水と油が混ざる時
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「会長。庭園内のごみ箱を増設するのは賛成しますが、ごみ箱に焼却機能を付ける件については反対です。周囲が植物で満たされている空間で火属性魔法を使うべきではありません。焼却は別の場所でやるべきです。万が一の火災も考慮し、プールの側が良いと思います」
「ドロテ君、君の言う事はいつも尤もらしいけどさ、プールの側に設置する必要はあるかなあ。学園内でもよく使うゴミ箱で、発火事故が発生したことは無いし、万が一の時は水魔法を使えば一発で――」
「先輩。屋外で使用する以上、焼却中に風によって倒れる可能性は捨てきれません。そして生徒全員が水適性を持つ訳ではありません。お忘れですか」
うっ……という声と共に、2年生の生徒会員が発言を中断した。多少物言いがきついところはあるが、ドロテ嬢の言う事は正論だ。万が一に備えてプールの側で焼却するのは理にかなっている。
「か、会長!あの、私もドロテ君に賛成です!私も一応水くらいは出せますけど、火事だからいきなり使えって言われても……」
「……確かに、急場で魔法詠唱に集中できるとは限らないわね。私もドロテさ……ドロテ君とカロリーヌ君の意見に賛成です」
「そうですね、次回の生徒集会で投票にかけるべきではないでしょうか。ああ、でもごみ箱のデザインは庭園に配慮したものにしましょう。美術部に協力を求めるのはどうでしょうか」
ドロテ君の意見に一年生全員が賛成か。俺も同意見だ。火災の際にパニックを起こさない保証は無いのだ。なら、可能な限りリスクは避けるべきだろうな。
「ドロテ君とファブリス君の提案を良しとする。庭園のごみ箱を増設、夕方になったらごみを回収し、プールの近くで集めて焼却するようにしよう。デザインについては美術部に依頼する」
「回収は誰にやらせますか?」
「初めは生徒会が持ち回ろう。時機を見て各教室に当番を設定してもらう。庭園は誰もが使うから、反対多数とはなるまい。タイミングは来年あたりで良いんじゃないか?反対意見はあるか」
「賛成」
「賛成します」
「うーん……そう言われると確かにそうだな。俺も意見を取り下げて賛成する。美術部に知り合いがいるから、そいつに頼んでみよう。ドロテ君もそれでいいか?」
「ありがとうございます。お願いします、先輩」
生徒会活動に一年生が加わってからというものの、議論の中身が濃くなった。これまでもそれなりに有意義な議論だったと思うが、俺の一声で結論がひっくり返るような雰囲気があって、イマイチ僕自身が参加しにくかった部分がある。
特にドロテ君の存在が大きい。彼女は相手が貴族相手でも、もちろん上級生が相手でも物怖じせず、堂々と意見を言ってのける。言葉の棘が鋭すぎる部分こそあるが、生徒会運営において彼女の存在が唯一無二である点に疑いはない。セーレの方も俺が思っていたよりも賢明で無難な意見を言ってくれるが、牽引力と存在感という点ではドロテ君の方が強いだろう。
俺の中で、早くも考えが固まりつつあった。
「ドロテ君。ちょっと来てくれ」
「はい」
丁寧な態度だが、ギラギラした瞳の輝きまでは隠せない。だがそれでいい。君はそうでなくてはな。
「まだ後期生徒会を開いて間もないが、来年にも君を次期会長に任命したいと思っている。発表は俺が会長職を辞する時だ。3年生で反対している人間はいない」
「っ!?ほ、本当ですか!?しかし、私ではまだ実績が足りないのでは……!?」
「ああ。実際その点で2年生は一人を除いて全員反対している。順当に行けば、自分たちの内の誰かが会長になるのだと信じているからな。だがこの仕事に必要なのは経験ではなく、意欲と野心なんだ」
先日いじめを発端とした拉致監禁事件が学園内で起きたばかりだ。今は多少危うさを秘めつつも自分を律し、自らが正しいと思った事を貫き通す意思を持つ人間が欲しい。そしてそれを持ちうる存在と言えば、ドロテ君以外には居ない。
ちなみに唯一賛成しているのは、意外にも先日ドロテ君から反対意見を言われた男子生徒だ。少々考えが浅い所はあるが、平民かつ後輩の女子が相手でも公平で客観的な目線を持って評価を下せる辺り、彼も優秀と言って良い。
