僕が君の魔法になるから
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起動状態のまま固定されてしまっていた魔封じの印を、先程床に落としたまま拾えずにいたナイフで切り裂いた。魔力制御権を取り戻したらしいドロテさんは、私が手の縄を切るよりも早く身体強化の魔法を発動させて、手を縛っていた紐を引きちぎった。これは殿下が使っていた、身体強化の魔法を一部の部位に特化させるやり方だ。あの模擬戦闘で見て覚えたのだとしたら、やはりこの人は相当出来る人に違いないわ。
「ドロテさん、肩を貸すわよ」
「触らないでください。……自分の治癒くらい、自分でやります」
せっかく助けてあげたというのに随分な態度だ。でも、逆の立場だとしたら私も素直に喜べないかもしれない。彼女の貴族嫌いは徹底しているから。
それにしても目覚ましい治癒力だ。殿下の治癒術よりも数段上らしいとは聞いていたけども、こんなに早く骨がつながって立ち歩けるようになるなんて。
「礼は言いませんよ。さっきも言ったけど、最初からカロリーヌ様辺りを呼んでてくだされば、もっと早く安全に片付いたと思いますから」
「それでいいわ。お礼を言われたくて助けた訳じゃないし」
「……じゃあなんで助けたんですか?」
……なんで助けたんだろう。なんとなくドロテさんが危ないと思った時、体が勝手に動いていた。
「やっぱり、助けたかったから……かしら?」
「そうですか。でも私は助けたくなりませんので、あしからず」
そう言って速やかに立ち去ろうとしたドロテさんだけど、何故かドアの前で立ち止まって、何かを考えるように俯いた。そして意を決したように私の方に近付くと、指を切った右手を手に取った。
「悪いけど、あなたの治癒魔法も私には通用しないわよ。対象に魔力が無いとあれは――」
「黙って見ててください」
彼女の言う通り切れていた箇所を見ていると、なんと少しずつ出血が止まり、薄い皮膚が張られ始めたではないか。これは……ほんのわずかにだけど、治っている!?
「ど、どうして!?」
「……っ、はあ……!はあ……!……生命力吸収の、逆ですよ」
逆!?生命力を譲渡したというの!?
「魔力と一緒に生命力を渡せば、治癒力も強まる気がしたんです。効率は最悪みたいですけど、上手くいって良かったですね」
何でもないかのように言っているが、これはかなり高度な……いや、普通なら考えられない応用技術だ。魔力そのものを相手にぶつけるだけではこんな結果にはならない。生命力吸収の魔法陣から主要な動作部分を書き換えたものを口頭で詠唱し、相手に接触するという離れ業が必要になる。
この手順を感覚だけで達成することは不可能だ。生命力吸収に対する理解と、実際に魔法を食らった経験が無いと成し得ない。それさえも解析にはある程度う期間が必要のはずであり、即興で成功させるなど机上の空論に過ぎないというのに。
「ドロテさん、あなたは本当にすごいわ……!この魔法一つで卒業資格がもらえるかもしれないわよ!?」
「これで貸し借り無しです。失礼します」
彼女は私の称賛を完全に無視した。生命力を譲渡して疲れているだろうに、不機嫌そうな態度を崩さないまま今度こそ歩き去っていく。いつもの慇懃無礼な態度よりもこちらの方が自然体に見えて、失礼なはずなのにとても好ましく思えた。これも私の心境が変化したからか、あるいは彼女も変化し続けているのか。
あの子とは友人になるよりも、競い合う仲でありたいわね。きっとお互いに高め合うことが出来るに違いないわ。
「……そうだった、あの人を回収しないと」
私は晴れやかな気持ちを一旦胸にしまって、馬鹿が待つ庭園に向けて走り出した。
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「う……ううっ……!!お、おのれ……!!私の体に、土を付けるなんて……!!」
教室の窓ガラスから何かが落ちてきたと思えば、僕が探していた二人の少女のうちの一人だった。セーレかカロリーヌ嬢辺りがやったのだろうか?
