兄妹
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「よく頑張ったな、ジネット!!おお、なんと可愛らしい子だ!!」
「ええ、あなた……とても強い魔力を感じますわね。きっとこの国を力強く導く存在になりますわ」
「ああ、そのとおりだ!我が家の新たな希望よ!お前の名前は、マリエット!マリエット・カヴァンナだ!」
カヴァンナ家に一つの命が誕生した。光と炎をその身に宿し、人並み外れた魔力をその身に秘めた赤子には、かつてのセレスティーヌをも超える武勲を立てたとされる英傑に倣い、マリエットと名付けられた。
その兄上からの報告を、私は自室で聞いた。
「私に対する当てつけのつもり……という訳でもないのでしょうね、あの二人の事ですから」
「ああ。あの二人はお前を嫌っている訳ではないからな。純粋に、セーレ以上の英傑に育ってほしいという親心からなのだろう。しかし……」
私が魔法不能者であることを意識しているのは確かだ。マリエットが生まれる前から感じていたことではあったが、両親は魔力量が多いと言うその一点のみを評価し、公爵家最大の英傑になると決めつけている。生まれながらの素質が、私以上であることを確信しているのだ。
でもそれは仕方がない。魔法至上主義であるアンスラン王国において、魔力量という個人的素質は絶対的な価値を持つ。同じ能力と身分を持つ二人がいるならば、より魔力が多い人間の方が無条件に出世しやすい傾向にあるほど、この国では魔力量が重視されるのだ。
ただでさえそんな土壌にある国で、生まれる前から一人前以上の魔力を持つ妹が、無条件に期待されてしまうのも自然なことだ。私もそれはわかっているから、今更そこを問題視したり、乳飲み子の妹に嫉妬するつもりもないのだが……ああもあからさまだと、流石にちょっと気分が悪いというものだ。妹も私も、好きでこんな体質で生まれた訳でもないのに。
「……あら?そういえば兄上、私も生まれる前に簡易検査を受けたはずですよね?どうしてその時に魔力が無いことが分からなかったのですか?」
「ああ……そうだな、それは前に言っていた仮説にも繋がるんだが、今なら誰かに聞かれる心配も無いし、話しておこう」
両親は今、生まれてからひと月も経たない妹をさっそく魔宝珠ミロワールクリスタルに鑑定させるため王城へ出向いている。どうしても私にだけ話しておきたいという事なの?
「実はお前が生まれる前、母上の胎内からはごく微量の光属性が感じられていたんだ」
「え?でも母上は……」
「そう」
――炎適性だ。確かに炎適性だと判定された赤ん坊が光適性だったという事例はある。炎は光を生み、光は熱を生む似た者同士だから、微量だと判定が難しい。簡易検査で光と出ても、生まれてみれば炎だったと言うのはよくある話だ。
でも大人になってから属性が新たに発現する前例はない。あるとすれば、胎内の赤ん坊が母親とは別の属性を持って誕生を待っている時だけ。
「その時は初めての女の子というのもあって二人とも浮かれていて、大体の属性だけ分かればいいと言う雰囲気だったらしい。既に俺という跡取りが育っていたし、詳細な鑑定は先延ばしにされていたんだ。……つまりお前が5歳になるまでな」
まずは健康に産まれさえすればいい、魔法は後から使えればいいのだから……その温かだが残酷な親心が、私の体質が異常であることを、大舞台になるまで気付かせなかったわけか。恐らく両親は、私が光属性であることを期待していたのだろう。結局、魔宝珠は輝かなかった訳だが。
「お前が魔力無しとして産まれた理由は俺にも分からないし、今後も研究対象となるだろう。だが今重要なのは、母上の胎内にあった光属性の魔力がどこへ行ったのかということだ。お前は、母上が魔法を使っているところを見たことがあるか?」
記憶を探ってみるが、あまり見たことは無い気がする。身の回りの世話はメイドや執事がやってくれているし、当たり前の話だが学生ではない母上が戦うようなことは無い。
「無いだろうな。冒険者や騎士、世話好きな子爵家とかならまだしも、公爵夫人ともなれば自分から魔法を使うことは殆ど無い。そんな立場にある人間の魔力が異常に大きくなっていたとしても、妊娠した時以外で魔力鑑定を受けることもまず無いから、気付ける人間はごくわずかだ。事実、家族全員が気付かなかったばかりか、本人でさえ魔力が強まっていることに気付いていない」
