借り物の魔力
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激痛で視界が霞む中でも、あれが誰なのかはすぐにわかった。魔力で満たされた学園で、あいつがいる空間だけがぽっかりと穴が空いたように魔力を感じとれないからだ。
「ドロテさん、怪我をしているの!?……貴方、なんてことを!」
「チッ……あの子達ったら、演技が下手過ぎたのね。もう少しあなたを意気消沈させているものと期待したのに、役に立ちませんこと」
自分の仲間に対して役立たずと吐き捨てる姿に、激痛を覚えた以上の吐き気を催した。
こいつはもう、貴族扱いすることすら躊躇われるわ……!
「動くな。この平民がどうなってもいいの?」
「ぐっ!?ああああッ!?」
そのどうしようもない女は、倒れている私の脚を無造作に踏みつけた。折れているであろう部分に荷重がかかり、もはやまともに考えることも出来ずに絶叫する。
「ドロテさん!!」
「武器を捨てなさい。持っているなら魔法陣もね。どうせあなたには使えないでしょうけど、何かあっても面倒だから」
わ、私を人質にするつもり!?こいつ、どこまで馬鹿なの!?
「す……救えない人ね……!」
「はい?」
「相手は公爵令嬢よ……!?なんの人脈も、財産も持たない平民が、盾になる訳がッ!?」
踏みつける部分にさらに体重が乗ったのを感じた。す、好き勝手やってくれる……!!
「お黙り。あなたの価値を決めるのは、私とそこの死体もどきよ。で?どうするのよ、公爵令嬢様?哀れな平民が一人苦しんでますわよ?」
よし、でも上手く掛かった……!これであいつを逃がす口実が出来たわ!この馬鹿は私を人質だと思ってるけど、実際は逆よ!私がいないとこいつには後がない!私を殺した時点で、あの女と学園が容赦する理由は無くなるのだから!!
そして一番困るのは、ここであいつが逃げることよ!そうやって逃げながら応援を呼べば、この馬鹿を大勢で取り囲めるんだもの!!いや、あの凶悪な子爵令嬢を一人連れてくるだけでもいい!!この馬鹿があの剣士に勝てる未来はない!!
「セーレ様!私の事はどうなっても構いませんから、早く逃げてください!!」
思わず嗤いそうになるのを堪えて、渾身の演技で叫んだ。勝利を確信して、私は一瞬激痛を忘れた。……それなのに。
「……これで全部よ。さあ、ドロテさんから足をどけなさい」
なんとあいつは逃げもせず、かと言って有利な状況で戦うことも選ばず、本当に隠していたナイフと、魔法陣が書かれた紙を捨ててしまった。床に落ちた魔法陣には、捕縛魔法や治癒魔法も含まれている。確かにあいつには使えないかもしれないけども、馬鹿正直に捨てる馬鹿がどこにいる!?
なんてやつなの……!?こいつら貴族は、どこまで平民の期待を裏切るつもりなんだ!?
「ふふっ、いい子ね。さあ、手を上げたままゆっくりと近付いてらっしゃい」
そう言って、馬鹿はあの不細工な魔法陣が描かれたハンカチを取り出し、あいつに向けた。
「あなたなら、これがどういう魔法陣かは理解できるでしょう?」
「……生命力吸収ね。対象の魔力と生命力を吸収して、一気に衰弱させる事ができる無属性の禁術だわ。使い続ければ相手を絶命させうるから、学園では使用を禁じられているはずよ」
「ご明察。でもそれは証拠が残っていればの話。私の適性は炎ですもの。使った後でハンカチごと灰も残さず燃やしてしまえば、証拠など残らないわ」
すぅとあいつの目が細くなった。この馬鹿の言う通りなら、確かに物的証拠は残らない。だけど、本当にそれで証拠を隠滅したことになるのか?私にはわからないが、あいつにはわかるのか。
「生命力を失って死んだ場合、心臓発作とほぼ同じ症例になるのよ。あなたなら知ってるでしょうけどねぇ?」
「ええ、そうね。そして生命力吸収の発動条件は、魔法陣との接触よ。……約束しなさい。それに触れたら、ドロテさんを解放すると」
「ええ……必ず解放して差し上げますわ……」
そう言って、あいつはゆっくりとこちらに近付いてくる。さっきのやり取りといい、所詮こいつも馬鹿の一人だったのか……!こいつが死ねば、目撃者である私も同じ方法で殺されるに決まってる!