もちろん、反対意見には「平民だから」「一年生だから」というものは一つも無い。最も多かったのは「まずは副会長にしてまとめ役の経験を積ませるべき」という、とても建設的なものだった。俺は今の生徒会で、無能と断ずるべき人物は一人もいないと信じている。
「ドロテ君。君は会長職に必要な三つのうち、いくつを持っている」
「……少なくとも2つは持っていると自負しています」
すなわち、意欲と野心か。なかなか言うじゃないか。
「よろしい。半年程度の期間にはなるのだが、明日から君を秘書補に任命する。俺の傍で会長職の仕事をよく見ていてくれ。そして必要であれば意見をしてほしい。どうだ?」
「はい、やります!やらせてください!」
うむ、よし。……と、その前にもう一つ宿題を渡しておかないとな。
「一つ言い忘れていた。君には俺が辞職するまでに、会長職をするために必要なものを考えておいて欲しい」
「え?……必要なもの、ですか?」
「まだ想像もつかないだろうが、自分の欠点を補ってくれるものや、長所を伸ばしてくれる存在は必ず必要になる。よく考えておいてくれ」
これでよし。賢明な彼女のことだ、恐らく後期末までにある程度の答えを見出してくれることだろう。迷っていたら助言するまでだ。
「頼むぞ、ドロテ君。俺は君に結構期待しているんだからな」
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突然の会長任命。正直言って、意外を通り越して思考が固まるほどの衝撃だった。これで私の栄達はほぼ約束されたも同然だ。後の学園生活は消化試合でしかない。一年も経たない内に色々あったが、順調と言えばこれ以上に無いだろう。
「ドロテさん、生徒会長の内定おめでとうございます!」
「おめでとう、ドロテさん。流石だわ」
うわ、出たわね公爵令嬢と最強令嬢……。平民に先を越されたというのに、全然気にした様子も無いなんてね。生徒会長と殿下を抜きにすれば、ある意味こいつらの存在が一番私の中で際立っているわ。
「たまたまです。会長からは、来年までに必要なものを考えておけと言われました」
「ドロテさんに足りないもの?何かしら……兄上のことですし、経験とは言わないでしょうね」
「うーん……全然想像つかないですね」
まあ、通常なら身分、地位、財力、人脈と言いたいところなのだけれども、あの会長がそのあたりを問題視するとは思えない。私にそう断言させるほど、あの会長が率いる生徒会メンバーの人間性は秀でている。
生徒会での活動中は、身分や男女を問わず本当に公平に接してくれる上、理があれば一年生の意見でもすんなりと受け入れてしまう度量がある。もしかしたら、私が私らしく接することが出来る数少ない貴族たちかもしれなかった。会長がこいつの兄と思うと少々引っ掛かるところはあるが……逆に、こいつが会長を慕う理由もわかる気がした。
一言で言えば器が大きいのだ。流石は公爵家の次期当主筆頭という事なのか。いなくなった馬鹿の言いぶりではないが、貴族たちが皆会長や先輩メンバーみたいな存在であったなら、私も平民である自分を難なく受け入れていただろう。
「まあ、でも兄上が言うからには何か意味があるはずだわ。何かあれば相談に乗るから。頑張ってね、ドロテさん」
「いつでも力をお貸ししますよ!」
余裕のある態度ね。所詮私は平民だからとでも……いや、違う。こいつらも会長に似て、身分で人を見下ろすことはしない。私を平民ドロテではなく、ドロテ・バルテルとして扱ってくる。いっそ選民思想が強い方がずっとやりやすいというのに。あの日以来、私はこいつらとの距離を測りかねている。
「……ありがとうございます、セーレ様、カロリーヌ様。私の方こそ、頼りにさせて頂きます」
精々邪魔をしてこない事を祈るばかりだ。
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後期授業からは、魔法陣を使って魔法を発動させる授業が開始される。座学だけではなく実技面でも魔法陣が使われるので、いよいよ私の本領が発揮されると言っても良いだろう。そしてこれはちょっと意外でもあったのだが、魔法陣の授業では先生の助手のような役回りをすることが多くなった。