「では、私が生まれる時に魔力だけが母上の胎内に残されて、それがそのまま育っていたのがマリエットに宿った……ということですか?」
「ああ。そして妊娠の兆候があって検査された時になって、ようやく発覚したのだろう。結果論になるが、毎年魔力鑑定を受けていれば、光属性の成長傾向を観察できたはずだ」
とは言っても、あくまで推論を重ねた仮説だから真実がどうかは知らんがなと、兄上は神妙な顔で頷いた。
「セーレ、つまり俺が言いたいのはな。どれだけマリエットが栄達しても、魔力の半分が本来お前の物であるならば、半分はお前のおかげってことだよ。例え結婚後にマリエットと会う機会が少なくても、お前の力はマリエットをずっと支えている。だから、腐るなよ」
そういう考え方もあるわけね、面白いわ。しかしそれにしても過保護な兄ですこと。私ももう16歳になるというのに。
「兄上の中では、まだ私は泣いていた5歳のままなのですね」
思わず苦笑いが浮かんでしまった。自分の将来よりも私の将来を気にしているのではないかしら。
「違う」
「え?」
だけど、返ってきた答えは真剣で、痛ましかった。
「俺が7歳のままなのだ。父上と母上は自分たちなりに前を向いているのに、俺はお前にずっと5歳の面影を重ね続けている。きっと、お前が幸せを掴めると確信できるまで、俺は7歳のままでいるのだろうな」
「兄上……そんな……」
「わからないんだよ。お前がどうしたら普通の幸せを得られるのか、兄として何ができるのか。もうすぐ学園を卒業するというのに、まだ……」
兄上はこれまで女性と付き合ったりすることもなく、婚約者の話題が出ても学園生活を優先したいと言って断ってきていた。魔力が無い私を兄として支えたい一心だけで、兄上は自分の気持ちを昔に置いてきたままにしてきたのか。私一人をこの家に置いて幸せになることは出来ないと、きっとそう考えたのね。
つまるところ、私が死体もどきとして産まれたことで人生が歪められてしまったように、兄上も私と一緒に歪められていた……いいえ、私のために自ら歪んできたということなのね。そうとも知らず、私は今日までずっと兄上を頼り切っていたのだわ。唯一安らぎをくれる兄上に、5歳の子供のまま甘え続けていたんだ。
……ごめんなさい、兄上。私はこんなにも恵まれた、愛された日々を送っていたのですね。自分に無いものを埋め合わせることに必死で、僅かに与えられる安らぎを貪って、兄上の幸せのことを全然考えて来なかった。
このままでは……いけない。私も兄上も、ちゃんと自分から幸せを掴みに行かなきゃいけないわ。私達はいつまでも幼児のままでは、居られないのだから。
「すまない、俺は何を言ってるんだろうな。ちょっと疲れてるのかもしれない。今のは忘れてくれ。……もういくよ」
こんなにも弱々しい兄上を見たのは初めてだ。記憶の中の兄上はいつも優しくて、時に厳しくて、だけど大人みたいに笑っていたのに。ようやく私も、兄上が弱さを見せて貰えるくらいには強くなったと認めてくれたのかしら。……なら、私も応えないと。
今まで……両親に代わって私を見守ってくださり、ありがとうございました。
「兄上から見て、私と殿下の関係はどう見えますか?」
「えっ?」
「きっと、私の方が一歩引いているように見えているのではないでしょうか」
私も傷を大事に隠して強くなったふりをするのではなく、弱さを受け入れないといけない。強くなるために、自分の傷と向き合わないと。
「私、兄上が思っているほどいい子じゃないんです。魔法不能者であることを受け入れたと言いましたけど……あれは半分嘘。兄上に良いところを見せたくて、強がっていただけなんです」
「セーレ……」
「確かに、私は魔力がない自分を肯定できるようになったと思います。だけど、私の中にはまだ、あの日殿下に言われた言葉が……殿下には気にしていないと笑い飛ばしたあの言葉が、今も棘のように刺さり続けています」
『――魔力が無い君がどうやって体を動かし、生きているのかとても興味があります』
『――世間では君を死体のようだと嘲笑っているようだが』
