すっごい怖い家
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雨は好きだ。雨は地表の汚れを洗い流し、あらゆる匂いを流し去ってくれてる。寒ければ寒いほど良い。体に力を入れて寒さに耐えている間は、どんな陰口でも痛みを感じないまま耐えられるから。
「セーレ!」
「セーレさん!!」
「殿下……カロリーヌさん……」
かけがえの無い大切な友人。私を理解してくれた人達。あなたたちのお陰で、やっと、私は私らしくなれたと思ったのに。
魔力が無い死体もどきと呼ばれても、公爵令嬢だったから貴方達と出会い、心通わせる事が出来たのに。
公爵令嬢であるが故に、自分の意志とは関係無く損なわれていくなんて。
「待ってくれ、セーレ!僕には君が必要なんだ!」
「セーレさん!早まらないで!まだ、まだ何か手があるはずです!」
「……殿下。両親に代わり、改めて宣言させて頂きます。殿下との――」
ごめんなさい。二人の強さに甘えたままで……弱さを克服できなくて、ごめんなさい。
「――殿下との婚約解消に、同意いたします」
雨は好きだ。頬が濡れている事を、悟られないで済むから。
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後期授業初日が大事件によって中断され、髪と服の一部が燃えてしまった私はそれらを整えるためにカロリーヌさんの家……すなわち、オフレ子爵家の屋敷に来ていた。
「ここが私の屋敷です。さあ、お二人共どうぞ」
カロリーヌさんのお屋敷は、流石に公爵家と比べれば小ぶりではあったもののとてもオシャレで、芸術性を見出だせるものだった。こう言ってはあれだけど、子爵になったばかりと言う割にはお金を掛けてそうに見える。
それを見て一目呻いたのは殿下だった。
「カロリーヌ嬢、このデザインはユベール工房の意匠を感じさせるが……」
「まあ、さすが殿下!見ただけでユベールさんのデザインとお分かりになるなんて!もしかしてお知り合いなのですか?」
「い、いや……ユベール工房と言えば上位貴族御用達のオーダーメイド専門工房だよ。大体伯爵位以上の富裕層が愛用するカバンや帽子と言った衣服や、儀式用の礼剣のデザインも彼によるものだ。一言で言えば天才デザイナーというやつだな」
それはすごい。私はあまりそういう事に詳しくない……というより興味が無いので工房名までは知らなかったけど、結構手広くやってるのね。その割には私の屋敷ではあまり見掛けないけれども……?
「よく彼が仕事を引き受けてくれましたね。彼は気難しく、大金を積むだけでは相手にされないと聞きましたが……」
「そうなのですか?入学に当たりペン立てを作ってくださいましたし、愛剣の鞘も作ってくださいました。とても親切でお優しい方ですよ?」
「ええ……?兄上の時は断固拒否していたのに……?」
殿下のお話と実際の姿に酷いギャップがあるわね。同一人物とは思えないわ。まあ、なんでもいいけども。
「殿下、そんなに気になるから今度御本人に聞けばよろしいですわ。それより、ご両親にご挨拶させてもらってもいいかしら?」
「わかりましたわ!」
首をひねり続ける殿下を無視して、私達は屋敷の扉を開いて中へ入った。
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部屋中がビリビリと音を立てて揺れている。完成された屋敷のデザインを損なわない程度に調度品が置かれたこの部屋は、今は魔獣を囲う檻に等しい緊張感で支配されていた。カチリ、カチリという秒針が刻まれる音が無遠慮に響き、却って私から余裕を奪い去る。手の中に握られた汗が、如何に自分が追い詰められているかを物語るようだった。
カロリーヌさんがお茶を淹れてくると退室した瞬間から、私と殿下はこの子爵の激しい殺気に襲われていた。熊のような体と、腰に下げられた大きなサーベルが、カロリーヌさんの父親であることを猛烈に否定している。ほ、本当に実父なのかしら……?
「我が家に何用ですかな?殿下。そして……セレスティーヌ・カヴァンナ公爵令嬢……」
この人、私の名前を!?あの日から私は、親からもセーレとしか呼ばれていないのに……!?
「驚く程のことでもない。かの名門カヴァンナ公爵家のご令嬢の本名を知らぬとあっては、失礼に当たるだろう……?」
「セレスティーヌが本名……?そ、そうなのか、セーレ?」
「……はい」
ガスパル・オフレ子爵……夫婦揃って文武ともに多大な貢献をしたとして、冒険者から一気に子爵へ成り上がったという異質な貴族。何故この人が王子ですら把握出来ていない事を知っているのだろう。子爵が調べて分かることでもあるまいに。
やはり、只者では無さそうね。カロリーヌさんの戦闘能力と殺気も、この人譲りということか……。
「それで……何故お二人は娘と友人になろうとしたのですかな?」
「な、なぜって……?」
「まさか我が家が持つ唯一無二の財宝を狙っての事ではありませんよね……?」
財宝……?
