78.罰
ここのところ、政務官たちは諸外国からの来訪者の対応に追われて多忙の日々を送っていた。
だが常に忙しい法務官たちにとっては、雑事が増える煩わしさくらいでどうでもいいことである。
そんなことよりも、応答も待たず入ってきたメイドのほうが、ヘンリーにとっては問題だった。
ヘンリーが明日からロレンゾの教育係として指導を行うことは当然知っているのだろう。
「――またお茶を淹れにわざわざ来てくださったのですか?」
「いいえ、わざわざ手紙を受け取りに来ただけです」
「ああ、申し訳ありません。忙しさにかまけて、うっかりしておりました」
ヘンリーはそう言いながら笑顔で鍵のかかった引き出しから封書を差し出した。
その手紙には宛名も差出人もない。
アリエスはそれを受け取ると、机の上に置いていたペーパーナイフを許可なく借りて封を開けた。
そのまま中身は確認せず、手早くお茶を淹れるとソファに座って自分で飲み始める。
「ダフト卿も休憩されてはどうですか?」
「――そうですね」
まるで部屋の主のようなアリエスの態度に苦笑しながら、ヘンリーは向かいに座った。
そんなヘンリーには目を向けず、アリエスはカップを置くと、ようやく封筒から中身を取り出す。
「そういえば、遅くなりましたが、ハンナのことではありがとうございました」
「どんなことかわからないわ」
「クローヤル伯爵未亡人に、伯爵家の女主人が誰なのか思い出させてくださったことですよ」
「あれはルドルフが悪いのよ。昔から母には弱くて意気地なしだから。……あら、失礼。あなたの親友だったわね」
「あなたの弟君でもありますけどね」
「それで本当のところ、ルドルフはあなたに何を言っていたの?」
「よくご存じですね」
「寄宿学校に入るまではずっと世話をしてきた子だもの」
「そうでしたね。ですから、あなたのことを心配していましたよ」
「ヘマをしていないか?」
ヘンリーと会話をしながら、それでもアリエスの視線は手紙に向けられたままだった。
かなり無礼な態度ではあるが、ヘンリーは気にした様子もない。
今の二人の間には利害関係しかないのだ。
のんびりお茶を飲み、アリエスの反応を観察している。
「あなたが王宮で嫌われていないか心配しているのですよ。伯爵未亡人から色々と言われたようですね」
「八つ当たりされたのね。気の毒に」
「ですが、伯爵未亡人は腹を立てたまま言うだけ言うと、妹君のところに出かけてくれたようです。幸運なことに。……おっと失礼。あなたの母君でしたね」
アリエスの言葉を真似てヘンリーが言う。
その挑発を無視していると、改めてヘンリーが問いかけてきた。
「何か面白いことが書いてありましたか?」
「そうね。公爵家でこの三年、お嬢様と親しくされていたのは、従僕、庭師、馬丁、警備兵といるそうよ」
「思っていたよりも、友人は選ばない方らしい」
「だけど、いつも友情が成立するわけではないみたいね。とある従僕一人と馬丁とは親しくなれなかったらしいわ。その後、二人は行方不明になっているんですって」
「それは気の毒に。捜索に協力したいのはやまやまですが、公爵領内のことにはよほどのことがないと、法務官は口を出せませんからねえ」
心から気の毒に思っているのか、ヘンリーは顔を曇らせてため息を吐いた。
当然のことながら手紙はハンナからではなく、テブラン公爵家のスヴェンという使用人からのものだった。
スヴェンは行方不明になった弟のトマスを捜しており、以前アリエスが食堂で話を盗み聞いてから内偵を頼んでいるのだ。
そのときのアリエスは使いのメイドに扮していたので、未だにスヴェンは依頼主をヘンリーだと思っている。
「人は簡単に殺せるけれど、難しいのは死体の処理なのよね」
「法務官の前で、ずいぶん大胆なことを言いますね」
「人を殺すことは罪とされるけれど、たとえば私がメイドを殺したらどんな罰を受けるのかしら?」
「……理由によりますが、軽くて戒告か減給、重くて免職でしょうね」
「では私が女官長を殺したら?」
「投獄されたのち断罪され、軽くて生涯幽閉、重くて死罪でしょうね」
「同じ罪なのに、どうして罰が違うのかしらね」
「それは……」
「命の重みが違うからよね。別にそれはどうでもいいの。ただ確認したかっただけだから」
アリエスには青い血が流れているわけでもなく、他の貴族たちも使用人も同じ赤い血が流れている。
食事をして、排泄し、睡眠を必要とするのだ。
同じ病にかかることもあれば、運が悪ければ怪我をすることもある。
体の構造は同じにしか思えないが、人間は平等ではない。
そのことを問題提起するつもりなどさらさらないが、アリエスは目の前の手紙に疑問を感じていた。