「大丈夫ですか?」
「殿下……!?ああ、殿下!お会いしとうございました……!こ、このような格好で相見えましたこと、お許しください……!」
引き攣った笑顔だ。まるで絶望の中に希望を見出したかのように。私にもまだツキは有る……考えていることと言えば、そんなところか。
「何があったか、教えて頂けませんか?」
「じ、実はドロテさんが体調を崩されていたので、空き教室で介抱していたところ、あの死……セーレ様が突然やってきて、私と彼女に対して暴力を!」
「彼女はなにか言っていましたか?」
「幼い頃の恨みを忘れたことはないと!私のことも死体もどきにしてやると言いました!そして殿下と同じ火属性の魔力を持っていることも許せないと!!殿下、あの者は婚約者として不適です!!どうかお考え直しください!!」
その一言で、僕は外向きの仮面を被り続けることが出来なくなった。酷く浅ましい嘘だ。どこまでもセーレを嵌め堕とそうとしている。だが、今までのそれとは意味合いが異なる。
今の彼女は生き延びることに必死なのだ。セーレへの仕打ちが僕にバレる前に、彼女を始末してしまうことに活路を見出している。嫌がらせをするためではなく、これしか方法が無いんだ。
そして今の醜い姿が、決して自分と無縁ではない事に僕は気付いてしまっている。
もしあの日の僕がセーレからの言葉にただ苛立って終わっていたとしたら。自分の言葉の危うさに気付かず、死体もどきが生意気なと彼女を追い詰めようと必死になっていたなら、食堂でセーレに婚約破棄を告げていたのは偽者ではなく、僕自身だったのではないのか。
この娘と僕は、どこか似ている。どこかでボタンを掛け違えただけで、きちんと彼女を導く誰かが周りに居れば、もしかしたら今頃カロリーヌの隣で笑っていたのは、この娘だったのではないのか。そして花壇で土にまみれているのも、僕だったのかもしれない。
すまない、ローラ・サンジェ。それでも僕は、君を裁かずにはいられない。君は僕よりも長く、重く、罪を重ね過ぎた。
「……君にセーレの苦しみを理解しろとは言わない。僕にその資格は無いからね。だが彼女の婚約者として、彼女に対して無実の罪を着せようとする君を、許すわけにはいかないんだ」
僕が怒り以上の感情を覚えていることにようやく気付いたのか、急激に顔色が青くなっていった。
「で、殿下!?私は被害者です!信じてください!!」
「いいや、君は加害者だ。罪を重ねすぎた君は、もう被害者ではいられないんだよ」
僕は愚かな女に対して、魔力解析の鑑定証を提示した。そこにはセーレが転ばされた時に使われた魔力の成分、使われた時間、そして誰のものであるかが事細かに記載されている。
「君のお友達だね?」
「……っ!?」
「先程口を割ったそうだ。地属性に適性がある彼女がセーレを転ばせ、マスクを作ったことは認めるが、この計画の主犯はあくまでローラ・サンジェであり、自分は計画通りに動くしかなかった被害者だとね」
「な、なんですって!?」
「僕に化けていた方も同じような口振りだったよ。幼い頃からセーレをイジメたくてやってきた訳ではない。弱小貴族でしかなかった自分は君に媚びるしかなかった。君さえ居なければセーレを傷付けようだなんて露ほども思わず、きっと今頃は友情を築いていただろうと」
「あ、あの方々は……!私に全て押し付けるつもりですの!?」
揃いも揃って被害者を語る。"仕方が無かった"、"そうするしかなかった"と、罪から逃れようとする人々は、皆口を揃えてそう言うのだ。先頭に立ってセーレを虐めていた彼女と、彼女をスケープゴートにして罪を軽くしようとする取り巻き達、一体どちらがより罪深いのだろう。
「きっと君にも、君なりの想いや事情があったのだとは思う。あの日、君とセーレは同じ会場で魔宝珠に触れたらしいね。大人たちが恐怖のあまり大騒ぎする中で、子供だった君達がそれをどういう目で見ていたのか……僕には想像することしか出来ない。きっと、とても怖かったのだろう。大人たちが怖がる目の先に居る、セーレのことが」
「殿下……!」
「そして何よりも、自分達の両親を怖がらせたセーレが憎かったんじゃないか。だから幼かった君は、最初は両親を守るために立ち上がっていた……違うかい?」
始まりの感情を今になって思い出したからか、それともそういう解釈があることにただ驚いたのか。目を見開いたまま固まった彼女が、何を思っているのかはわからない。これは僕の希望的観測に過ぎないのだ。それに今更言葉を重ねたところで、彼女達がしてきた事が無くなるわけでもない。
