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番外編:幽霊18

 

「ずいぶん元気そうに見えるが?」

「一滴舐めた程度ですから」

「そりゃ、そうか。で、何がそんなに楽しいんだ?」

「実は私も雷が好きなんです」

「私も?」

「お二人も好きそうに見えますが?」

「ああ……」

「そうですね」


 あれほどの大きな雷は続かなかったが、今も近場に落ちている。

 三人で窓の外を眺めながら、アリエスはこんなに穏やかな気持ちで雷を見ることができるようになったのはいつからだろうと考えた。


 子どもの頃は大きな音と光が怖かったが、泣きじゃくる弟を宥めなければならず、自分の感情は後回しだった。

 十代になってからは、雷で領館が被害を受けないか、雨漏りしている箇所は大丈夫か、家畜が逃げ出さないかと心配でたまらなかった。

 それがボレックと結婚してからしばらくして、雷の――嵐の日は夫が帰ってこないことに気付き、好きになったのだ。


「被害が出ていないといいですね」

「幽霊塔に落ちたのかしら? ですが、大きな音はしていないので、それほどの被害ではないのでしょう。ただ雷が怖いといった感じの騒ぎのようですし、大丈夫そうですよ」

「よくわかるな」

「慣れでしょう?」


 王宮内の騒ぎを聞いて心配するヘンリーにアリエスが答えると、ジークが感心したように言う。

 資料室のある執務棟は幽霊棟に近いほうなので、何かあれば聞こえてくるはずだ。

 ジークが動こうとしないことからも、王宮内で特に問題は起きていないのだろう。


 アリエスが離れた場所の状況を察することができるのは、子どもの頃から常に気を張って生きていたからだった。

 大人たちの会話に意識を向け、空気を読み、他人の考えを先回りして行動に移してきたのだ。

 それが結婚してから役立っている。

 だからといって、あの頃のことが今はいい思い出になどはなっていない。

 ただの嫌な記憶でしかなかった。


「では、話を戻そうか。酒に毒が入っていたとして、一滴舐めた程度でわかるのに、なぜやつらは死ぬほどの量を飲んだんだ? 味がおかしかったんじゃないのか?」

「味に関しましてはボトルのラベルを見るに、元々苦味がある種類のお酒でした。舌にピリッとした感覚はありましたが、お酒を楽しんで飲むよりも飲まれることを楽しむ方は気にしない程度だと思います」

「それでどうして毒入りだと判断できたんだ? 酒だって腐るときは腐るぞ?」

「たいていの食中毒は発症までに時間を要しますが、彼らの吐物は何を食べたのかわかる程度には消化されずに残っていました。また彼らが夜中に騒ぐのはよくあることで、近隣の部屋の方たちはうるさくてもトラブルを避けるため、いつも我慢していたそうです。それが昨夜の彼らはかなり早く静かになったと聞いています。要するに宴会を始めてから死亡する――症状が出るまでが早かったのでしょう。何より、体力のある男性三人全員がそれほど早く死亡するなど、食中毒ではまず考えられません」


 本当は残った酒を一滴舐めたときに、何の毒が混入されているかもわかった。

 だが、なぜわかるのかと問われても面倒なので、アリエスはそれ以外の要素を挙げたのだ。

 すると、ヘンリーが口を開く。


「その毒入りの酒をシャルル・タイザムが弟であるタイザム騎士の部屋に置いたのは間違いないのですか?」

「絶対にタイザム卿が置いたとは言い切れませんが、あのお酒がタイザム騎士の部屋にあったことは間違いありません。ラベルのかすかな汚れが一致しておりましたから。コルク抜きはあってもグラスの用意がなく不自然でしたので、よく覚えています」


