番外編:幽霊9
「タイザム卿の日記は一年ほど前に書き始めたようで、最初の数ページは回顧録のようでした」
「へえ? 自叙伝でも書く気になったのか?」
「……彼なりに書かなくてはいけない理由があったのでしょう。内容は幼い頃の記憶から始まり、原因不明の嘔吐やめまい、頭痛に悩まされ、よく寝込んでいたことが書かれていました。そして、どうにか成長したものの、十八歳になったとき、跡継ぎから外されることになった、と。ですが本人はほっとしたそうです。自分に伯爵位の重責を担うのは無理だと思っていたからと。その頃から絵を描くことに没頭し始めたようです。それからは心の重荷が取れたおかげか、原因不明の病も治まり、徐々に体力をつけて働けるようになったと喜んでいました」
「まあ、子どもの頃なら、自分が毒を飲まされているなんて思いもしないしな」
アリエスはタイザム卿が過去について触れていた事を簡単に説明した。
すると、椅子に背を預け両腕を組んだ姿勢で聞いていたジークが、独り言のように呟く。
まるで自分の体験を語るようではあったが、アリエスは気にせず続けた。
「そうですね。ですが、政務官として順当に昇進した頃から再び体に不調が出始め、そこでようやく毒を盛られているのではないかと疑いを持ったようです」
「そういや、その頃から弟のモーリスはイヤオルたちとつるんで悪評を広め始めていたからな」
「ああ、そうか。どちらがタイザム伯爵の跡継ぎとして相応しいか、他人が評価するようになったのですね」
当時を思い出したらしいジークの言葉を受けて、ヘンリーは納得したようだ。
そういえばヘンリーは政務官として新米だったなと、アリエスは今さら思い出した。
弟と同じ年齢には思えないほど落ち着きがあり、ついでに言うと偉そうであるので忘れていた。
とはいえ、それはどうでもいい話である。
「タイザム卿は両親に不信感を抱き……そもそも信頼関係にはなかったようですが、その頃からバウアーさんのお家に訪問することで、安息を得ていたようです。バウアーさんのお母様にもずいぶん親しみを抱いていたようですから、勝手に理想の母親としての幻を見ていたのでしょう」
「相変わらず容赦ねえな」
「そこでタイザム卿は、貴族の間で評判の医師など、何人もの医師に診てもらえるように手配をしたそうです。ところが一年ほど前、バウアーさんのお母様が亡くなってから、二人の友情に亀裂が生じてしまったのです」
「母親を救うことができなかった――共通の目標を失うと、今まで見えていなかったもの、目を逸らしていたものに気付いてしまうからな」
「タイザム卿が立て替えた借金……要するに金の貸し借りがあると、最悪の関係になりますよね。そこに横領事件まで発覚して二人は揉めていた。バウアーがタイザム卿と不仲になっているのは皆が知っています。そこにタイザム伯爵夫人がつけ込んだのでしょうか? たとえばバウアーを操り、致死量のヘベノンをタイザム卿に飲ませるよう仕向けたのですかね?」
金銭が絡めば人間関係は悪化するのが世の常である。
ジークもヘンリーも今回の服毒自殺とされる事件は他殺と考えているようだ。
そのため、あとは犯人を断定したいらしい。
しかし、アリエスは二人の考えをあっさり否定した。
「これもまた推測ですが、おそらくタイザム卿は自殺したのでしょう」
「他殺か事故の可能性を疑っていたんじゃないのか?」
「伯爵夫人じゃないんですか?」
アリエスの推測に、ジークもヘンリーも納得いかないようだった。
二人とも表情に出ている。
「私も他殺の可能性が大きいと思い込んでいました。思い込みは視界も思考も鈍らせますね。改めて勉強になりました」
アリエスは自分の至らなさにがっかりしてため息を吐いた。
未だにタイザム卿の死因について、確信はないのだ。
「その日記を読めばわかりますが、横領への関与はタイザム卿が単独で行っていたようです」
「マジか……」
「……おめでたい頭だったんですね」
法務官たちは今まで、バウアーがタイザム卿を犯罪へ誘い込んだと疑っていたのだ。
そのための証拠をどうにかして探していたに違いない。
それが今回の降霊術で簡単に覆されたのだから、ジークもヘンリーも軽くショックを受けているようだった。
「カスペル前侯爵はバウアーさんではなく、権限のあるタイザム卿に声をかけたようです。見返りは王宮での地位。後継者の座を奪われたタイザム卿なら、その話に乗るだろうと。ですが日記によると、タイザム卿はそんなものには興味なかった。ただ、自分にずっと無関心だった父親を困らせられればよいと思ったと書いてあります」
「押収した資料の隠蔽工作がほとんどなかったのは、隠す意思がなかったからなんですね」
ようやく合点がいったというように、ヘンリーは何度も頷きながら捜査資料について口にした。
もはや守秘するつもりも何もないらしい。――秘密にしても無駄だが。
「人事に関しての権限は全て自分にあると思っていたようですので、査問会が開かれるまでは罪悪感さえ抱いていなかったようです。それがカスペル前侯爵の処分が決まったことで慌てたのか、その日以降は日記に何も書かれていません。それまでのタイザム卿の悩みといえば、バウアーさんはお金のために自分と付き合っていたのか、でしたから。人事操作のことで責められたが、友達なら協力してくれるはずだ、と」
「思春期の悩みかよ」
「次に悩んだのは、弟がどうすれば次期伯爵として自覚を持つかということですね。届け出ているとはいえ外泊も多く、宿舎の部屋でも飲酒は欠かせなかったようですから」
「近衛として不安しかないな」
アリエスがタイザム卿の日記の内容を要約して伝えると、ジークがいつものように突っ込む。
そしてどうでもいいように訊ねた。
「それで、その日記はモーリスの部屋のどこにあったんだ?」
「埃の積もった机の上に開いて置いてありました。よほど見てほしかったのでしょう。ですが、日記は横領事件が発覚する前日に置かれたらしく、事件前から宿舎に戻っていないタイザム騎士には気付かれずに放置されたままになっていたようです」
アリエスの言葉にジークは頭を抱えた。
日記が置かれた日を特定しているということは、関係者以外の立ち入りの際に記録される台帳まで見られているということだ。
本気で王宮内の警備体制を見直さなければならないだろう。
「結局、タイザム卿は伯爵家への――家族への復讐がしたかったのでしょうか?」
「そうだな。カスペル前侯爵に協力したのも、父親への復讐のようだしな」
ヘンリーは自分に答え合わせをするように疑問を口にした。
ジークもまた同様の考えらしい。
しかし、アリエスは何と言えばいいのか迷った。
「今は推測でいいんだから、アリエスの考えを話せよ」
ジークがアリエスの迷いを察したように促す。
アリエスは小さく息を吐き出し、仕方なくといった様子で考えを口にした。
「事実と推測から考えた結果、その日記に書かれていることは全て嘘だと思います」