それでも、これだけは彼女に気付いてほしかったんだ。
「だけどね、ローラ・サンジェ。あの日、大人たちから銀の剣を向けられたのは君達じゃない。……セーレなんだ」
「……っ!!」
「彼女は今でも、銀の剣を見ると体が震えるらしいよ。時々悪夢を見るとも。君は……どうなんだい?」
セーレに残された心の傷。ローラに刻まれた負の記憶。どちらがより深刻かの問題ではない。誰にとっても、あれは辛い事故だった。事故だったんだよ、ローラ。
「で……殿下……!私は……ただあの女から……!!」
「……このハンカチは、君のものだよね?」
「あっ……!」
書かれている魔法は、生命力吸収。かつて魔王が無意識に使いこなしていたという禁忌の魔法だ。若返りの効果もあるとされていたため無断濫用されていた時期があり、だからこそ禁忌とされている。もちろん、魔法陣として許可なく所持することも。
「罪に対する罰は受けてもらう。……憲兵!!」
僕が大声で叫ぶと、陰でこちらの様子を伺っていた憲兵隊が取り囲んだ。
「その娘を逮捕しろ。禁術所持取締法違反の現行犯、ならびに学園の生徒に対する暴行を計画、実行した容疑でだ。平民を拉致監禁していた疑いもある、すぐに調べ給え」
「はっ!!」
無理やり立たされた彼女の目は暗く、はるか遠い過去を思い返しているように見えた。
「待てッ!!……縄で縛る必要は無い。自分の足で歩かせてやってくれ」
数名の憲兵に囲まれて歩き出した彼女は、その後最後まで何も口にせず、俯いたまま搬送されていった。彼女が反省の意思を見せれば、学生でもあるわけだし多少情状を汲まれるかもしれないが……王族に変装させた罪があまりにも重すぎる。
当然、彼女たちは一族郎党罪に問われるだろうし、爵位の没収は免れまい。死罪にならなければ良い方だと考えるべきだろう。
何がきっかけだったにせよ、あまりにも虚しい結果だ。誰も幸せになっていない、ただマイナスがゼロになっただけ。いや、むしろ傷口を拡げたんじゃないのか。
誰もいなくなった庭園には、ボロボロになった花壇と割れたガラス、現場保存に動く憲兵、そして強い疲労感を覚えた僕だけが残されていた。
「セーレ……こんなことで本当に、僕は君の役に立てているだろうか……?」
「もちろんですよ、殿下」
「うわっ!?」
いつの間にか後ろにいたセーレは、僕の驚く顔を見てニマニマと笑っていた。
「ふふふっ、いつかのお返しですわ」
「全く、人が悪いですね貴方も。……髪の毛、どうしたんですか」
セーレの髪と服が一部焼け焦げている。僕は自分の上着を脱いで彼女に掛けた。
「ええ、ちょっと火遊びをしている子を叱ったら、貰ってしまいました。後で整えないといけませんわね」
「それは災難でしたね。今日はもう授業は無いでしょうから、後で馬車で屋敷までお送りしますよ。……セーレ、その前に少し、時間を頂いてもいいでしょうか」
庭園のベンチに二人並んで腰掛けると、騒ぎを駆けつけた生徒達がぞろぞろと集まりだした。先生たちも、後追いの憲兵隊とともに現場を保存しようとしていて、やや混乱しつつある。今なら何を話しても聞かれないだろう。
まず僕は彼女達のイジメ行為について証拠集めをしていたこと、そして今日の行き過ぎた行為によって3人とも逮捕されたことを伝えた。
「そうでしたのね……御手を煩わせてしまいましたわ」
「いや……ここまで酷い結果になるとは思いませんでした。君の様子を見るに、ローラには放火未遂の容疑も加わってしまいそうですし」
きっかけに対する結果が、あまりにも重い。重すぎる。だが捕まえた以上、僕達にできる事はもうあまり無い。過去の判例に基づいた、適切な処罰が下ることを祈るのみだ。
「証言台には立たせて頂きますわ」
「ええ、お願いします。それと……もう一つ、あなたに謝らなければならないことがあります」
僕は彼女の方を少し向いて、頭を下げた。
「……セーレ。大変申し訳ありませんでした」
「殿下?」
「貴方と初めて会った時、僕は随分酷いことを言いましたね。実はずっと、あの日のことを後悔していたんです」
「……っ」
「あの時の僕は、貴族としての責任の重さを自覚させられながら、政務と鍛錬を延々と繰り返す灰色の毎日を送っていました。言い訳にもなりませんが、婚約もまた政務の一つくらいにしか思っていなかったんです」
