ただそれだけで
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のんびりと本を読んでいると、控えめなノック音が自室に響いた。ここにやってくる人と言えば兄上くらいなものだけど、この時間にっていうのは結構珍しいわね。
「セーレ、ちょっといいか」
「はい、どうぞ」
本を読む手は止めないまま、兄上を自室に招き入れた。何故か兄上はどこか、いやかなり気まずそうな様子だった。言うまでもなく新しく妹が生まれる件についてだろう。
「……新しく妹が出来たらしい」
「ええ……って、ちょっと兄上、なんて顔してるんです?家族が増えるのですから、もっとお喜びになった方がいいですよ」
「赤ん坊の簡易検査結果については、聞いたか?」
思わずページをめくる手が止まったが、気にせずもう一度めくり直す。……どこまで読んだかしら?
「母上から聞きました。光と炎の適性があって、魔力量が既に父上を超えているのだとか。カヴァンナ家の誇りだそうですね」
「まだ生まれてもいない赤ん坊で何を誇る気なのだ……!」
「私に聞かれても困りますわ。多分、母上も私をまともに産めなかったことをずっと気にしてらしたのでしょう。だから簡易検査の結果を聞いて、喜びと安堵で気が緩んでいるのでしょうね」
ただし、それは自分の腹がまともであったことに対する安堵であって、次に産まれる子供の経過が順調であることに対してでは無いはずだ。……などと、これまでの仕打ちからどうしても悪しざまに捉えてしまう。あの人は私を見ると申し訳無さそうにするか、さめざめと泣くか、せめてまともに育ってほしいとか、そういうことを陰で父上と話していたことくらいしか印象にない。特別いじめられた訳でも無いが、母としてというより、魔力不能者の保護者としての立場を貫いているように感じられた。
そんな印象だけで決めつけてしまう私も、十分嫌な女だが。でも、5歳の頃から腫物扱いされてきたことを、今になって無かったことにも出来そうにない。11年と言う月日は、16歳になったばかりの私には長すぎた。
「それに私も姉上と呼ばれる立場になるのかと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。兄上の時と違って妹に出来ることなんてあまり無さそうですけど、ちゃんと愛せると思いますわ」
その頃にはとっくに結婚していて、姉として振る舞うことなど出来ないだろうから。でも、兄上は能力云々の問題かと思ったらしく、ただ痛ましげな瞳を浮かべるばかりだ。
「お前はよくやっている。きっと良い姉になれるよ」
「兄上、誤解してますわ。私はもう魔力不能者であることをちゃんと受け入れているつもりです。私は妹を本当に愛するつもりでいます。ただ、結婚後は妹と接する時間が殆ど無さそうだなと、そう思っただけです」
「……そうか。それなら、良いんだが」
兄上は少し安堵しつつも、やはり私の事が気がかりなのか、気遣わしげだった。そのいつもの優しいお姿が、私の心に安らぎを与えてくれる。
もしもこの人が生まれてなかったら、私はどうなっていたのだろう。もしかしたら魔法が使えない事に対する劣等感で、悪意ある行動ばかり取ってたのでは無いだろうか。
そうなれば隣にカロリーヌさんがいなくて、ドロテさんからも媚を売られて、殿下とは形だけの婚約関係……か。悲惨な末路しか待ってなさそうね。
「すまないな、セーレ。いつも苦労をかける」
「兄上が謝ることではありませんわ!それで兄上、ここには何か話すことがあって来たのではありませんか?」
「……2つある。一つは既にお前が言った通りの話だ。だが俺は公爵家の新たな栄光だとか、誇りやらにはあまり興味がない。俺にとって公爵家の誇りは、この家を脈々と受け継ぎ繁栄させてきた祖先達と、お前だけだ。不遇な境遇でも決して折れず、公爵家の令嬢として恥ずかしくない淑女へと成長し続けてくれているお前こそが俺の誇りであり、自慢の妹なんだ。まずはそれを伝えたくて来た」
兄上の誇りと言われて、思わず涙腺が緩みかけた。無邪気にはしゃぐ両親に水を差さないように、なるべく無表情を選んで来たつもりだけども、やはりあの光景は私にはキツかったみたいね。
でも、泣きませんわよ、兄上。もう両親のことには見切りを付けてあります。信じられる友人と、家族が一人いれば、それだけでいいのです。
「……身に余る光栄ですわ、兄上。それにしても、死体もどきの次に産まれるのが大魔道士とは、随分と極端ですわね」
「そうだな。だがあれは本来セーレの魔力だったんじゃないかと、俺はそう思っているよ」
あら、兄上にしてはとてもロマンチックだわ。そんな驚きが伝わってしまったのか、兄上は私から目線をそらした。
「根拠が無いわけでも無いんだが、確証もないし、落ち着いてる時に話そうと思う。それより二つ目だが、ドロテ嬢が次期生徒会長としてほぼ内定した」
「まあ!それは本当ですか!?」
「ああ。反対していた生徒会員達も、ドロテ嬢の覚悟を説明したら賛成に回ってくれたよ。元々彼らもドロテ嬢が責任に押し潰されないかを心配していただけだったらしい。俺ももう少し後輩を信用しなくてはいけないな」
ドロテさんなら、きっと過去の生徒会のように身分だけを重視するような運営はしないはずだわ。ただ、ちょっと貴族に対する認識が辛辣なのよね。最近はちょっと丸くなってきた気もするけど……うーん、大丈夫かしら。
「平民の生徒会長というのも前例が無いですわね。私達も全力でサポートしますわ」
「ああ、特にお前はな。ドロテ嬢が生徒会長になるにあたって、お前を参謀に据えることが条件だったんだ。彼女の役に立ってやれ」
「まあ、そうなのですか!ドロテさんったら私のことをそんなに――」
ん?
