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番外編:幽霊10

 

「は? 嘘? そりゃ、妄想もあるだろうが、嘘ってことはないだろ?」

「そうですよ。一年前からこんな嘘を書いていたっていうんですか? ご両親に復讐したかったにしても、もっと違うやり方があるでしょう?」


 アリエスの推測はさすがにジークもヘンリーも受け入れがたかったようだ。

 実際、アリエスもしっかりした根拠を示せるわけではない。


「確かに、全て嘘という言い方は違うかもしれませんね。作為的な『嘘』に『妄想』が混じっていると言うべきかもしれません」

「妄想はともかく、嘘をわざわざ日記に書く目的は何だ? ヘンリーが言ったように、タイザム伯爵夫妻への復讐だけなら、ただ毒を盛られていたと言いふらせばいいだけだ。こんな手の込んだことをする必要はないだろう?」


 ジークは納得できないのか、アリエスを問い詰めた。

 だが、推測でいいからアリエスの考えを教えろと言ったのはジークなのだ。


「彼はプライドが高かったそうですから、自分から言い出すのは無粋だとでも思ったのでしょう。だから誰かに気付いてほしかった。それでバウアーさんに日記の在処を託したのに、全く違う展開になってしまったのだと思います」

「それだと、おかしくありませんか? 日記はすでに弟君のモーリス・タイザム騎士の部屋に置いたのですから、放っておいてもタイザム騎士が発見したでしょう?」

「これは本当に私の推測ですが、タイザム卿は家族仲を壊すつもりで弟のモーリス・タイザム騎士の部屋に日記を置いた。ところが横領が発覚したために、状況が大きく変わったのではないでしょうか。このままだと、犯罪人である兄の戯言と片付けられてしまいかねない。そこで日記を回収したかった。しかし、タイザム卿はすぐに参考人として気軽に動けなくなり、バウアーさんにお願いしたのでしょう」


 ジークもヘンリーもわけがわからないといった表情になっていたが、アリエスも本当のところはわからないのだから仕方ない。

 すると、ジークが考えるように眉間にしわを寄せたまま口を開いた。


「じゃあ、シャルル・タイザムが伯爵夫人にジギタリスを――毒を盛られていたって考えていたのは嘘か妄想のどちらだ? そもそもモーリス・タイザムの性格からして、シャルルの横領への関与が発覚する前から母親の罪を隠す可能性のほうが高いだろ?」

「だから、あの〝詩〟なのでしょうか!? ほら、確か『勤勉な者は秘密の扉を開ける。情は鎖となって心を縛る。正義が裏切りその身を滅ぼす』って、日記を開いて実母である伯爵夫人の秘密を知ってしまう。だけど母親を慕う心が縛りとなって訴えることはできないかもしれない。たとえ正義感から訴えたとしても、母親が罪を犯したことで、モーリス・タイザム騎士は汚名を被ることになるって伝えたかったのでは!?」


 嬉々として自分の考察を告げるヘンリーを、アリエスは冷ややかに見た。

 その表情のままの冷たい声で答える。


「それは考えすぎだと思います。タイザム卿は風流人を気取っていたようですが、そこまで機知に富んだ人物とは日記を読んでも思えません。それにしても、よくその文章を覚えていますね?」

「タイザム卿が最期に遺した言葉ですから。我々はその意味を何度も何度も考えましたよ」

「なるほど」


 アリエスの冷たさには慣れてしまったのか、ヘンリーは怯みもせずにあっさり答えた。

 むしろ反応したのはジークである。


「ずいぶん自分の考えに自信があるんだな?」

「自信があるわけではありません。ですが、あの絵を気持ち悪いと感じるお二人なら、その日記を読めば私の言いたいことはきっと伝わるのではないかと思います」

「……そうだったな。アリエスの考えを先に教えてくれと言っておきながら、疑って悪かった」

「いいえ、かまいません」


 ジークが謝罪の言葉を口にしたことに驚いたが、アリエスはそれを表には出さなかった。

 しかし、ジークにはしっかり伝わったらしい。

 場に不釣り合いな笑みを浮かべながら話を戻した。


「それで、なぜアリエスは日記を嘘だと思ったんだ?」

「簡単なところで言うと、義母である伯爵夫人に毒を盛られていると書きながら、次期伯爵としての弟の振る舞いを心配しています。明らかな矛盾ではないですが、何かしっくりこない。人物像に一貫性がないんです。はじめはヘベノンの副作用による情動不安かとも思いましたが……そこで、私は間違いに気付きました」

