貴族の面子と平民の矜持
--------
「お二人ともすみません、遅くなりました。昨日になって急に政務が追加されたもので。ですが、犯行の証拠となる魔力検証は完全に終わりました。もう、彼女達は終わりです」
「え、証拠……とは?」
「ああそうか、そこからですよね……ですが、まずはこの二人の始末から付けませんと」
「ひぃ!?」
そう言うと殿下は、殿下の顔をした何者かの上着を剥いだ。そして一瞬だけ顔をしかめると、テーブルに乗っていた花瓶を掴み、水を浴びせかける。
「で、殿下!?」
「お二人とも、よく見てください」
殿下に言われるままに水を浴びせた部分を見ると、うっすらと花柄の何かが透けて見えていた。
「…え!?」
「これは……女性物の下着!?」
「いくら顔を上手く作ろうと、所詮は貴族令嬢という事です。人を騙す時でさえも自分を捨てきれない。そんな中途半端な覚悟で王族に成り切ろうなどと……片腹痛いッ!」
そう叫ぶと、殿下はもう一人の殿下の顔をした何者かの顎の下あたりを掴み、一気に引きちぎった。顔面の皮膚を破り捨てるかのような蛮行に周囲が騒然とするが、その下から現れたのは皮膚を失った筋肉ではなかった。
「あ……ああっ……!み、見ないで!見ないでください!!」
「こ、この人は……!?庭園で私を囲んだ人の一人です!」
そしてその昔、私を虐めていた女子生徒の一人……3人の中で一番身長の高い女だった。どうやら粘土のようなものを魔術的に錬成して、殿下そっくりに作り上げて被っていたらしい。
「そんな……!!じゃあ、ドロテさんとあいつらは、手を組んでいたというのですか!?」
「これはドロテ嬢ではありませんよ」
「……くっ!」
殿下はドロテさんに近付くと、先程と同じように顔面を引きちぎった。その下から現れたのは細く吊り上がった目。多少ドロテさんを彷彿とさせなくもないが、彼女らしいプライドの高さよりも、どこか底意地の悪さを感じさせた。
「わ、私のサンドイッチを投げ捨てた人……!?」
そしてこいつも、昔のいじめっ子だった。
「体力測定でセーレが転倒した、20m往復走。あの時、転んだあなたの足元が不自然に盛り上がっていたことを教えてくれた女子生徒がいました。……その生徒の名前は、ドロテ・バルテル。情報提供者である彼女は、共犯者ではありません」
「で、でも、あの人はセーレさんを目の敵にして……」
「ええ、むしろ僕は彼女こそが主犯ではないかと思っていました。セーレを挑発して勝負を仕掛けてきたのは彼女でしたからね。ですが、あの人は告発してきた時――」
『……貴重な情報をありがとうございます。証言だけではその者たちを裁けないので、証拠を集めた上で断罪させていただきます。ただし、念のためドロテ嬢の魔力も採取させてください。あなたが共犯ではないとは限らないですから』
『……殿下。貴族という生物は、どこまで醜くなれるのですか?』
『どういう意味でしょうか。私は別にあなたが平民だから疑っているわけでは――』
『あの女どもは平民から搾取するだけでなく、同じ貴族からも搾取して、それが当然の権利であるかのように笑っています。私には彼女たちが同じ人間だとは思えません。教えてください殿下。貴族とは一体何なのですか?どうして彼女たちは、あれで自分たちの正義を疑わずにいられるのですか?……貴族の頂点に立つあなたでも答えられませんか?』
『ドロテ嬢、もしやあなたは……』
『……今回だけです。今回だけは、学園に紛れ込んだ害虫の駆除に協力します。でも、もし殿下とセーレ様が少しでも害虫に共感し、道を同じくすることがあれば――』
「――その時に僕達を駆除するのは、自分の役目になるだろうと。彼女はそう言っていました。あれほど貴族を憎んでいる彼女が、あの令嬢達に協力するなどあり得ません」
そういう事だったのね……でも、だとしたら!