「セーレ様、ファイアランスの魔法陣ってこれでよろしいのでしょうか」
「水平方向と垂直方向の方角指定が30度ずれているわ。空間を指定する時と対象を指定する時で計算式が変わるから注意して。そこ以外は完璧ですわ」
「ウィンドスラストを起動させたいのだが、対象空間の中に複数の刃を連続起動させる方法がイマイチ分からなくてな……そもそも魔法陣で出来るものなのか?」
「一つの魔法陣の中で魔法を複数同時起動させるのではなく、魔法陣の外側に何層も魔法陣を追記することで達成できます。たとえば5枚刃を発動させるなら――」
私が培ってきた知識が、クラスメートたちへと共有されていく。それは私の知識が持つ価値を相対的に下げる行為に等しいはずだったのに、教える行為そのものがひどく楽しくて、充実していた。きっと知識というものは、一人で隠し持っていても価値を持たず、共有することで初めて評価されるのだろう。学ぶだけで意味は無いと思っていた魔法の知識が、魔法を使える者たちの役に立つと実感して、この時期の私はとても幸せだった。
そして魔法陣の使用に関する座学を一通り進めた私達は、いよいよ後期実技試験の前準備とも言える、魔法陣による魔法発動だけに限定した模擬戦闘実習に臨むこととなった。
体操服に着替えた生徒たちが校庭に集う。もう見慣れた光景だが、まだ一部の女子生徒は恥じらいを覚えているらしい。
「模擬戦闘とは言いますが、前回のような決闘形式ではありません。裏山を使った遭遇戦……いわゆる山狩りを想定した実戦形式です。実力をなるべく近付けるため、前期実技試験で点数が近いもの同士でペアを組み、2人8組で2グループを作って頂きます」
そう言うと先生は革袋を取り出した。軽く振ると、水が入っているのかちゃぷちゃぷと音を立てている。
「これを急所と設定し、割れた生徒は脱落とします。各員、これを腰から吊るしたまま裏山を移動してください」
なるほど、これは結構厄介かもしれないわ。他の人が気付いているかはわからないけども。
「質問があります。筆記用具は何を持って行ってもいいのですか?」
私の質問に、先生は珍しく少し考えた。無理もない。この模擬戦闘は何でもありだと勝負にならない。もちろんだが、流石に禁断兵器を使うつもりは無い。私の狙いは別にある。
「いえ、羽根ペンとインクの入った瓶、そして魔法陣を書く紙やハンカチは持参を許可します。インクについては再補充出来ませんので、複数本持っていって構いません。ただし移動中にインク瓶同士がぶつかって割れる可能性がありますので、おすすめはしません」
「わかりました」
妥当な回答だが、これを聞いた生徒の大半が表情を固くした。インク瓶は魔法陣を書く上での生命線だ。あまり瓶自体の強度も高くないので、多くの生徒は皆インク瓶を守ろうとして慎重に動くことになるでしょう。
当然、私は対策を考えてあるので、インク瓶を守るような愚策は犯さない。要するにこれはブラフというか、ペテンだ。
ちなみにインクか、魔力で直接形成した文字以外で魔法陣を書いても魔法は発動しないので、木炭や鉛筆を使う意味はない。それが可能ならボールペンを危険視する理由にはならない。
これは今でも原因が不明で研究が進められている最中らしいが、一説によると魔力と親和性が高いのはあくまで液体であり、粉末を塗布しただけでは陣に魔力が乗らないからではないかとされている。だから地面に木の棒で書いても発動しないし、人間の体に流れる血液には魔力が宿るのだとか。
「では、今から発表する人とペアを組んで頂きます」
でも、流石にこれは想定していなかったわ。てっきり前期試験でペアを組んだカロリーヌさん辺りと組むかと思っていたのに――。
「…………ふん」
「……よ、よろしくお願いします」
まさか、ドロテさんとペアを組むことになるなんて。
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