番外編:幽霊11
「ちょっと待ってください! タイザム卿がバウアーの母親を殺した!? どうしてそうなるんですか!?」
「びっくりですよね?」
「いや、びっくりどころじゃないですよ!」
「アリエス、順を追って説明してくれ」
あまりの驚きに動揺するヘンリーと違い、ジークは逆に冷静になったようだ。
これが経験の差なのだろう。
「ヘンリーさん、バウアーさんのお母様のご病気が何だったのかは調べられましたか?」
「え? あ、はい。確か心臓が悪く……」
ヘンリーはアリエスの問いに答えかけてはっとした。
どうやらジークも気付いたらしい。
「ジギタリスを飲んでいたのは、バウアーの母親か……」
「おそらく。そしてタイザム卿はバウアーさんのお母様をどうにかして助けたかった。だから、苦しむお母様を少しでも楽にしたくて、ヘベノンを手に入れて飲ませたのではないでしょうか?」
「ヘベノンを?」
「はい。ヘベノンは禁止される以前には、小説や随筆でも鎮痛、鎮静作用のある薬草として名前が出てきます。多くの本を読んでいたタイザム卿なら知っていた可能性は非常に高いでしょう。ですが、ヘベノンとジギタリスは最悪の組み合わせになります」
薬師の間では古くから伝えられていたことだが、広く知られるようになったのは二年ほど前である。
それもシャルル・タイザムが持っていた薬草についての本に書かれてからだった。
「タイザム卿が日記の中で、バウアーさんのお母様が亡くなったことについて触れたのは、『あれだけ手を尽くしたのに残念だった』とのひと言だけでした。それだけショックだったということも考えられますが、彼女に尽くした内容については事細かに書かれています。また、日記を書き始めたのは、バウアーさんのお母様が亡くなってひと月ほど後からですが、その間に例の薬草についての本を読んだのではないでしょうか。そして自分の致命的なミスに気付いてしまった」
「ヘベノンの項目には記載がありませんでしたが、ジギタリスの項目にあるのでしょうか?」
「その通りです」
薬草の本を押収したヘンリーは内容を簡単に確認したのだろう。
だが、ジギタリスの項目は見逃していたようだ。
「シャルル・タイザムがバウアーの母親にヘベノンを飲ませてしまったと仮定して、その後に過ちに気付いたとしよう。噂に聞くタイザムの性格なら、その事実を正直に告白するとも思えない。だが、日記を書き始めたことに何の関係があるんだ?」
ジークはあくまでも可能性の一つとしてアリエスの話を聞いている。
当たり前のことだが、大切なことだ。
ここでわざわざ『仮定』という言葉を出したのも、徐々にのめり込んでいるヘンリーに伝えるためだろう。
アリエスは内心で浮かれる気持ちを抑え、今までと変わらない調子で答えた。
「これは私の偏見ですが、自己の能力に見合わない高いプライドだけお持ちの自己中心的な方は、他人よりも可哀想な自分を演出するのが大好きです。もちろん、頑張っている自分も」
「何だって?」
「あ、私は何となくわかります。『ちょっと体調が悪いんだ』と打ち明けると、『俺も頭が痛いし、熱っぽい』とかって言ってくる人がいますよね。やたらと『俺のほうが大変なんだ』って言うやつ」
アリエスの言葉がジークは今ひとつ理解できなかったようだが、ヘンリーはかなり実感しているようだった。
その例えが妙に現実的で言葉遣いも変わっている。
「要するに、どういうことだ?」
ジークは今まで似たような経験がないのだろう。
強く見えるよう演技されることはあっても、弱味を見せるような言動を取られたことはないはずだ。
微妙な表情でさらに問いかけるジークに、アリエスはどう説明するべきか考えた。
「……簡単に言うなら、タイザム卿は『毒を盛られていた可哀相な自分』で、『バウアーさんのお母様を殺してしまったかもしれない』という事実を消してしまおうとしたのです」
「いや、消えないだろ」
