崩壊の序曲
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「会長、例の件でお話があります。少しお時間を頂けますか?」
「うん?……わかった。隣室で聞こう」
ドロテ君の呼び出しに応じた俺は、少々驚いていた。セーレのやつもそうだが、先日の模擬戦闘から一年生の顔つきが変わっている。自分に足りないものが見えたような、あるいは未熟を知ったような。……これは前の模擬戦で何かあったな。
隣室で二人きりになって、最初に口を開いたのはドロテ君の方だった。
「会長。私に必要なものがわかりました」
「ほお……?随分と早いが、そんなにすぐ見つかるものだったのかい?」
「はい。割と身近なものでしたので」
大きく出たじゃないか。適当な答えを言うとも思えないが……さて。
「では聞かせてもらおう。君にとって必要なものは、なんだ?」
「身分に囚われない目です」
なるほど……ドロテ君らしい答えだな。
「どうしてそう思う?」
「……これまでの私は、貴族全員を敵とみなして過ごしてきました。彼らが平民である私と、その両親を傷付け、搾取してきたからです。貴族を憎む心が、この学園を卒業し、王城から貴族を見下ろしてやろうという野心を燃やす原動力になりました。……ですが、これからはそれでは足りません」
以前から察しはついていたが、やはり貴族全てが憎かったわけだ。だが貴族である俺は、それを非難する資格は無い。むしろ少しだけ共感すらしていた。
確かに貴族と平民の間には深く、広い溝が掘られている。奪う者、奪われる者という、絶対的な差――本来なら平民を守るべき貴族が、それより下の身分から金を奪い、贅を貪っている矛盾と歪み。これで平民から慕われ、恨まれていないと考える方がどうかしている。
俺はずっと昔から疑問だった。好きで弱く生まれた訳でもないのに、初めから弱者と決めつけられた人間は、弱者らしくしていなければいけないのかと。疑問を抱くきっかけとなったのは、やはり妹の存在だった。
魔力が無くても妹は生きている。魔法が使えなくても妹は笑って暮らせるのに、わざわざ魔法不能者として他と差を付けようとする両親が嫌いだった。俺はただ、もっと兄らしく一緒に遊んでやりたかっただけなのに。
そしてお前は魔法剣士の模範なのだから魔法不能者を良しとしてはいけないと、一方的な価値観を押し付けられるほど、魔法と言う存在と、それを絶対視する王国に対して不信感を抱くことに繋がった。そしてその不信は、入学した学園に蔓延る魔法絶対主義と、身分の高さで全てを決めようとする生徒会の存在で決定的となった。学園の歪みは、あまりにも我が家を想起させすぎた。
魔力が何だと言うのだ。身分が何だと言うのだ。身分ばかりが高い魔力自慢の無能より、魔力が無くとも知恵を尽くして生きる者たちをこそ尊重すべきじゃないのか。そんな俺の考えが、生徒会を実力主義へと生まれ変わらせた。その際に公爵子息という身分を大いに利用してしまったことは、今でも俺の心の中に棘となって刺さり続けている。
「……具体的には、何が足りないと思う。さらなる敵か?」
ドロテ・バルテル。君は魔法主義の渦巻くこの王国と、俺が作り出したこの生徒会で、何を見出してくれたのだ。
「社会に対する理解と、俯瞰する目です。今現在、学園にしても王国にしても、魔法を盲目的に信じ、活用しようと躍起になるあまり、魔法不能者や魔法が苦手な者を軽んじています。しかし本当の意味で今の社会を支えているのは、そんな社会でもよりよい暮らしを求めて汗を流しつつ、理不尽の是正を模索する人達でしょう。そこに身分や魔力は関係ありません」
その通りだ。今の視野狭窄に陥っている世の中を、まず自分が通う学園から変えたいと願ったから、この生徒会を作ったのだ。結局、両親の考えさえ変えられない俺では生徒会を作るところまでが限界だったが、こうして気付いてくれる人間が現れたのなら無駄ではなかったかな。
「私は自分が貴族による被害者だと思うあまり、それを見落としてきました。……ですが気付いたからと言って、すぐに凝り固まった考えが解れるわけでもありません。今の私が人を導くにあたっては、身分差を脇に置いて考えることができる目を持って意見できる者……参謀が必要なんです」
「参謀か。秘書ではないのだな?」
「はい。私に必要なのは雑用係ではなく、私に嫌われてでも堂々と意見できる者です」
いい目だ。きっとその答えを出すのに、多くの葛藤があった事だろう。認めたくないこと、嫌いなもの、それを飲み込んででも乗り越えなくてはいけないもの。そう言ったものを全部抱えて、それでも前に進もうとする人間だけが持つ、まっすぐな目をしている。
「ならば誰が相応しいと考える」
君ならきっと、俺の先を歩いていけるはずだ。
「会長の妹、公爵令嬢セーレ・カヴァンナを私の傍に。魔力が無くとも強くあろうとし続け、身分に囚われずに人を見て、共に手を取り合って競える彼女こそ、私の参謀として、そして学園と王国を変えるための礎として相応しいでしょう」
俺が実現できなかった夢を、君に任せてみようじゃないか。ドロテ君。
「おかえりなさい、エクトル。あら?何かいいことがあったのかしら?」
「ただいま帰りました、母上。ええ、わかりますか。生徒会長の後任候補が固まったのですよ。平民の女子ですが、中々の人物です」
「まあ!平民の女子だなんて学園でも初めての試みじゃないかしら?よほど優秀な子なのね」
「ええ、とても優秀ですよ」
かなりひねくれていて性格に難はありそうだけど、という一言は辛うじて飲み込んだ。俺も久しぶりに希望を見出せた喜びで、少々浮かれていたのかもしれない。
「おお、エクトル!よく帰ってきたな」
「ただいま帰りました、父上」
だから、俺よりも両親の方がずっと浮かれている事に、その瞬間まで気付かなかったのだ。
「喜べエクトル!お前にもう一人妹が出来るぞ!」
「……はい?」
希望とは、絶望の対価でないといけないものなのだろうか。俺が希望を見出したばかりに、セーレが絶望を選ばされているとでも言うのだろうか。
「ジネットが身籠ったのだ!女の子だそうだが、それよりも魔力属性の簡易鑑定結果が素晴らしい!見ろ、光と火の複合適性だ!まだ生まれてもいないのに、既に私の魔力量を超えているのだよ!わっはっは!」
歓喜に震える両親と、それを遠くから冷たい目で見つめるセーレ。俺にはこの光景が、全てを崩壊させる序曲としか思えなかった。
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