「セーレ!?どこへ行くんです!?」
「ドロテさんが危ない!!手分けして探してください!!まだ校内にいるはずです!」
--------
バカ貴族どもに制圧された私は、後ろに手を縛られた状態で空き教室に転がされていた。身体強化の魔法と、火炎の魔法で縛っている紐を切ろうとしたけど、魔法が発動しなくてびくともしない。
「ふふ、まだ抗う元気が残っていますのね。さすがは特待生様ですわ」
魔封じの陣と生命力吸収が書かれたハンカチ……まさか、そんなものを持ち歩いているとは思わなかった。生命力吸収の方は見本を見ながら見様見真似で書いたのね。あいつのと違ってひどく汚い魔法陣だわ。
それにしても、馬鹿は無駄に行動力があるから困る。私が言うことを聞かないからと言って、無理やり監禁しようとするなんて。
『さあ、ドロテさん。あなたの手で、死体もどきの人生を終わらせてやりなさいな』
『嫌です。お断りします』
『なんですって……!?』
『私はセーレ様が負ける姿を見たいのではありません。負けを認める姿を自らの手で勝ち取りたいのです。そのようなセコイ謀略で泣き顔を見たいと思われるのは心外ですね』
『セコイ謀略……!?私の計画がセコいというの!?』
『第一そんな杜撰な計画が上手くいくはずも無いでしょう?あの人がその程度の嫌がらせで心折れるほど、良い性格をしているとお思いですか?体力測定の時もそうですが、あまりにも浅はかです。尊き血をお持ちなら、もっとよく考えてから行動なさっては如何ですか?』
『……平民のくせに、貴族よりも利口だとでも言いたいの!?思い上がりも甚だしいわ!あなたたち、この不埒物を縛り上げなさい!!』
『っ!?魔法が出ない!?ち、力が、抜ける……!やだ、離して!離しなさいよ!!』
「口だけは達者みたいだけど、やはりあなたは平民ということね。目上に対する態度を誤るからこうなるのよ」
ふん、目上ね……。目上なら目上らしく、目下の人々を守護して頂きたいものだ。
「今頃は私の友人たちが殿下とあなたの姿で、あの生意気な死体もどきを断罪している頃よ。いい気味だわ。あなたはその後でちゃんと解放して差し上げるわね。今後も可愛がって欲しかったらちゃんと卒業まで被害者面を続けるのよ?貴方自身のためにもね……」
勝手に私の顔を使いやがって……!如何にも貴族らしい発想だ……人を陥れる時ですら自分の手を汚さず、隠れて遠くから成し遂げようとする!
「……どうしてそこまであの人を毛嫌いするんですか。魔力が無いことが、そんなに気に入りませんか?」
「あなたに話す理由なんて無いけども、いいわ。時間つぶしに話してあげる。……あの女が、魔宝珠ミロワールクリスタルを輝かせなかった時、私はあの場にいたのよ」
--------
「ローラ・サンジェ。さあ、その水晶に手をかざしなさい」
「はいっ!……わあ、きれい!」
あの日、私が得た適性は火属性だった。一際強く輝いたのを見た両親は、私のことをとても褒めてくれたのよ。きっとお前は立派な魔道士になれるって、いっぱい褒めてくれたの。……なのに、あいつが……!!
「きゃああああーー!!!」
あいつが魔宝珠を光らせなかったことで、全てを狂わされたのよ!!
あいつが魔宝珠を光らせなかった翌日に、カヴァンナ公爵から参加者全員に箝口令に近い連絡が入ったわ。魔宝珠を光らせなかった子供の詳細は公式には発表しない、各貴族もそのつもりでいるようにとね。公爵としては、娘が魔法不能者であることを発表するタイミングをずらそうとしたのでしょうね。でもそのせいで当然、あの場にいた子供達全員が魔法不能者の疑いである可能性を疑われることになったのよ。
お茶会を開くたびに、一歳違いの子供達から「魔法不能者って君のことじゃないよね」と確認される屈辱は、平民のあなたには分からないでしょうね。
私達はあの日以来、セーレと名乗るようになった奴を毎日のように責め立てたわ。大人たちが陰で言っていたことを全部、私達が代わりに言ってやったのよ!死体もどき!無能者!魔法不能者ってね!そしたらあいつは、最初こそ泣きべそをかいていたのに、そのうち何を言っても反応しなくなった……!
諸悪の根源なのに、まるで自分が被害者であるような態度をとるあの女が憎かった……!
私達は悪くない。なのに今度は大人たちが私達を責め始めたのよ。公爵令嬢に対してなんという振る舞いだって。ひどい理不尽だとは思わない?魔宝珠を光らせなかったのは私達じゃない、あの女よ。それなのに、事実を指摘しただけで大人たちは私達を責めたのよ!!死体もどきと最初に言い出したのも大人たちだったのに!!
そして婚約者を得る年頃になっても、私達全員が上手く婚約を結べなかった。何故だかわかる?
私達が魔法不能者を差別してるって噂が流れていたのよ。皆、私達に会うたびに聞いてくるの。魔法不能者のことがお嫌いですか?ってね。
私達は魔力不能者を差別していない。私達に恥辱を与えたあの女を制裁していただけなのに。
--------
「ドロテさんにわかるかしら?あのセーレ・カヴァンナとかいう死体もどきには、無限の負債があるのよ。あれが生きている限り、私達はまともな道を歩めない。私達の方はまともに生まれたはずなのに、まともじゃないあいつのせいで歪められてきたのよ。だから、あいつは本物の死体にならなくてはいけないの。出来るだけ苦しめて絶望させた上で、あの女が息の根を止めた時、初めて私達は人生を再出発できるのよ」
私は開いた口が塞がらなかった。何を言っているんだ、この人は。無限の負債?恥辱??まともな人生???
