先生の本質
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「……いるんでしょう、先生。姿を見せてください」
僕は喧騒から少し離れて、庭園の端にある人影の少ないエリアに入った。木の陰からアシム先生が表れる。全く音も無く現れた先生からは、目の当たりにしてもわずかな気配しか感じられない。
「参りましたね。生徒に気付かれてしまうとは」
「セーレと違って、僕は探し物が苦手じゃないものでして。……単刀直入に言います。ローラ・サンジェに禁術を教えたのは、先生ですか」
柔らかな笑顔は微塵も動かない。つまり、あの笑顔は本物じゃないってことだ。
「違います。いけませんねぇ、ファブリス君。先生を疑っては」
「確かにその件については証拠もありませんし、否定して当然ですね。では質問を変えましょう。……何故、セーレが転倒した時、何もしなかったのですか?」
目元が僅かに動いたのが見えた。
「先生は非常に高い能力を持つ地属性魔法使いです。それはボロボロになった校庭を一瞬で直すことから明らかでしょう。なのに、あの20m往復走でセーレが転んだ時、先生は地属性魔法が使われた事に対して何も対応しなかった。……何故ですか?」
あれほど精密に魔力を繰れるということは、魔力に対して繊細な感性を持っているということに他ならない。先生程の実力者が、身体強化の魔法しか使われていないあの場面で、地属性魔法の発動に気付いていないはずがないのだ。だが、気付いていたのに無視した理由が分からない。
「答えてください、先生。僕はあまり出来の良い生徒ではないので、分からない事は聞かないと納得できないんです」
「……いえいえ、あなたは優秀ですよ、ファブリス君。そうですか、そこまで分かっていたとは驚きました。てっきり犯人を捕まえて満足するものと思っていましたのに」
先生の柔らかな笑顔が、恐ろしいと思ったのは初めてだ。この人は得体が知れない。セーレの実力を把握し、褒めるべきところは褒め、足りないところは指摘できる良い教師だ。生徒同士の交友関係にも関心を持っている。しかし、今僕は先生に対して冷や汗が止まらなかった。
「ファブリス君。弱肉強食って言葉は知っていますか?」
「……え、ええ」
「いい言葉ですよねぇ。弱者の犠牲の上に強者が立つ。この学園では出自の有利不利は関係なく、強い者が称賛され、弱い者は劣等生として扱うことが出来る。魔法が使えなくても、魔法以外の方法を使って弱者を潰せれば認められる。私はね、それを教師という立場から見届けたいだけなんです」
つまり、あえてあの場を生徒に任せ、自分は傍観していたということなのか。ただ強い者がどう生き残るかを見届けるために。
常に細められている目からは、先生の瞳の色すらも伺えない。それでも、嘲笑によって歪められているだろうことは容易に想像がついた。
「僕らは先生の遊び道具というわけですか」
「いいえ、大事な生徒です。セーレさんはいじめっ子を見事に撃退してくれました。素晴らしい成長だと思いますよ」
抜け抜けと……!
「ですが、腐った果実には退場して頂かなければなりません。腐った果実は排除しなければ、他の果実も腐ってしまいますからね。今回は私が動かずに済んで幸運でした」
「……僕は今回の件で先生を告発する気はありません。ただ、先生の真意が知りたかった。あと一つだけ聞きます。貴方は、僕やセーレの敵ですか?」
先生の笑みが大きくなる。出来の良い果実を見たような、満足そうな笑みだ。
「独裁国家を健全に運用するのに必要なものは、優秀な人物と健全な法、そして健全な税制だけです。学園ではその中の一つを見出し、育てることが出来る……実に有意義な場所だとは思いませんか。……優秀な貴方達の成長を心から楽しみにしていますよ、ファブリス君」
先生はそれだけ言うと、一瞬にして姿を消した。
……結局、あの人が敵かどうかは分からなかった。ただセーレを積極的に助けなかったということは、潰されるならそれまでだと見切りを付けていたと見て間違いないだろう。
しかしあの先生は、カロリーヌ嬢が身体強化を使えることを看破した時、生徒間の関係に配慮していた。ブレスレットを返してくれた時も、何か謀略を企んでいた様子もなく、善意しか感じ取れなかったのも事実だ。
……どれもが先生の本質なのだとしたら、あまりにも極端すぎる思想と感性の持ち主だ。……あの人にも警戒が必要だな。果たして僕らは無事に全員卒業できるのだろうか。
アンスラン王立学園の後期授業は、まだ始まったばかりだ。
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一旦ここで第一章完ということで、一休みさせて頂きます。お付き合い頂きありがとうございました。