 タイザム騎士が部屋でも飲酒することは調べていたので、ボトルがあることには驚かなかった。

 だが、グラスが置かれていないことから、使用人が用意したものではないと思っていたのだ。

 コルク抜きは常備していて、好きな酒を持ち込んでいるのだろうと、そのときのアリエスはそれ以上気にとめなかった。


「シャルル・タイザムが法務官たちに……バウアー以外に日記の在処を告げなかったのは、そういうことか。万が一にも毒を入れた酒を置いたと――弟を毒殺しようとしたことが露見するのを避けるためだったんだな」

「ああ! そういうことだったんですね!」


 ジークが納得したように言うと、ヘンリーが嬉しそうに声を上げた。

 珍しく年相応に見えるほど喜んでいるのは、やはり今まで日記の所在について引っかかっていたのだろう。


「ようやく腑に落ちました。あれだけ自己顕示欲の強いシャルル・タイザムがなぜさっさと日記を公開しようとしなかったか……。弟であるモーリス殿を殺そうとしていたというのも納得です。兄の日記を読んでヤケ酒を飲んだふうに見せかけるつもりだったのかもしれませんが、裏目に出たんですね」


 危うくモーリス・タイザム騎士は殺されるところだったのだが、ヘンリーはそのことよりも謎が解けたことのほうが嬉しいようだ。

 彼もまた歪んでいることに、アリエスは興味を持った。

 本当になぜ弟のルドルフと仲良くしていたのか、不思議でならない。


「ですが、毒についての謎は深まるばかりですね。シャルル・タイザムがどうやって毒を手に入れたのか……。情けないことに、ヘベノンの入手先もわからないままですから。アリエス殿、タイザムが酒に混入させた毒について、何かわかっていることはありますか?」

「舌に触れるとぴりっとした刺激と苦味があることくらいしか……。ボトルはガイウス隊長に渡していますので、わずかに残った雫程度のものからでも、詳しい方ならわかるかもしれません」


