が止まります。既に1万字は書き進めてあるので、何日も待たせることは無いと思います。