「え?今なんて言いました?」
「お前がドロテ次期生徒会長の目と右腕になるんだよ。参謀という役職は無いから、公式には秘書の形になる。明日からドロテ嬢と一緒に秘書補に就いてもらうからな。頑張れよ」
……は!?最後に爆弾を置いて部屋に帰ろうとしないでくださいまし!?
「ちょ、ちょっとお待ちになって兄上!?なんで!?なんで私の名前が出てきますの!?参謀ってなんの仕事ですか!?」
「それは彼女に自分で聞くんだな。まあ、俺はギリギリ賛成かな。ちょっと危なっかしい気もするが、お互いに刺激し合うといい」
そう言い切ると、兄上は今度こそ笑いながら部屋を出てしまった。……参謀って、確か策略を考える人……だったわよね?
……兵法書……読んだ方が良いのかしら。
次の日。もうすぐ妹が生まれそうなことをいつもの三人に伝えると、三人とも驚きと共に祝福してくれた。ドロテさんは「それは良かったですね」と一言だけ残して行ってしまったけど、無視はされなかった。あれはあれで一応祝福はしてくれてるのだろう。
「おめでとうございます、セーレさん!」
「おめでとう、セーレ。僕にも義妹が出来るわけだね」
「ありがとうございます、カロリーヌさん、殿下!まさかこんなに歳の離れた妹が出来るとは思わなくてビックリしていますわ」
「いつ頃ご出産予定なんだい?」
「4ヶ月後だそうです。お腹が目立たないタイプみたいで、発覚が遅れてしまいましたが、経過は順調のようですね」
大体時期的には後期末の試験と被さることになるだろう。タイミングが良いのか悪いのか分からないが、子は授かりものなのでこれは仕方ない。むしろ両親共に仲睦まじい結果なのだから、私としては素直に祝福したい気分だった。
「……セーレ、今のうちに宣言しておくけど、もし君の妹が世界で一番愛らしく、聡く育ったとしても、僕は君以外と結婚する気は無いから。何ならここで一枚誓約書を結んでもいい」
え、ええ……それは、なんというか……。
「ひえぇ……で、殿下、あの、それはちょっと……」
「ええ、色々と重いですわ。そもそもまだ生まれてもいない妹に殿下を取られるだなんて思ってませんし、むしろ思ってたら人格に問題がございましょう」
「いや、僕が言いたいのはそうじゃなくてだな――」
「もうっ、そんなにご心配なら、妹が言葉を覚えて殿下を口説くより前に、殿下が私を口説き落としてくださいまし」
「口説く!?いや、そ、そうだな!よし、では口説くぞ!君を愛している、セーレ!卒業したらすぐに結婚して、子供を5人は作ろう!!」
「ひえぃぃ!?ででで、殿下!ここ、食堂!食堂ですから!皆聞いてますからー!!」
そう、ここは食堂である。おかげで学年を問わず話のタネにされてしまったではないか。特に、子供の下りで。
「……ムード作り無し、場の空気も読まない。減点10ですわ。先は長いですわね、殿下」
なんかがっつり落ち込んでらっしゃるけど、そりゃそうでしょう。……ていうか、日に日にこの人が情けなく見えてくるのは気のせいかしら。気のせいだと思いたいわ……本当に……。
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月日は流れていく。暑さが和らぎ、時々肌寒さを感じ、ドロテさんと私が秘書補として会長職を学ぶ充実した日々が過ぎていく。
時に競い、時に皮肉を言い、時に対立し、そしてお互いが目指す最善へと擦り合わせていく日々は、私が思っていたよりもずっと楽しいひと時だった。きっとドロテさんもそうだったと思う。
「セーレ参謀」
「なんでありましょうか、次期生徒会長殿?」
「そろそろ私を論破した時に、私にだけ見える角度で歯を見せて笑うのはやめてください。大変不愉快です」
「失礼ながら申し上げますと、逆の立場では次期生徒会長殿もそれはそれはいい笑顔をお見せになられます。まるでオーガの首を獲ったかのように」
「ふふふっ……また皮肉ですか?セーレ参謀もお好きですね……」
「いえいえ、事実しか言っていませんわ。ふふふふっ……」
幸せすぎる日常に、皮肉ばかり言う平民の同級生がいて。
「セーレさん!ウォーターアローの魔法陣ってこれで大丈夫ですか!?」
「惜しいわね、ちょっと出力が強すぎるわ。それ以外は大丈夫よ」
初めての友達がいて。
「セーレ。君が好きな食べ物を教えてくれ。それで口説く」
「そういうところですわ、殿下」
ちょっとおかしくなった婚約者が隣にいて。
「妹の名前は誕生と同時に発表するらしいぞ。セレスティーヌの妹となれば、考える方も大変だろうな」
「どんな名前でもきっと可愛く育ちますよ、きっと」
優しく見守ってくれる兄上がいた。
それでよかった。私には、それだけで十分だった。
そして皆が後期試験を意識し始めた頃。
私の妹は、予定よりも一ヶ月早く誕生した。
まるで、何かを急ぐかのように。
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