 たった数滴でもわかる者にはわかるはずなので、あとは好きに調べればいい。

 それよりも、アリエスは法務局の情報収集力を使って知りたいことがあった。


「タイザム卿の主治医については調べたのですか?」

「主治医? タイザム伯爵家のですか?」

「いいえ。タイザム卿の主治医です。おそらく伯爵家の主治医とは別にいたはずです」


 毒を盛られているというのは妄想でも、シャルル・タイザムは本当に病気だった。

 アリエスはそう考えていたのだが、法務局が把握していないということは、思い違いだったのかもしれない。

 シャルルが病を隠していたのは、補佐官の役職を罷免されることを恐れていたからだろうと推測していたのだ。


「シャルル・タイザムは妄想ではなく、本当に病気だったのか?」

「私はそう考えています。日記に書いていた症状や、周囲の方たちの話から推察するに、〝画家疝痛(せんつう)〟のようなものだったのではないかと」

「画家疝痛?」

「多くの画家が患う病です。あまり知られていないようですが、絵具に原因があるらしいと言われております」

「絵具? そんな絵具を使った絵を飾っていて大丈夫なのか?」

「さあ? 私も詳しいわけではありませんので、そのあたりは専門家に聞いてください」


 ジークに問われて、アリエスは曖昧に答えた。

 絵具の原料を知れば納得してしまうのだが、これもまた詳しいと思われたくなかった。


 あの『黄色い春の絵』もぱっと見ただけでも、多くの危うい色が使われている。

 しかも下地に発色をよくするために鉛白が使われていたのだ。


 日記にも書いてあったように、絵を描くことに夢中になっていたのなら、きっと自分で顔料も――絵具も作っていたはずである。

 そして政務官として働き始めた頃から、体に蓄積された毒の症状があらわれるようになったのだろう。


「ヘンリーさん。私の思い過ごしかもしれませんが、タイザム卿の主治医について調べてもらえますか?」

「はい、もちろんです。それでは、私はそろそろ失礼しますが、もしタイザム卿について何か新しい発見があれば教えていただけますか? 長官もそれを望んでいると思います」

「ええ、わかりました」


 先ほど、アリエスはタイザム卿が飲んだ毒についてはわからないと答えたが、本当は心当たりがあった。

 おそらく過去の偉人――とある思想家の処刑で使われた毒だろう。

 だが簡単に教えるわけはない。

 それをわかった上で、ヘンリーは釘は刺してきたのだ。


「さて、俺も戻るか。……それとも雷が遠くへ行くまで一緒にいようか?」

「必要ありません」

「だろうな」


 ヘンリーに続いて立ち上がったジークは、アリエスをからかう。

 アリエスの返答は予想通りだったようで、今度はヘンリーに問いかけた。


「ところで、あの日記はどうするつもりだ?」

「あれは法務局で厳重に保管することになりました。我々への教訓として」

「そうか……」


 ジークは日記が法務局で保管されると知って、納得したようだった。

 だが、アリエスは首を傾げた。


「保管だけで教訓になりますか? それとも法務官たちで回し読みでもするのですか?」

「いえ、それは……どうでしょう?」


 アリエスの問いかけに、ヘンリーは曖昧に答えた。

 はっきり回答できないということは、単純に保管するだけのつもりだったようだ。――ヘンリーとしては、だが。


「どうせなら、法務官が発見できるような場所に置いて、その後の彼らの動きを観察してはどうですか? または長官が隠したことにして、法務官の方々がどう考えるのかもおもしろ……興味深いと思いません?」

「今、面白そうって聞こえたぞ」

「長官がタイザム伯爵に忖度したと考える方もいるでしょうね。でも見過ごすことにするのかしら。それとも不正は許さないとばかりに長官を訴えるかしら?」

「鬼の所業か」

「そうですか? 獅子が千尋の谷に我が子を突き落とすのなら、部下を絶望の淵に突き落とすくらいはしないと」

「それ、上がってこれないやつな」


 ジークの突っ込みにもアリエスは気にした様子はない。

 そんなやり取りを見て、ヘンリーはまたいつもの笑みを浮かべた。


「長官に確認します。先輩方がどのように対応されるのか勉強になりますからね」

「毒されるなよ」


 ヘンリーの言葉に、ジークはため息混じりに呟いて歩いていく。

 そして二人は扉の前で一度振り返った。


「じゃあ、またな」

「有益な情報をありがとうございました。失礼します」

「さよなら」


 出ていく二人を座ったまま見送ると、アリエスは窓の外へと目を向けた。

 雷雲はずいぶん遠ざかったようだ。

 大した被害は出てないようで、王宮内は落ち着きを取り戻しつつあった。


 あの薬草についての本にはヘベノンだけでなく、弟を殺すために用意した毒、自身で飲んだ毒についても軽く触れていた。

 あとは入手方法だが、法務局が本気になれば、シャルル・タイザムの主治医を突き止めるのはすぐだろう。

 だが、その法務局が主治医の存在に気付いていなかったことがアリエスには引っかかった。


(これは予想外に大きな問題になりそうね……)


 一連の毒をどこで手に入れたのか。

 主治医がいてもいなくても、かなり危険性の高い毒を秘密裏に扱っている者がいるということだ。


 ひとまずの嵐は去った。

 しかし、これからさらなる大きな嵐が吹き荒れる予感がする。

 次はどんな秘密が出てくるのだろうと、アリエスはわくわくしながら薬草についての本を開いたのだった。




更新が遅くなって、すみませんでした。

そして、お待たせしました!

本日5月30日(月)より、各電子書籍サイトで『王宮女官の覗き見事件簿~空気読まずにあなたの秘密暴きます』が配信開始です!

大橋薫先生の描かれるアリエスたちをぜひよろしくお願いします!

あれ? 月刊電子雑誌『web BULL』は? なんていうのは、あれです。大人の事情で6月末からだそうです。その分、きっと素晴らしいサイトになるに違いないです(ハードルあげた)。

よろしくお願いします(≧∇≦)b

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[一言] 大橋薫先生の造られたような表情のキャラクターが、アリエスにピッタリかもw
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