殿下が私に好意を告げれば告げる程、あの日の殿下が嗤って見下しているような錯覚を覚えていた。いくら言葉で取り繕っても、人の本質は変わらない。魔法絶対主義の両親が、魔法不能者の娘を抱えても価値観が変わらなかったように。人の心に踏み込んで傷付くのを恐れ、強い言葉で逃げようとする私のように。
「もしもあの日、私を嗤っていた殿下が本質であったならば。殿下の好意を受け入れた後で裏切られてしまったら。私は今度こそ心を完全に閉ざしてしまうかもしれない。それが……怖くて……殿下のお気持ちに応えるのに、躊躇していたんです。本当はちゃんと向き合いたい。それなのに……」
部屋を出ようとしていた兄上は私の向かいに座り直し、冷え切った私の手を温めるように握りしめた。
「やっぱり、俺達は兄妹だな」
「兄上……?」
「お前も俺と似ている。7歳の俺がずっと消えないように、入学前のお前が、まだお前の中に消えずに残っている。俺達は昔からそうやって傷を抱えて、弱さを大事に隠しながら、自分を強くしようとしてきた。だが俺もお前も、殿下も、もう昔とは……あの頃とは違う」
兄上の目に、さらに光が宿った。熱く、強いだけではない。後悔と、後ろめたさ、自分の言葉に対する自信の無さ……子供では持ちえない複雑な感情がありありと込められている。
「俺達は弱さを誰かに見せても成長できるんだ。だから……お前も殿下に弱さを見せてやれ。あの日の事をもう一度よく話し合って、自分の気持ちを確かめるんだ。あの人ならきっと、お前に過去を乗り越える力を与えてくれる」
やはり兄上ももう、7歳と5際の兄妹のままではいたくないのですね。ちゃんと18歳と16歳の、自立した兄妹になりたいんだわ。私もそれは同じ。だけど……!わかってはいるのに……!
「でも、怖いんです。もしもう一度ちゃんとあの日のことに向き合ったら、私は殿下に対して……!」
きっと、ううん、絶対辛く当たってしまう。殿下だって、今更何を言うのかと、気にしていないと言ったではないかと、怒ってしまうだろう。それが……たまらなく怖い。銀の剣を向けられるよりも、ずっと。
「感情のまま叫ぶことは間違いじゃない。落ち着いて正しい事だけを言えば、衝突が起こらない訳じゃないんだ。……きっと大丈夫だ。本来のお前を、殿下はちゃんと受け入れてくれる。セーレ・カヴァンナではなく、セレスティーヌ・カヴァンナとして、殿下にありのままを見せてやりなさい」
殿下に、本来の私を……か。
「……兄上の望む結果にはならないかもしれません」
「お前が望む結果になってくれたなら、それでいい。……頑張れよ、セレスティーヌ。俺の自慢の妹よ」
……兄上。きっと私は、ずっと誰かに背中を押してもらいたかったんだと思います。学園で色んな人に出会って、勉強して、戦って。成長したつもりになっていても、結局は些細な言葉の棘を忘れられない自分の器の小ささを、誰かと共有するためのきっかけが欲しかった。一欠片の魔力より、踏み出すための一欠片の勇気が欲しかった。
……殿下。もう一度、婚約者として私とお話しましょう。嗤いあって終わったあの日を乗り越えて、笑いあう未来を得る為に。今度はセーレではなく、セレスティーヌとして。
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「陛下!そ、それだけはどうかご容赦を!」
「何故だ。お前もファブリスとの婚約を結んだ際、私に言ったではないか。もっと魔力の高い娘がいれば、そちらをご提案しましたものを、と」
「そ、それは……しかし娘と殿下はすでに1年近くも心を通わせております!共に学園に通い、お互いを憎からず思っているはずです!何卒、何卒お考え直しを!!」
「くどいぞカヴァンナ公。政略結婚に私情など関係ない。カヴァンナ家により強い血が産まれたのなら、そちらと結ばせるべきであろうが。いいか、もう一度だけ言う」
「陛下……!!」
「ファブリス第三王子とセレスティーヌ・カヴァンナの婚約を破棄し、新たに産まれた娘マリエット・カヴァンナと再婚約させる。公爵家最大の魔力を持つ娘が王家に加われば、我が王国は繁栄を確固たるものと出来るだろう。よもや異論はあるまいな?」
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