「もちろん事実は消えませんが、記憶から消してしまうことはできます。なぜか一部の人は『不幸な人』よりも『さらに不幸な人』がいると、ただの『不幸な人』の存在がなかったかのように思うのです。たとえば『つらい』と打ち明けると、『お前よりもっとつらい人はたくさんいるんだから耐えろ』とか謎理論で励まそうとしてくる人に覚えがありませんか?」
「……ある」
ジークはようやく理解したとでも言うように、深く頷いた。
きっと子どもの頃に理不尽な言葉を多くかけられてきたのだろう。
「タイザム卿にとって日記は、犯してしまった罪を消し、自己を正当化するために始めたものだったのでしょう。それが、『幼い頃から可哀想だけど頑張ってきた自分』を演出していくうちに、徐々に気持ちよくなってきたのかもしれませんね。自分の能力不足とままならない体調を他人のせいに――毒のせいにすることで、自己肯定感は満たされます。仕事はほとんどバウアーさんが片付け、タイザム卿はサインをするだけだったようですから」
「要するに、仕事ができない言い訳にもしたってことか?」
「その他諸々も含めての言い訳です。噂から知るタイザム卿は、かなり神経質で完璧主義でプライドが高く、さらには常に自分が一番でないと満足できなかったとか。ですから、継嗣から外されたことはかなりの屈辱だったと思います」
「なるほど。肩の荷が下りたってのも嘘か」
「見栄っ張りですねえ」
今度はジークもしっかり理解したらしい。
呆れるジークとヘンリーにダメ押しするように、アリエスはタイザム卿の別のエピソードも加えた。
「あの絵が選評され政務官たちに好評だったのはかなり自尊心を満たされたようです。逆に、あの絵の良さをわからない者については、日記でこき下ろしていました。ちなみにその当時の人事記録を見ると、理由なく降格された政務官が何人かいましたが、関係しているかはわかりません」
「そこまで確認したのかよ……」
ジークはぼやいて大きくため息を吐いた。
タイザム卿が職権乱用した可能性も問題だが、この短期間でそこまで調べられたことも問題である。
「また、女性使用人からは不評だったことも耳にしていたのか、日記には『芸術もわからない下賤な女ども』と書いてありました。このあたりはタイザム卿の本音だと思いますので、日記が全て嘘だったというのは言い過ぎでしたね」
「いや、それは誤差の範囲だろ」
「プライドが高いとミスを認めるのも難しいですからね。誰かに責任転嫁するのもよくあることです」
アリエスが自分の言葉に突っ込むと、ジークがフォローする。
また実感のこもった同意の言葉を口にするヘンリーは、よほど何かあったのだろう。
そんなヘンリーのぼやきを聞いて、ジークは眉間にしわを寄せた。
「にしたって、毒を盛られたかもしれないってのは、迷惑どころの話じゃないだろ。場合によっては、タイザム伯爵夫人は無実の罪で処刑されたかもしれないんだぞ?」
「そうですよね。そもそも殺すつもりなら、少しずつ毒を盛るなんて生温いことをせずに、致死量を盛りますよね? 相手は病弱な子どもなんですから、いくらでも誤魔化しようはあります」
「いや、そこじゃないだろ」
「今はただのヘンリーですが、一応私は法務官ですからね? 発言には気をつけてください」
アリエスが大きく頷いてさらに付け加えると、ジークがやはり突っ込む。
ヘンリーもいつもの笑顔に戻って注意した。
「とりあえず、日記の真偽については当人がすでに亡くなってしまった今、地道に関係者を調べるか、本当に降霊術でもするしかありませんね。それよりも問題は、バウアーさんのヘベノン中毒です。彼はどうやってヘベノンを手に入れたのでしょう? どう考えてもタイザム卿が何かのハーブなどと嘘を吐いてバウアーさんに飲ませたとしか思えません。ちなみに私は先ほども申しましたが、タイザム卿は自殺を図ったときまでヘベノンを飲んだことはなかったと思っています。または自殺するときも、ヘベノンではなく別の毒を飲んだのではないかと思っています」