「あの、なんのお話かよくわかりません。財宝とは一体?」
殺気がさらに膨らみ、飾られていた花瓶の一部が倒れた。あまりにも殺気が強すぎて、ドレスの裏に隠し持っていたナイフを握りそうになってしまった。
「とぼけるおつもりですかな?宝と言えば知れたこと。私の――」
「こんにちは、皆さん」
直後、それだけで人を殺しかねないほどの殺気が一瞬で霧散した。よく見ると奥のドアの前に黒髪黒瞳の女性が立っている。い、いつの間に?子爵の圧がすごすぎて気付かなかったわ。
「はじめまして、カロリーヌの母で、スズカ・オフレと申します。スズカと呼んでくださいね?娘がいつも大変お世話になっております」
この人が、オフレ子爵の奥方!?確かにすごく似てるわ、髪色もそうだけど、胸の豊かさも!いや、しかし、それよりも……!
「わ、若い……!?」
くたびれた部分が一つもなく、カロリーヌさんのお姉さん、あるいは上級生と言われても納得してしまいそうだ。殿下が極めて小さな声で「こんなの犯罪だろ……」と呟くのを聞いて、思わず首を縦に振るところだった。
「ふふ、よく言われますわ。ところで、あなた」
しかしその直後、フワフワとした雰囲気が一変して、鋭い眼光でオフレ子爵を貫いた。あの子爵が怯えたような様子で体を小さくさせている。
「な、なんだ?」
「娘のお友達を試したらおしおきって、私言いましたよね?」
今度は凍えるような殺気が子爵に向けて放たれた。それは私が模擬戦闘で感じたものに似た、思わず体が反応してしまう力強く、鋭いものだった。
前言撤回。カロリーヌさんの殺気は間違いなく母親譲りだわ。
「た、試してなどいない!警戒してただけだ!ひょっとしたら愛らしいお前達を狙っての事かもしれないだろう!」
「娘と同じ歳の少年から誘惑されたところでどうもしませんよ、まったく……」
「え、えぇ……?それ僕のことですか……?」
つまり殺気を飛ばしていた相手は、殿下を馬の骨扱いしてたからってこと?家族愛が異様に強過ぎるわよ、この子爵……。
「私はカロリーヌの手伝いに戻りますけど、絶対にもう殺気を飛ばしたら駄目ですよ?」
「し、しかし」
「駄 目 で す よ?」
……すごく、怖い。カロリーヌさんもきっと怒ったらすごく怖いんでしょうね……気をつけよう……。
「……わ、わかった。もうしないから。早く戻ってやれ」
「わかればよろしい。では皆様、今しばらくお待ち下さいませ」
そう言うとオフレ夫人……スズカさんは、足音を立てずに退室していった。なんだか想像以上にすごい家ね、ここ。さっきから登場人物が全員濃くて、ちょっと胸やけがしそうなんだけど。
「大変失礼いたしました。あの娘に友人が二人も出来たと聞いて、しかもそれが公爵家のご令嬢と第三王子殿下とお聞きしたものですから、てっきり何か狙いがあるのかと……」
「い、いえ!カロリーヌさんとは本当に親しくさせて頂いてまして!お陰様で楽しく過ごさせて頂いてます」
「僕もです。カロリーヌ嬢が僕のことも友人だと思ってくれていると知って、とても嬉しく思います」
「ああ、そこまで娘を思ってくださっていたというのに、重ねて非礼をお詫び申し上げます。冒険者だった頃の文化がまだ抜け切らず、どうにも貴族が相手というだけで警戒してしまうのです。……娘もまだまだ貴族として勉強中の身ですので、広いお心で見守ってくださると幸いです」
こうして見てみると、困ったような笑い方はどこかフワフワしていて、カロリーヌさんに似てる気がするわ。……やっぱり、彼女はとても愛されて育ったのね。
「おまたせしました!我が家自家製のロイヤルベリーティーと、ベリーケーキです!オフレ家ではベリーが名産品なんですよ!どうぞご賞味下さい!」
カロリーヌさんが淹れてくれたお茶は、彼女の優しさを表すように柔らかなベリーの香りがした。うん、とても美味しい。何度でも飲みたくなる味だわ。
「それとお父様♪」
「うむ、なんだ?……ひっ!?」
カロリーヌさんの笑みに、模擬戦闘を思わせる冷たい瞳が合わさったことで、私は茶を噴き出すところだった。ちなみに殿下もむせこんでいる。
「後ほどここから流れ出た殺気について、説明して頂きます」
「……っ!?」
……ああ……すっっっごく、怖い……まるでご両親の殺気を足して割らないかのような圧だわ……。私達が帰った後、きっと修羅場ね……。
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