まずい……!触れる!!
「駄目よ!!さっさと離れなさい!!」
私を踏む方の令嬢が、会心の笑みを浮かべた。
「ば……馬鹿な……!?どうして……!?」
魔法陣が起動しない。いや、光っているのだから起動はしている。その魔法陣に完全に触れているのに、あの女は平然と嘲笑っていた。
「馬鹿ね、貴方がいつも言っていることよ」
魔法陣を掴む手を逆に掴み返したあいつは――。
「死体から生命力を吸えるわけがないでしょう?」
――両足で思いっきり、馬鹿の腹部を蹴り飛ばした。
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私の全体重を乗せた両足蹴りをモロに食らったローラは、身体強化で腹筋を固める余裕も無く吹き飛んだ。壁際に当たった彼女は呼吸困難に陥ったらしく、悶絶している。しばらくは動けないだろう。
「約束を守ってくれてありがとう。……ドロテさん、大丈夫?」
唖然としているドロテさんは、私に気付くと強い敵意を見せてきた。
「なんで逃げなかったんですか!?カロリーヌさんでも誰でもいいから、助けを求めればもっと確実に事が進んだでしょうに!!こんなリスクを冒して何を考えているのですか!?」
言われて私もハッとなった。そうよね、相手が持ってるカードはドロテさんだけなんだもの。見つかった時点で詰んでたんだわ。
だけど、何故かあの時は自分が助けなきゃいけないと思ったのよね。……あれ、でもなんで急いだんだっけ?
「……わからないわ」
「はあ!?」
「あなたをすぐに助けたかった……から?」
我ながら間抜けすぎる答えだわ。ドロテさんまで愕然としちゃってる……。
「ふ……ふふふ……」
お互いの無事を確認し終わったところで、元イジメっ子が起き上がった。まだ辛いだろうに、意外と根性があるわね。
「どうやら、いつの間にか本物の怪物になっていたようね……!生命力すら無いなんて……!」
「違うわ。これはあなたの勉強不足の結果よ」
「なにっ!?」
「生命力吸収が吸うのは魔力と生命力。でも厳密には少し違うのよ。あれは魔力を吸い上げた時に、それと結びつく生命力も一緒に吸い上げる仕組みなの。だから私みたいに魔力が初めから無い人間や、魔力を使いきった人間には効果がないのよ」
「そ、そんな……!?」
ドロテさんも知らなかったみたいだけども、実はそうなのだ。かつて歴代最後の魔王に恋した魔道士が、抱擁を交わすために空に向けて全魔力を放った伝説が残っている。
まあ、まさか私が実践することになるとは思わなかったけど。
「今の物音で、他の生徒たちも集まってくるかもしれないわね。あなたはもう終わりよ。今すぐに武装を解いて――」
「だったら、私の炎で直接火葬してやるわ!!覚悟しなさい、死体もどき!!」
ついに追い詰められてヤケになったのか、彼女は身体強化を全身に掛けて私に襲いかかってきた。その両腕は炎に包まれている。
炎属性付与……対象に強力な炎耐性を付与した上で魔力を纏わせ、炎上させる魔法だ。確かにあれなら詠唱魔法を連射するよりも継戦能力があるし、魔力消費も最小限で済む。教室や洞窟のような閉所で敵を始末するなら最適解の一つだ。もちろん、相手の魔力に依存しない破壊魔法だから私にも有効打となりうる。
惜しいわね。そのセンス、ちゃんと真面目に磨けばもっと輝けたはずなのに。
ドロテさんから距離を離した私は、教室の中でローラの猛攻に徒手で対抗した。もちろん素手でのガードは不可能なので、落ちている椅子を投げたり、机を間に置いたり、ギリギリのタイミングで躱すしかない。使える道具が無くなった時点で私の死は確定するだろう。