絢爛な王城の中にいながら、心から友と言える人間もいなかった。ただ人々の上に立つ立場に生まれたなら、どんなに辛い毎日でも平民よりはマシだと信じて過ごしていた。守るべき魔力不能者を見下し、生きていけるように助けられるのは僕達だけだと、本気で信じていた。
「ですが、大人達から死体もどきと呼ばれていた貴方と出会ってから気付かされました。心臓を動かすのも、瞬きをするのも、誰かのために戦うことも、詠唱しなきゃ出来ないことではない。魔法はただの道具でしかないのだと、貴方と共に過ごしてよくわかりました」
彼女が得意とする、環境を利用しての戦いがまさにそうだ。どんなに不利な状況でも、勝つための手段を見出す力。自分に足りないものを嘆くのではなく、最後まで諦めずに戦うこと。先生の言う通り、それこそが彼女が持つ魔法なのだろう。
……そうか。そういうことか。君のことが気になって仕方がない理由が、今になってわかったよ。
僕は、必死になって頑張る君の姿を見て、知らない内に恋をしていたんだね。
「セーレ。僕は君をすごく傷つけたと思う。だから僕を許してくれだなんて言えない。でも、これからは僕も一緒に傷付くことを許してもらえないか。君が魔法を使いたい時は、必ず僕が傍にいて、代わりに使うと約束する。君に出来ないことがあれば、僕に出来ることで叶えるから……僕という存在を、君の魔法にしてくれないだろうか」
「……っ、ふっ……くっ……!」
……セーレの肩が震えている。もしかして、泣かせてしまったのだろうか?…………いやまて。おい、まさか。
わ、笑っている!?腹を抱えているぞ!?
「ぷ……くふっ、あっははは!殿下ったら、そんなことで前期中ずっと悩まれていたのですか!?もしかして私に内緒で証拠集めをしてたのも贖罪のつもりで!?はははは!!」
「な、何がおかしいんだ!!僕はこれでも真剣にだな!?」
「真面目過ぎますわ!想像以上ですわよ、殿下!はははははっ!」
「わ、笑うな!」
くそ!こっちは心臓が破裂しそうなくらい覚悟決めて話したってのに!!まさかここまで爆笑されるとは!!
「はぁー……怒ってませんわよ」
「……何が」
「殿下にあの日言われたこと、私は怒ってません。あの時は私もついムキになって言い返しましたけど、からかい甲斐のある人だなって思ったくらいで、全然気にしてませんよ。もうっ、気にしてたならすぐに言ってくださればよかったのに」
「……すまない。なんとなく、言い出せなかった」
「私もずっと話しかけにくい空気を作ってましたし、お互い様ですわ。これからはもう少し、お互いに歩み寄りましょうね?」
ニコニコと笑いながら話す彼女に、胸がさらに痛くなった。胸の痞えが取れさえすれば、もっと楽な気持ちでセーレと話せると思ったのに、まさかもっと苦しくなるなんて。
久しぶりに見るセーレは、最後に見た時よりもずっと可愛らしくなっていた。凍てついていた物が溶けたような、彼女を縛っていた物が解けたような……きっと彼女もまた、僕と同じで変わり続けているのだろう。
……伝えよう。僕の気持ちを、君に。
「セーレ。僕は君を――」
「セーレさーーーん!!殿下ーーー!!」
「あら、カロリーヌさん!ごめんなさい、ずっと探させちゃってたかしら!?」
まさにその時、やけにふわふわした印象の元気な声が私達の耳に飛び込んできた。カロリーヌ嬢……君って人は、なかなかになかなかの人だね……。
「無事で良かったで……きゃああああー!?か、髪!!どうしたんですか!?」
「ああ、これ?さっきちょっと焼けちゃったのよね」
「や、や、焼けちゃったって!?じゃ、じゃあ私の家に来てください!!すごく腕の良い元理容師さんがいます、すぐに直しに行きましょう!!」
「ちょ、ちょっと!?わかった、わかったわよ、引っ張らないで!あ、殿下も行きますか!?」
……まあ、いいか。しばらくはこの関係でいるのも悪くない。セーレと、その友人と、ちょっと親しい婚約者。もう少しだけ、この関係を楽しもう。
「うん、僕の馬車を使いましょう。カロリーヌ嬢、二人で先に乗っててもらえませんか。僕はもうちょっとだけ憲兵に話がありますから」
「わかりました!さ、行きましょうセーレさん!」
「ありがとうございます、殿下!……あ、殿下!」
ん?
「敬語じゃない殿下も、素敵ですよ!もう私には敬語外してくださいね!」
……敵わないな、本当に。
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