「身分の高い者の使用人で、主人と相容れなかった者は、ただ追放すればいいだけよね? だけどその場合でも親類縁者には、自分の行き先なり居場所なりを伝えると思うの。それがなぜ行方不明になるのかしらね?」
「答えがわかっていることを私に言わせないでください」
「あら、私はわからないから訊いているのよ。貴族なら、何か理由をつけて使用人を処罰することも可能よね? それこそ、自分に無礼を働いたとかで、死罪にすることだって可能だわ。それほど苛烈な性格なら、見せしめにすることを楽しむかも」
そこまで言って、アリエスは喉を潤した。
ヘンリーは難しい表情のまま、大きく息を吐き出した。
「あなたにそこまで言わせてしまったことが残念でなりません。確かにあなたの言う通りだ。行方不明の二人が殺されたとすれば、犯人は死体を隠さなければならない者ということですね」
「やっぱりそうよね……。まあ、興味本位で訊いただけで、どうにかしたいと思っているわけではないの。公爵が動かなければ、たとえ他殺体が見つかったとしても何もできないから」
「その通りですね。彼には申し訳ないが、私にも何もできません。ちなみに、誰が犯人だと思いますか?」
「実際に公爵領に行ったこともない私にそれを訊くの?」
冷ややかにアリエスが言うと、ヘンリーは小さく笑いを漏らした。
それからヘンリーは自分でお茶をもう一杯注ぐと、アリエスのカップにも注ぐ。
「――ありがとう」
「いいえ。賄賂ですから」
「これが?」
「それで許してください。答え合わせがしたいだけですから」
「そうね。あなたにはこれからもお世話になるものね?」
「怖いな」
「お互いに」
ジークにしてもヘンリーにしても、様々な仕事を抱えすぎている。
だからアリエスのように興味あることだけに意識を向けるわけにはいかないのだ。
情報提供の代わりにお互いを利用する約束を暗に交わし、二人ともお茶を飲んだ。
「ちなみに私は庭師が犯人だと思います」
「ええ、私もそう思うわ。死体を隠すには土に埋めるのが簡単だもの。問題は大きな穴を掘っていると怪しまれるってことよ」
「そうですね。だが庭師ならそれも怪しまれません。追放されたと思わせれば、彼らの所持品が失くなっているのも当然ですからね」
「金品目的だとすれば、お嬢様は悪評を上手く利用されたわね。庭師を少し探るだけで簡単に答えは見つかるでしょうけど、お嬢様にとっては使用人たちから疑われようと恨まれようと、痛くもかゆくもないようだから必要ないかしらね。私もそれくらい図太い神経だったらよかったのに。羨ましいわ」
アリエスが心から呟くと、ヘンリーは激しくむせた。
しかし、アリエスは心配することもなくお茶を飲む。
「それでは繊細なクローヤル女史なら、スヴェンに弟さんのことをどう伝えますか?」
「もちろん、伝えないわ」
「それではずっと彼は弟さんを捜し続けることになるのでは?」
「では、ダフト卿ならどうするの?」
「もちろん、伝えませんね。人は希望を持ってこそ強くなれると言いますから」
「真実ほど残酷なものはないわね」
公爵領で騒ぎを起こせば、公爵に警戒されてしまうだろう。
何より、スヴェンに真実を伝えれば目的を失ってしまう。
だが、スヴェンにはもっと密偵として頑張ってもらわなければならないのだ。
「ところで、あなたの抱く希望は何なの?」
「この国の人々が幸せに暮らせることです」
「それは喜ぶべきなのかしら?」
「そうしてくださると嬉しいですね。建前ではありますが、嘘ではないので」
「本音は?」
「面白いじゃないですか。法という堅固な盾で身を守りながら、相手の隙を突いて攻撃するのが」
「まあ、どうしましょう。あなたへの好感度が上がってしまったわ」
「ここ最近で一番嬉しい知らせですね。それで、クローヤル女史の希望とは何ですか? もちろん建前ではなく」
「私に建前は必要ないわ。希望なんてものは持っていないから。単純に、複雑怪奇でどろどろの人間の情を覗き見ることが好きなの。でも敢えて希望というなら、大嫌いな人たちがもがき苦しむ様を見たいということかしら?」
「どうりであなたとは話が合うわけだ」
ヘンリーはにこやかに告げて、空になったカップを置いた。
休憩ももう終わりの時間である。
アリエスが立ち上がり茶器を片付け始めると、ヘンリーは執務机に戻った。
それから書類を手に取り、ふと思い出したように問いかける。
「ハリストフ伯爵はもう長くないと伺いましたが、まさかあなたは関係していないですよね?」
「……今の私とは関係ありません。ですから、晴れ晴れとした気分なんです。彼の死に様を直接目にすることができないのは残念ですけどね」
あまりにも無礼なヘンリーの質問に、アリエスは気分を害した様子なく答えた。
そしてアリエスが部屋を出ていった後も、その答えに隠された真意を考えることになったのだった。