「あっははははは!熱いでしょう!?痛いでしょう!?魔力の有無に関係なく、炎で焼かれれば人は死ぬものねぇ!!」
「ええ、そうね」
私は壁際に沿って動きつつ、机や椅子を間に挟むことで彼女の行動を抑制した。そして彼女がモタモタしている内に指の一部を噛み切り、ハンカチを取り出すと血文字で即席の魔法陣を書く。指と血ではあまり複雑な魔法陣は書けないが、やむを得ない。
「無様ね!なんて必死なのかしら!?貴方も貴族なら潔く遺書でも書きなさいな!!そんな歪んだ魔法陣でまともな魔法が使えまして!?」
「お生憎様。あなた如きにまともな魔法なんて必要ないわ」
「強がりを!!どうせあなたに起動できるわけがないわ!!それともあの時みたいに、そこで転がってる平民の魔力を借りるつもり?魔封じがされているのに?やれるものならやってみなさいな!!」
興奮したまま笑う彼女に対して、私もシニカルな笑いを返した。
「ええ、また借りるのよ」
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身体強化の魔法は、強力だが場所を選ぶ。校庭のように広い場所なら無類の威力を発揮するけど、教室みたいに狭い場所で使っても筋力を持て余すだけだ。事実あの馬鹿は全身を身体強化したせいで、壁や天井、机が邪魔をして却って行動が制限されてしまっている。いちいち机や椅子が吹き飛ぶので見た目は派手だが、殿下のように腕だけに集中させるような器用さが無くては、ここで身体強化を活かすことはできないだろう。
おまけに戦闘慣れしていないせいで、動きも大雑把で隙だらけだ。いくらあいつが相手とはいえ、未だにまともな手傷を負わせることが出来ていないことに、あの馬鹿の未熟さが表れている。二人がかりなら負ける道理は無い。魔封じの陣によって見ているしかできない事が歯痒かった。
だがいくら隙だらけとはいえ、身体強化を一切使えないあいつにとっては全ての攻撃が致命傷になりうる。そのはずなのだが。
「ええ、また借りるのよ」
そう嗤うあいつの顔を見て、私は気付いてしまった。あいつはこの戦い、勝てると確信している。そして、誰の魔力を借りようとしているのかも。
あいつが使ったハンカチは、かつて私に対して白旗の代わりに使おうとしたものだ。そしてそのハンカチに書かれた血文字の魔法は……魔法衝撃。魔力適性を問わず、魔力そのものを一気に放出して対象を吹き飛ばす、主に緊急避難用の魔法だ。
その魔法陣に書かれていた指定威力は、最大。
そして指定方角は――発動者自身。
隙だらけの馬鹿の腹に、あいつは拳に巻き付けたハンカチごと一撃を見舞った。燃える両腕によって髪や服の一部が焦げたのに、あいつは気にした様子もない
「ぐふっ!?……そ、そんなもので倒れるものですか!!焼きながら抱き締めてや――!?」
「言ったでしょう?魔力を借りると」
あいつの魔法陣が光ったことで、ようやくそれの意味するところが分かったのだろう。でも、気付くのが遅すぎるというものだ。
「ひっ!?や、やめ――」
馬鹿の断末魔は最後まで聞こえなかった。彼女は轟音とともに腹に魔法衝撃を食らい、窓ガラスを突き破って外に落下していく。ここは2階だし、確か花壇があるはずなので、よほど当たり所が悪くない限り死ぬことは無いだろう。
「……良い魔力だったわね。ちゃんと使ってれば、私なんかに負けはしなかったでしょうに」
勝利したはずのあいつは、何故か苦渋の表情を浮かべていた。
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