「くっ……ふふふふっ……あーっははははは!!あっはははははは!!」
嗤いを堪えることなど不可能だ。
「何がおかしいのよ!!」
「笑うなって言う方が無理よ!人を拉致監禁しておいてどれだけ立派な理由があるのかと思えば!幼い頃に晴れの舞台を台無しにされた腹いせに、今も八つ当たりしてるってわけ?本当にあなた達貴族はどうかしてる!そんなんだからあんたはまともな道を歩めないのよ!」
「なんですって!?」
「そもそも魔力が無いことを嗤う資格が、あんたらにあるわけ?」
私は体を起こし、座ったまま目の前のバカ令嬢を睨みつけた。ここに居ないあいつの肩を持つつもりはないが、この馬鹿はあいつよりも遥かに救いがたい。平民の私が身の程を教えてやる。
「魔力が無いからなんだというの?あいつが成績トップだったのは魔力が無いから?あいつが強いのは魔力が無いからなの?綺麗な魔法陣を書くのに魔力が関係あるというわけ?違うわ、全部あいつが努力した成果よ!!あいつが最初から手にしていたのは公爵令嬢の地位だけで、学園で手に入れたものは全てあいつが自らの努力で勝ち取ったものだわ!!あんたら雑魚令嬢が輝けないのは、あんたらの努力が足りないからよ!!」
「何!?こ、この……!!」
「たまたま貴族に生まれただけのくせに偉ぶるんじゃないわよ!!そんなことは死体でも出来るわ!!死体と同じことしかできないくせに、よくもあいつを死体もどきと嗤えたわね!?恥を知りなさいよ!!」
「平民風情が調子にのらないで頂戴!!」
「がふっ!?」
床を寝そべる私の腹が思い切り蹴飛ばされた。身体強化の魔法を封じられているせいか、数本の骨が折れた気がする。だけど、それだけだ。まともに鍛錬も積んでない女の蹴りなんて、何度喰らっても平気だ……!!
「下賤な血が流れるあなたにはわからないでしょうね!貴族にとって、メンツというものがどれほど大事なものか!あの女がまともなら、私達がこんなに苦労することは無かった!全部あの女が生まれたせいよ!そんな簡単な道理がわからないなんてね!」
「……わかってないのは……あんたよっ!!」
口の中に鉄臭が充満した。内臓が傷付いて出血したのかもしれない。
だけど、聞き捨てならないわ……あんたが苦労を語るの……!?
「あんたは銀貨一枚で冬を越したことがあるの……!?氷が張るような朝に手で洗濯をしたことは!?パンも肉も無い食事で一週間飢え続けたことはある!?暖炉の側でスパイスワインを飲みながら寒さを凌ぐあんたらには想像もできないでしょうね!!あんたらの苦労なんて知れているわ!!何が苦労よ!!平民の苦労もまともに知らないあんたが言っていい台詞じゃないわ!!」
体に力が漲る。魔力とは関係ない、私自身の怒りと意思が、私から痛みを捨て去っていく。
「あんたと比べればあいつの方がまだマシよ!!少なくとも学園で一番勉学に励んでるし、相手が誰であろうと勝負には全力で臨んでいるのだから!!だからこそ私はあいつに勝たなきゃいけないのよ!!平民でも貴族に勝てることを証明するためには、あいつとの戦いが必要なの!!あんたみたいな雑魚に構っている時間なんて無いわ!!分かったらさっさと私を解放しなさい!!」
「言わせておけば!!」
「っ!?〜〜ッ!!」
下手くそな身体強化を使った蹴りが、私の脚を直撃した。太い骨が折れたような、ボキリという鈍い音と共に激痛が襲い掛かる。あまりの痛みに吐き気すら覚えた。
「気が変わったわ。あなたはもう解放してあげない。魔封じの印を体に直接焼き入れて、喉を潰してから裸のままスラム街に投げ込んであげる。家無しの浮浪者どもにとってはこれ以上無いごちそうになるでしょうねぇ」
「っ……あんたって人は……どこまで……!?」
「先生には、生活費が尽きたから娼婦に堕ちたって説明しておいてあげるわ。特待生とは言え、免除されるのは授業に関するお金と食堂の食事だけ……どうせ私生活は困窮してるんでしょうし、説得力もあるというものでしょう?」
ふざけるな……!私にはまだやらなきゃいけないことがあるんだ!こんな糞みたいな貴族を一掃して、清潔な国を作らなきゃいけないんだ!!お父さんとお母さんみたいな人が泣かないで済む世の中を!!
「さて、とりあえず先に印だけでも刻んでおきましょうか。焼きごてが無いから、私の炎で直接焼き入れてあげるわね。私、あんまり魔法陣を書くのって得意じゃないから何度も描きなおすでしょうけど……我慢してね?」
くそ……!!くそぉ……!!
薄汚い手が私に触れそうになった時、教室のドアががたがたと動き、開かないと分かったのか一気に蹴破られた。暗かった部屋に、蹴破られた個所から光が差し込む。逆光でよく見えないが、身体強化の魔法も無しにドアを蹴破れる女は一人しかいない。
「ドロテさん、無事なの!?もう大丈夫よ!!」
よりにもよってこいつに助けられるなんて……忌々しい……!
--------