「間違い? アリエスが?」

「はい」

「どんな間違いなんですか?」


 シャルル・タイザムの嘘についての話の前に伝えておかなければならないことがある。

 そんなアリエスの言葉にジークは興味深げな表情で、ヘンリーは嬉しそうに訊いた。


「タイザム卿がジギタリスを飲んでいたために黄色い春の絵が描かれた……というのは、私の妄想でした」

「は?」

「え?」


 いつもどこか余裕のあるジークが素で驚いた。

 ヘンリーも年相応の顔に見える。

 それだけで、ミスを素直に認めるのはいいものだなとアリエスは思った。


「毒を盛られている云々はともかく、ジギタリスについては私の妄想でした」

「なぜ考えを変えたんだ?」

「タイザム卿が亡くなってから日記を探しに執務室にお邪魔したとき、創国記のような英雄伝、異国の風変わりな伝承や見聞録が書架に多く並んでいることに気付きました。その中の一冊、遠い東の国についての本は古いもので、何度も読み返していた跡がありましたので、幼い頃からのお気に入りなのでしょう。わざわざ執務室にまで持ち込んでいたのですから。その東の国について書かれた本は私も読んだことがあって記憶に残っています。確か、春になると黄色い風が吹くそうです」

「まさか」

「おとぎ話じゃないんですか?」


 アリエスの元婚家であるハリストフ伯爵家の図書室は本当に見事だった。

 ボレックも義母も見向きもしなかったが、アリエスは時間さえ許せばずっと本を読んでいられたのだ。


「その国の西側には乾いた大地があり、春になると西から吹く風に煽られてその土地の砂が舞い上がり、黄色い風となって東の大地に吹きつけるそうです。ですから春になると景色が黄色く霞むとかで情緒的に書かれていましたが、砂混じりの風なんて迷惑でしかないでしょうね」

「では、黄色い風って……」

「ええ。まるであの絵のようですよね」

「じゃあ、あれか? シャルル・タイザムが描いたのは、その東の国とやらの春風か?」

「そうだと思います。確かに、タイザム卿は毒――薬草について詳しく書かれた本も持っていたようですが、あの本は絵が描かれた後に発刊されたものですし、視界が黄色く見えるなどといった副作用までは書かれていません。……別の記載はありますが」


 アリエスがあの黄色い絵についてここ最近の新たな見解を口にすると、腕を組んだジークは首を傾げた。

 どうやら疑問があるらしい。


「それじゃあ、あの絵のジギタリスは偶然ということか?」

「偶然というか、そもそもあの花はジギタリスではないでしょう」

「そこからかよ」

「はい。申し訳ありませんでした」

「いや、……別に謝罪するほどのことじゃないだろ」


 アリエスが謝罪したことで、今度はジークが驚いたようだった。

 ジークは顔には出さなかったが、ヘンリーは目を丸くしている。


「謝罪の必要はないが、なぜ間違っていた考察を俺たちにわざわざ聞かせたんだ?」

「先ほども申しましたが、思い込みは視界も思考も鈍らせてしまうと痛感したからです。ジギタリスだと思って見ればそう見えますが、ただのよくある釣り鐘型の花だと思えば、斑点に見えていたものもただの葯……花粉でした」


 幽霊騒動があった後、アリエスは改めてあの絵をじっくり眺め、自分の思い込みに気付いたのだ。

 しかし、日記が消えていたことで、タイザム伯爵家には単純なお家騒動ではない何かがあるのかもしれないと考えた。


「ヘンリーさん、タイザム卿の部屋にあった他の絵についての印象はどんなものですか?」

「え? あ、はい。上手いな……くらいでしょうか? 絵には疎くて……」

「要するに黄色い印象はなかったということですね?」

「そうですね。あ、そうか……」


 もしシャルル・タイザムがジギタリスの副作用で視界が黄色く見えていたのなら、他にも何点かの絵に黄色い印象を受けていてもいいはずだった。

 だが、ヘンリーはあの絵がメッセージなのだと思い込み、都合のいいように考えてしまっていたのだ。


「だからといってタイザム卿が毒を盛られていなかったという証明にもなりませんし、他にも曖昧なことはたくさんあります。ただ一つだけ確信を持ったことがありました」

「何だ?」

「タイザム卿がバウアーさんのお母様を殺してしまったことです」




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