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番外編:幽霊8


 アリエスにとって、他人の醜悪な感情や人間関係は事実と憶測を交えて一人で楽しむものである。

 そのため、そんな不確かなことを口にするのはできれば避けたかった。

 しかし、ジークもヘンリーも気にしないらしい。


「――タイザム卿は長年の間、毒を盛られていたそうです」

「やはり、それはタイザム伯爵夫人にか?」

「そう疑っていましたね」


 タイザム卿の日記がタイザム伯爵家のお家騒動に関わることだというのは、ヘンリーでなくジークに渡した時点で二人とも理解していた。

 そのため、タイザム卿に毒を盛ったとしたら誰なのか、ジークはすぐに思い当たったようだ。

 義母である伯爵夫人が我が子を――モーリス・タイザムを将来の伯爵にするため、毒を盛っていたと簡単に推測できる。

 元々病弱だったシャルル・タイザムが寝込んでいても誰も疑わないからだ。


「あの……伯爵夫人がシャルル・タイザム卿に毒を盛ったというのはわかります。ですが、それをなぜ『あの絵』とやらでわかったのですか? あの絵とは何のことでしょう?」


 ヘンリーが発言を求めて手を上げ、疑問を口にした。

 すると、一緒に『あの絵』を眺めたジークが答えた。


「執務棟の廊下に飾ってある、あの黄色い春の絵のことだよ。ヘンリーも知ってるだろう? まあ、作者がシャルル・タイザムだってのを知ったのは先日だけどな。しっかり目立つところにサインがあったのに、今まで気付かなかったんだよなあ」

「あの絵ですか? 少し気分が悪くなりますよね。あの絵に何かメッセージが込められているのなら納得です」

「……気分が悪くなるようで何よりです」


 相変わらず胡散臭い笑顔のヘンリーと同意見だと思うと、自分の感覚のほうがおかしいのかとアリエスは疑いたくなった。

 しかも、タイザム卿が何をしたかったのか本当のところは理解できないのだ。

 他人を完全に理解できないなど当然ではあるが。


「あの絵の中の花は、釣り鐘の形をした花の内側に斑点までしっかり描かれていることから、全てジギタリスだと思いました」

「ジギタリス? 確か、心臓の薬じゃなかったか?」

「薬は毒。毒は薬。何事にも裏表があるでしょう? 大切なのはさじ加減です」


 ジギタリスは強心剤として有名で、お金を出せば医師の処方がなくても薬屋で買える。

 しかし、子どもに慢性的に飲ませるものではない。

 ただ生まれたときから体が弱かったタイザム卿に、薬だと言って飲ませることは容易だったろう。

 実際、事が露見しても、善意からだと誤魔化せる。


「王都かタイザム伯爵領の薬屋か、お抱えの医師を調べれば伯爵夫人に処方したのかわかるな」

「なるほど。それでタイザム卿はあの絵の中に、ジギタリスの花を摘む貴婦人を描いたというわけなんですね」


 ジークは伯爵夫人が継子に毒を盛った証拠を掴もうと考えているようだった。

 ヘンリーは納得がいったとばかりに嬉しそうだ。


「花を摘んでいるのがなぜ貴婦人なのか不思議だったんですよ。あの絵はちょっとした庭ではなく、野原のような場所でしたからね。そこで貴婦人が一人だなんて不自然じゃないですか」

「そういやそうだな。それでアリエスは、タイザム卿が義母である伯爵夫人に毒を――ジギタリスを飲まされていると疑ったわけか」

「知らずに飲まされていたかどうかは別として、飲んでいたのではないかと思いました」


 状況的にそう思えたとしても、タイザム卿が本当にジギタリスを飲んでいたか証拠はない。

 横領事件への関与がわかったとき、タイザム卿の執務室だけでなく、タイザム伯爵家の捜索も行われた。

 ただし、伯爵の抗議を受けて、伯爵夫妻の部屋は除外されたのだ。

 そのためか、ジギタリスは見つかっておらず、さらにはヘベノンでさえ見つけることはできなかったらしい。


「なぜそう思ったんだ?」

「黄色いからです」

「黄色?」

「ええ。ジギタリスを服用すると、その副作用として視界が黄色く見えることがあるそうです。あの絵は『風までが黄色く描かれている』と評価を得ましたが、タイザム卿には実際に黄色く見えていたのではないかと思いました」


 薬の副作用には様々なものがある。

 場合によっては命を脅かすものもあり、アリエスがハリストフ伯爵領に住む薬師から特に厳しく教えられたことだった。


「ちなみに、色の識別は女性のほうが得意だそうです。ですからメイドたちの間では、あの絵は『黄色すぎる』とあまり評判はよくありません」

「ああ、それで……」


 アリエスが付け加えると、ジークは納得の言葉を漏らした。

 あの絵を一緒に眺めたとき、アリエスが『政務官は男性ばかりだから』と言っていた意味を理解したのだ。


「そういえば、タイザム伯爵家にある彼の自室にも数多くの絵が置いてありましたね」

「あら、それはぜひ見てみたかったわ」


 ヘンリーが『黄色い絵』で思い出したらしい呟きに、アリエスは軽い調子で答えた。

 その絵を見れば、シャルル・タイザムの心情が少しでもわかるかもしれない。

 アリエスがどうやってタイザム伯爵家に潜り込もうかと頭の片隅で考えたとき、ジークがその思考を遮った。


「じゃあ、今回の礼としていくつか手に入れてやるよ。だからもう少し詳しく、この日記に何が書いてあったのか教えてくれ」

「ありがとうございます。約束ですよ」

「もちろんだ」


 アリエスの考えを読まれたようで悔しいが有り難い。

 プライドよりも実利を取って、アリエスは素直にお礼を言った。――念押しも。

 ジークがどうやってタイザム伯爵家からその絵を持ち出すのかは知らないが、とりあえずヘンリーはわざとらしく両手で耳を塞いでいた。

 アリエスはすっかり冷めたお茶で喉を潤してカップを置くと、ヘンリーも両手を下ろす。

 まるでそれが合図かのように、アリエスは日記について話し始めたのだった。



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